愛用ブーツ
田島コーチより、靴をテーマに記事を書いてみよう、ということで、わたしの愛用ブーツについて。
わたしのことをよく知っている方は見たことがあるであろうブーツです。
このブーツを履きはじめてから、同じ形、同じ色を買い替えて5足目ぐらいです。
買い替えてというのはやや語弊があり、だいたい常に2足持っています。
これは紫っぽい色ですが、黄色っぽい色のものも持っています。
色違い2足とも、新品がクローゼットで待っています。
つま先が削れやすく、かかとが壊れることがあるので、新品の時点で業者にお願いして補強してあります。
それほど高価ではありませんが海外製品なので、その年によって入荷されないことがあります。
なぜこのブーツが好きなのか考えてみます。
①ヒールがあるのに走ることができる。
②足・脚のラインがきれいに見える(気がする)。
③自分の身長と靴の高さのバランスがちょうど良い(気がする)。
要するに、セルフイメージにぴったり合致しているのだと思います。
最近は、なんとなくこのブーツではなく、ヒールの低いものを履いていることが多いです。
ヒールが低いと、全体のバランスも違ってきますし、足・脚のラインもそれほど美しくはありません。
でも気にせずに別のものを履いているということは、どういうことでしょうか。
これまで鏡をみて気に入って履いていたのは、自分の過去を見ていたに相違ない気がします。
鏡に映るものは、自分の過去。
これはなかなか示唆に富みますし、理解するのに時間がかかるのではないかと思います。
「この愛用ブーツは、どの時点での自分のセルフイメージなのだろう」と考えながら、おそらくこれからも履くのだと思います。
靴に限らず鞄など、いろいろな普段使っているものを、自分の過去のセルフイメージと照らし合わせて考えると面白いなと思います。
部屋の整理
わたしはここ1~2週間で、かなりのモノを部屋から出しました。
捨てたり引き取ってもらったり、いろいろな形で部屋のモノが減りました。
すべてのモノには「気」が存在し、ゴール達成するにあたり、必要な「気」をもったモノを残すようにしています。
逆に、悪い「気」を発してゴール達成を妨げるもの、どうしても雑念を引き起こすものは手放しました。
手放したものについて、少し書きます。
10年ほど前に、コレクションのように集めた本がたくさんありました。
それらは絶版になっているものも多く、なかなか苦労して集めた本です。
自分のコレクションとして、クローゼットに収納してありました。
ただ、ふと、ゴールのわたしから見て、明らかに必要ないものになっていました。
それらを一気に古本屋に売りました。
また、部屋にオーディオプレーヤーがあったのですが、それもなくしてしまいました。
わたしは音楽が大好きなので、なかなか手放さずにいました。
ただ、そのオーディオプレーヤーには雑念を起こす情報が張り付いてしまっており、手放さざるを得ないと判断しました。
おそらくすぐに、音楽を聴けるものを探し始めるのだと思います。
その他にも、手放したものは多数あります。
モノを整理し、「気」を整理することで、ゴール達成に向けた部屋にすることができます。
また、モノを整理するタイミングというものが存在するので、そのタイミングで一気に見直しをすると良いと思います。
部屋からかなりのモノがなくなりましたが、もしわたしが存在しなければ、部屋の中のものが全てここにないと考えると、部屋はわたしたち自身の存在を表しているものだと言えます。
I×V=Rの奥深さ
ルー・タイス氏と苫米地英人博士の著書で出てくる公式が以下です。
I(想像力Imagination)×V(臨場感Vividness)=R(現実Real)
この公式の意味は、ゴールを達成した自分を豊かに想像し、まさにいま自分がゴールを達成しているという強い臨場感をもつことにより、ゴールが現実になることを指しています。
わたしが考えた、この公式のポイントを2つ挙げます。
①×であること。
+などを使用せずに×としています。
想像力と臨場感が、ゴール達成に際し非常に強い影響力をもつことを示しています。
②WORDが入っていない。
ブリーフシステム(=信念)はWORD、PICTURE、EMOTIONの3つから作られています。
