この冬初エアコン
おととい、この冬初めてエアコンを付けました。
床暖房を最弱で付けっぱなしにしていたのですが、部屋は少し寒く、なぜか一昨日まで部屋着を工夫しながら寒さをしのいでいました。
エアコンを「弱」よりも弱い「微」で付け始めたのですが、床暖房と相乗効果があるのか想像以上に暖かくて、自分が今まで我慢していたことに驚きました。
おそらく、前に住んでいた部屋が今の部屋よりも狭く、床暖房だけで十分暖かかったので、エアコンの暖房機能を使わずに過ごしていたからだと思います。
エアコンの暖房機能がスコトーマ(盲点)になっていたのですね。
先日帰省した際に家族がエアコンを付けているのを見たので、ふと、エアコンの暖房機能がスコトーマから引っ張り出されました。
これらは顕在意識で思考していることではないので、人間のスコトーマが普段の生活の中でいかに簡単にできてしまうかがよく分かります。
人間なのでスコトーマがあるのは当然ですが、こんな些細なことでスコトーマができてしまうので、次にスコトーマの中から何が出てくるのかドキドキします。
違う方向から考えると、スコトーマを作るRASの機能が優れているとも言えます。
RASの機能が破綻してしまうと、あらゆる情報が一気に脳に入ってくるので、脳が必要とするエネルギー膨大になりエネルギーが枯渇します。
つまりわたしたちは、RASの恩恵を享受しつつ、スコトーマから大切なものを引き出すために、脳をうまく利用する必要があります。
脳=マインドなので、マインドをうまく使う必要がある、ということになります。
では、どうすれば良いのでしょうか。
スコトーマは、視野を広げたり移動させることで、視界に入ってきます。
視野を広げたり移動させるには、抽象度を上げることで可能になります。
となると、抽象度を上げることを日々心がけることにより、スコトーマから大切なものを発見できる可能性が高くなります。
抽象度をどのように上げるかは、苫米地英人氏の著書に書かれていますが、簡単に書くと「視点を上げる」ことになります。
例えば、あなたが「柴犬のポチ」を飼っているとして、一段階抽象度を上げると「ポチという名前の(世界中の)犬」であったり、「(世界中の)柴犬」であったり、抽象度の上げ方は複数存在します。
そうやって抽象度を上げて行くと、ペットの「柴犬のポチ」は「生き物」というところまで上がります。
「あなたのペットの柴犬のポチ」と「生き物」を比較すると、抽象度が上がるにつれて、情報は少なくなることになります。
上は一つの例ですが、時間軸方向に視野を広げるのも練習になります。
誰でも良いので、一人の人を見て考えます。
この人は、どんな両親から生まれて、どこで育って、これまでどんな人生を歩んできて、今はどんな生活をしていて、これからどんな人生を歩んで、どんな死を迎えるのだろう。
さらには、その人の両親はどのように育って…、と遡ることもできますし、その人が死んだのち、その人に関係する人間はどのように生きるのだろう…、とさらに未来を考えることもできます。
わたしは、時間軸方向に視野を広げると、なんだか優しい気持ちになります。
これら以外にも、抽象度を上げるトレーニングの仕方は、たくさんあります。
大切なのは、常日頃抽象度の上げ下げを意識することかなと思います。
そうすることで、スコトーマの中から、これまで隠れていた大切なものが不意に現れます。
元旦発売『COMPANY TANK』に掲載していただきました
本日1月1日発売の『COMPANY TANK』に、Creative Coachingを取り上げていただいております。
石黒彩さんとの対談です。
Amazonでは「一時的に在庫切れ」となっておりますが、COMPANY TANKのホームページで記事の閲覧をしていただくことができます。
http://www.companytank.jp/interview/201701/12829/
また、取扱書店は以下のようになっております。
http://www.companytank.jp/shop_list/
都内では、八重洲ブックセンターや、紀伊國屋書店、ブックファースト、丸善などでお取扱いがござます。
(書店・店舗が限られていますので、ご注意ください。)
もしも書店で手に取っていただくことがございましたら、わたしが心をこめたメッセージを受け取っていただけるかと思います。
素晴らしい1月1日を迎えることができ、今年もたくさんの素敵な方々との出会いがあるかと思うと、ワクワクします。
