201907.27

恩師

Post by 中西千華 2019年7月27日

写真はわたしが研修医のころに買った聴診器です。

医師免許を取ったばかりのころは、早く成長したくてたまらなくて、今思えばわたしは必死で、焦っていました。

写真の高額な聴診器や名前の入った白衣などは、医師としての臨場感をより早く強く得るためのツールだったのかもしれないなと思います。

この聴診器はもう長らく使っておらず、わたしの名前の入った白衣は今の働き方では必要ないので捨てました。

どの手術室にもオペ着があり、わたしは白衣を着ていなくても医師だからです。

話は変わりますが、先日恩師と電話でお話ししました。

恩師は医師です。

お話したのはもしかしたら8~9年ぶりぐらいかもしれません。

アポを取らせていただきたくてお電話したのですが、お会いして話すことはもうほとんどないのではないかというぐらい、お話しました。

久しぶりにお電話でお話しすると、わたしにも変わっていない部分と完全に変化している部分があり、恩師にもお変わりない部分と以前とお変わりになった部分があるように感じました。

恩師もそうお感じになられたのではないかなと思います。

わたしの以前から変わらないところは…、良く言うと自分のポリシーがあります。

そんなわたしでも可愛がってくださったのは、恩師の情報身体が非常に大きいのだと思います。

恩師から見ると、様々なことが完全に想定内だったのだろうなと感じました。

近いうちにお会いできることになったので、わたしは今からとっても楽しみにしています。

201706.11

好きなものは好き

Post by 中西千華 2017年6月11日

わたしたち麻酔科医が“日麻”と呼ぶ、日本麻酔科学会の、今年の学術集会が終了しました。

専門医制度が新しく変わることになり、学術集会の様子が変化しています。

日麻では昨年から、学術集会がディズニーのアトラクションのように混雑するようになりました。

制度がどうなるのか分かりにくいためにとりあえず点数を押さえておこうという動きがあり、もはやwant toではなくhave toで動かざるを得ない部分があるように見受けられます。

おそらく一過性であり、数年後には落ち着くのだろうなと思います。

ちょうど一年ほど前に、「パノプティコン」と「バイオ・パワー」の概念について書きました。

わたし自身の復習もあり、再度記載しておきます。

バイオ・パワーとは、私たちの生活の営みの中で自然に生み出される権力のことです。

パノプティコンは監獄を見張る一望監視システムのことで、監獄の高い塔に看守がいて、看守が囚人を見張っており、囚人からは看守が見えない構造になっています。

パノプティコンでは、囚人は見られているかもしれないという恐怖で逃亡や暴動を企てなくなり、そこにはバイオ・パワーが働いている。そして社会のシステムはまさにパノプティコンだと、ミシェル・フーコーは指摘しています。

(newsjunkiepostより引用)