よく見るとこの公式にはWORDは入っていません。
言葉は本当に大切で、アファメーションには言葉を用います。
にもかかわらず、なぜWORDが入っていないのでしょうか。
ゴールをRealにするときに、WORDという限界のあるものを超えた、想像力と臨場感の方が大切だということを、この公式が明らかにしているように思います。
WORDは大切ですが、限界があります。
それに対し、想像力と臨場感は情報空間に存在するものであり、限界がありません。
限界があるものを公式にいれるよりも、限界のないもの、∞を掛け算の公式に組み込む方が強いと考えます。
I×V=Rの公式は奥深く、見るたびに発見があるように感じます。
電車の中吊り広告
今日は電車に乗ったとき、電車の車内はあるアイスの宣伝でいっぱいになっていました。
隣には70代ぐらいの夫婦らしき方々が立っており、女性が「まあ、呆れた。ばかばかしい。こんなだからダメなのよ。これは和製英語かしら。考えるなということかしら。」という趣旨のことを男性に話しかけていました。
男性は「今の浅はかなバラエティ番組が日本中の白痴化(ここでは”考えない”という意味で使っているようでした)をあおっているのでしょうな。」という趣旨のことを返答していました。(白痴の単語がふさわしくない可能性はここでは言及しません。)
わたしは心の中で反論していました。あくまでも、心の中です。
「ではあなたたちは、今から何をするのですか。確かにバラエティ番組は良くないのかもしれない。であればメディアに対してあなたは何をするのですか。行動を起こさないと意味がない。たしかに、何も考えるな、というような内容の広告ではあるが、わたしが若い層だと仮定すると、わたしは日々考えている。わたしの周りにも、真剣に考えている人間は山のようにいる。いったい何をもって、日本人全体が考えない人間ばかりになっていると決めつけることができるのか。」
苫米地英人博士の著書にはディベートについて書かれている本がありますが、ここでは反論の仕方をお伝えするというよりも、真実を知るにはあらゆるものを疑う必要があるということを伝えたいです。
わたしは、若い世代の人たちの中に、日々真剣に考えながら生きている人たちがいることを知っています。
メディアのコマーシャルで洗脳されない人間が、わたしのまわりにはたくさんいます。
真実を知るためには、「これは本当なのか。この人が話している内容の根拠はあるのか。」という疑問を、毎日とは言わず毎瞬間、抱いていただきたいです。
民間療法
ずいぶん前にある先輩の医師から、「患者さんから相談される民間療法はね、否定も肯定もしなくていいんだよ」という言葉をいただいたことがあります。
そのときのシチュエーションははっきり覚えていないのですが、その言葉だけは印象的だったので覚えています。
おそらく、それを聞いたときに、わたしは民間療法に対して良くない印象を持っていたため、心に残っているのだと思います。
医師が民間療法に対するスタンスとして、否定も肯定もしない。
これについて考えたいと思います。
よく聞く単語としてブラセポ効果というものがあります。
ブラセポとは、新薬の臨床試験において、対照薬として効果的な成分が入っていない薬を用いることがあり、その対照薬のことを指します。
ブラセポは、効果的な成分が入っていないにも関わらず、効果が出ることがあり、それをブラセポ効果といいます。
患者がその薬が効くと心から思ったために、効果がみられる、このことの意味は、気や情報という言葉で説明できます。
対照薬がもつ気、情報場に、患者が「効果が出る」という情報をのせることで、効果が出るという情報をもった薬になるのだと思います。
薬の場合ですと、人間の自然治癒力の強化という効き目という側面もあるのかもしれません。
「民間療法を否定も肯定もしない」というのは、おそらく、患者によって民間療法が本当に効き目が出るものになる可能性があることを意味しています。
このフレーズを聞いたのは10年ぐらい前のような気がしますが、大切な言葉をいただいたなと、今更ですが感謝しています。
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