以上、昨年の記事より。

実際、社会のあちらこちらで、バイオ・パワーが働いているパノプティコンのような部分があります。

わたしたちは本当は自由なのに、自由でないかのように錯覚を起こしています。

わたしは、学問というものは本来“want toのみ”で追及するものだと考えるので、早く専門医制度が落ち着けば良いなと思います。

たとえ周囲がバイオ・パワーによってhave toで動いているとしても、自分自身はぶれずにいたいものです。

“好きなものは好き”、それだけです。

他人のhave toは、こちらのwant toに関係ありません。

バイオ・パワーが働いている状況下でも、周囲に惑わされることなく自分の心を静観する習慣は、とても大切です。

201705.19

“Bakery Scan”と曖昧さ

Post by 中西千華 2017年5月19日

昨日、勤務先に行く前にパン屋さんに寄ってパンを買いました。

そのパン屋さんは混んでいることが多く、以前行った時も並んで買いました。

そのパン屋さんのレジで、見たことのないレジが導入されており、びっくりしました。

わたしは初めて見たのですが、もしかしたらみなさんの中には御存知の方がいらっしゃるかもしれません。

調べたところ、“Bakery Scan”という名前の画像認識システムだということです。

日本の株式会社ブレインという会社が開発、製造販売しています。

これは昨日撮った写真です。

パンをトレーに載せてレジに持っていくと、トレーをカメラが撮影し、一瞬で合計金額が出ました。

数秒や数分ではなく、一瞬、です。

パンは袋などに入っておらず、パンの形状と色で商品を認識しているようです。

パンは似たような形のパンがたくさんありますし、色目もよく似ていることが多いです。

にもかかわらず、形や色における“曖昧さ”を瞬時に認識していることにびっくりしました。

パン屋さんの中には、あらかじめ袋にいれた状態のパンを並べているところもありますが、どうやらパンは袋にいれずにそのまま並べるほうがよく売れるようです。

こちらのお店でも、店頭に焼きたてを並べており、レジで一個ずつ紙袋に入れてくれます。

前に来た時は、レジ打ちに時間がかかり、さらに紙袋に入れるのに時間がかかり、行列になっていました。

今回はレジ打ちは一瞬でしたので、待ち時間は少し短縮されたのかもしれません。

けれどレジ打ちに余裕ができたからといって、店員さんと会話をするわけでもなく、商品を受け取ってお店を出ました。

・・・ここまで書いてきて、頭の中でいくつかのことを考えており、今回何について書こうか考えています。

考えていることのうち三つを挙げてみるので、みなさんも考えてみてください。

まず一つ目、Bakery Scanのようなシステムが、どのような状況で必要で、どのような状況で不要(むしろないほうが良い)か。

そして二つ目、このシステムはパンの曖昧さを認識できるようにプログラムされているわけですが、コンピュータの曖昧さの認識を人間と同じレベルにすることは可能か。

三つ目、わたしが住んでいる地域に野菜などを売っている小さなスーパーがあります。レジにはバーコードリーダーさえないのですが、店員さんの一人に、わたしの買い物カゴを見た瞬間に“合計金額”を言える人がいます。“Bakery Scan”と同じスピードです。その店員さんの認識方法はどのようであり、また、その人の目に世界はどのように映っているのか。

もしかしたら三つともさほど難しくないのかもしれません。

二つ目は、読む人によっては愚問に感じられるかもしれませんが、面白いのでこれについて考えてみます。

要は、人間には曖昧さを識別する能力がありますが、コンピュータが人間と同じレベルになるか、という質問です。

わたしはつい即答で「同じになる」と答えたくなりますが、では、さらに考えます。

(「同じになるわけがない」と考えた方も、本当に同じになり得ないのか、考えてみてください。)

果たして、わたしたちの気持ちの中に存在する曖昧さをコンピュータは認識できるのでしょうか。

果たして、例えば、麻酔という業務をコンピュータが完全に真似できるのでしょうか。

後者の麻酔については、コンピュータを否定したいわけではなく、麻酔科医が不要になるという話を数年前から聞くことがあるので本当にそうなのかずっと考えています。

もしも麻酔科医が不在でもコンピュータ管理のみで手術ができるのであれば、麻酔科医が不足している地域の問題を解決することができます。

あくまでもわたしの視点から、このことについて少し考えてみます。

わたしは麻酔科医の代わりとして、手術中に血圧が下がれば昇圧薬が点滴から入るような麻酔科医の仕事ができるシステムを作れば良い、という単純なものではないような気がしています。

麻酔科医はいろいろな情報を五感を使って感知し、情報を並列処理しています。そしてあらゆる可能性を想定しながら動いています。

患者とバイタルサインだけを見ているのではなく、術者のスピードや様子、出血した場合には院内に輸血の準備があるか、なければどこから何分で運んでくるのか、看護師はどのような様子か、など考えていることを挙げるときりがありません。

術中に血圧が低下したとすれば、昇圧薬を投与しながら原因を把握する必要があります。

麻酔の深さは適切か、術野で出血していないか、アレルギー反応は起きていないか、患者の年齢や基礎疾患はどのようか、など、これも挙げればきりがなく、原因によって対応が変わります。

そして万が一原因がはっきりと分からない状況であっても、患者を守るために次にすべきことを判断しなければならない時があります。

また、大量出血など非常事態において外科医である術者が慌ててしまっている場合に、たとえば輸血が到着するまで、状況によるものの術者にいったん手を止めて待つことを提案する必要が生じるときがあります。

今は手を止めるべきだという判断を、コンピュータが術者に伝えるのでしょうか。

もしもわたしが麻酔科医でなく外科医ならば、コンピュータの言うことなど聞かないと思います。

こうしてさまざまな状況を考えていくと、果たしてコンピュータが麻酔管理できるのか、やや難しい問題だと感じられると思います。

わたしはコンピュータに詳しくないのですが、なんとなく、コンピュータは「曖昧なものを曖昧なものとして」認識するのは難しいのかもしれないなと、感じます。

わたしたちは人間なので、基本的には「曖昧なものを曖昧なものとして」認識する能力があります。

すべてのことに白黒つけたい気持ちもとってもよく分かりますが、曖昧さがあるからこそ、悩んだり苦しんだり、逆に喜んだり楽しく感じることができるのかなと思います。

わたしたちが白と黒だけではない、グレー全段階をそのまま認識できるのは、実は、素晴らしいことです。

201611.05

そんなに急がなくてもいいのに

Post by 中西千華 2016年11月5日

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記事を読んでくださっている方の中に、全身麻酔を受けたことのある方がいらっしゃれば分かるかもしれませんが、全身麻酔の後は、しばらく意識がぼんやりしています。

手術が終わったあと、麻酔科医は全身麻酔の薬を止め、患者さんは目を覚まします。

そして麻酔科医は、患者さんが覚醒しているかどうか確認をします。

手術室で覚醒を確認するのですが、後から聞くと手術室で目が覚めたことは覚えていなくて、病室ではじめて目が覚めたと聞くことがあります。

ぼんやりしている程度や時間は、手術の大きさ(手術侵襲)や麻酔で使う薬にもよりますし、個人差も大きいです。

先日、麻酔から覚めたばかりの患者さんが発した言葉が印象に残りました。

80代の方で、ゆっくり、ゆっくり、穏やかに話す方でした。

そのときわたしは手術室スタッフに伝達事項を伝えていました。

スタッフに伝達事項を伝えるとき、わたしは早口です。

伝えようとすることと、伝えられるであろうことが、互いに予測できるからです。

その患者さんは、わたしたちにこのように仰いました。

「・・・みなさんの話している声が、・・・とても、とても、・・・速いように聞こえます。」

「・・・そんなに、急がなくても、いいのに・・・。」

わたしは思わず手を止めて、「本当に、そうですよね。急ぐ必要はないですよね。」と言って、目を閉じている患者さんを見ました。

わたしたち医療従事者は、患者さんの既往歴を把握しており、その方は、過去にとても大きな手術を受けられたことのある方でした。

手術を受けたことがあるかどうかではなく、これまで何度も、いろいろな覚悟を決めた瞬間があったのだろうなということが伝わってきました。

これまでの覚悟の“凄み”によって、その患者さんの、言葉で表現しつくせない深い穏やかさがあるのだと、そう感じました。

最近思うのですが、何かを覚悟したことのある人間は、強いです。

だから覚悟をする方が良いとか、そういうことでもなく、覚悟は、すべきときにするかどうか、それだけの話です。

また、何かを決めるときの判断の仕方は、個人の自由なので、どうあっても良いと思います。

ただ、何か重要なことを覚悟するということは、コーチングでいうゴールに向かう過程での出来事なのかもしれないという印象を受けています。

そこには、人間に秘められた強い”力“があるような気がします。

201611.03

身体とスコトーマ

Post by 中西千華 2016年11月3日

気が付いたら手がひどく乾燥して荒れていました。

一昨日用事があってデパートに行った際に、ネイルまでお手入れの行き届いた店員さんの手を見て、自分の手の惨状にようやく気付きました。

店員さんに商品を見せてもらったのですが、思わず自分の手を隠しそうになりました。

心の余裕ができた瞬間に、自分の手が視界に入ったのだと思います。

自分の体の一部がスコトーマに入っていた、もしくは、なんとなく手が痛かったのだけれども見て見ぬふりをしていました。

手荒れしやすい仕事はたくさんあるのですが、麻酔科医の仕事も手が荒れやすい職種のひとつです。

手を洗ったり消毒する回数がとても多いことや、常に手袋をしているとはいえ、いろいろな薬剤を使うことが影響しているのだと思います。

アルコール綿はとても手が荒れますし、手袋そのものが手荒れの原因となることもあります。

麻酔科医が両手をどのように使うか、少し説明してみます。

マスク換気の動きが分かりやすいので、マスク換気のときの手の動きを説明します。

マスク換気は、全身麻酔の際に患者さんの呼吸を補助する目的で行うものです。

まず左手は、マスクを患者さんの顔にフィットさせた状態で、ホールドするのに使います。

image

マスクを片手だけで患者さんの顔にフィットさせるのにはコツがあって、麻酔科医それぞれの慣れた方法があります。

患者さんの顔の形にもよりますし、麻酔科医の手の大きさによって、マスクの持ち方が異なることがあります。

写真はわたしの基本の持ち方で、薬指と小指で患者さんの顎を支えるような形をとっています。

右手は、患者さんに酸素を送るためのバッグを握っていて、APL VALVEという弁を微調整しながら右手を使って換気をします。

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マスク換気の時、左手の動きと右手の動きは無意識のうちに連動しています。

マスク換気の例が分かりやすいので書きましたが、麻酔中は基本的に両手を連動させて動いています。

両手のみならず、視覚や聴覚などの感覚を含め全身を、無意識にフル稼働させて動いていると言うほうが良いかもしれません。

モニター音からは、脈拍の速さを感じますし、音の高低で酸素飽和度を知ることができます。

モニター音だけでなく、術野から聞こえる音で出血の状況を感じることもできます。

それと同時に、視覚を用いて多くの情報を収集しています。

麻酔の仕事が特殊というわけではなく、どんな仕事でも、全身を用いるという側面があるかと思います。

わたしはふだんから手を大切にするように意識に上げているので、手がボロボロになるということは、わたしにとってスコトーマができやすいマインドになっていたのかもしれないと思いました。

わたしたちは毎日いろいろと考えることが多くて、身体がスコトーマに入ることがあります。

みなさんはいかがでしょうか?

身体の状態を意識に上げることで、マインド(=心=脳)の状態がわかることがあります。

みなさんも、一日一回は、身体を意識に上げて細部まで観察してみると良いかなと思います。

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