わたしたちが今日考えるのは、“今年の抱負”ではなく、“人生をかけたゴール”です。
考えて、考えない
写真は、ペットトイレ用のシリカゲルです。
ペット用品など、重いものはインターネットの通信販売で購入することが多いです。
球状の形をした、ザ・シリカゲルといったタイプのものを注文するのは初めてで、簡単に言うと、間違えて注文しました。
みなさんも経験があるかもしれませんが、いつも使っている決まった日用品というのは、あまり考えずに買うことがあります。
わたしは今回、インターネットで見た袋の感じが、いつも購入しているものとそっくりなので、よく読まずに注文しました。
動物たちは初めて球状のものがトイレに入ったので、どよめいていました。
トイレがコンフォートゾーンではなくなったのかもしれません。
材質的に軽くていいかなと思っていたのですが、球状で軽いとなると、トイレからこれが1~2粒出てしまうと、動物たちの運動会が始まります。
夜中はたいてい、シリカゲルの跳ねる音と動物たちの走り回る音が聞こえてきます。
それだけなら問題ないのですが、先日動物の口に一粒入ってしまったのを発見し、あわてて口から取り出しました。
シリカゲルが口に入ると粘膜にくっついて危ないので、そろそろ元のものに戻そうと思います。
わたしたちが良く考えずに反射的に決めていることは結構たくさんあって、それらは潜在意識に任せている部分かなと思います。
例えば、みなさん、決まった勤務先に向かうときに、電車の経路や時間を毎日調べないですよね。
到着した駅から勤務先までの道筋を、毎日グーグルマップを見ながら歩かなくても、着くことができますよね。
もっというと、朝起きてから勤務先に到着するまで、特別何も考えなくても、なんとなく到着しますよね。
わたしは数年前に数か月間だけ、毎日異なる病院で勤めたことがあります。
ほぼ毎日、行ったことのない病院に初めて行くという状況でした。
みなさんにも想像していただければと思うのですが、毎日、電車の経路を調べて、駅からの道すじを調べ、トータル時間を計算するというのは、少し疲れる作業でした。
ですので、脳の必要とするエネルギーを考慮すると、優秀な潜在意識に動いてもらう必要があるということです。
ただ、潜在意識にバトンタッチする前に、わたしたちは顕在意識でしっかりと考えて選んでおく必要があります。
潜在意識に上手くバトンタッチできれば、常に顕在意識で考える必要はありません。
日用品の話ではありません。人生の選択の話です。
『あなたは、本当は何を求めていますか?』
現時点でのゴールが決まれば、優秀な潜在意識にバトンタッチしてください。
そして、ゴールはいつでも設定しなおして良いものです。
「このままいくとゴールを達成できる」と感じた時点で、設定しなおす必要があります。
ゴールの更新、ですね。
ゴールの更新は心おきなく遠慮なく、どんどん行ってください。
過去を脱ぐ
昨日肩凝りがひどくて、原因を考えていました。
ストレス源として3つ考えられるものがあります。
一つ目は、歯列矯正の調整をしたばかりなので、歯の動きからくるものです。
二つ目は、金曜日に郵便局から(わたし自身の)個人情報が漏れたとの連絡が入り、そちらに対応する必要があったこと。
そして三つ目は、金曜日に着たダウンジャケットが、肩凝りの原因になっているのではと考えました。
一つ目と二つ目はもちろん原因となりうるものの、三つ目がどうもひっかかっていました。
そのダウンジャケットは買って数年目で、どう考えてもわたしにのしかかってくるようで、それが肩と背中から始まって身体全体を束縛しているような感覚でした。
わたしは物を手入れしながら何年間も使うのですが、「このダウンはもう着ることができないな」と思いました。
ここ数年間、冬場はそのダウンジャケットを毎日のように着ており、重いとか、苦しいとか、感じたことはありませんでした。
物理的なモノの重さというよりも、そのモノに載っている情報があって、それが今のわたしには適さないのだと思います。
情報というのは要するに、捨てるべき過去の情報です。
もしかしたら新しい情報を載せて着てくれる人がいるかもしれないと思い、リサイクルショップに出す準備をしています。
捨てるべき過去は迷わず捨てる。
わたしちは過去に囚われて思い悩むように、なにものかに仕向けられているところがあります。
不必要な過去は、吹っ切る以外に選択肢はありません。
過去を脱いで、未来に向かいましょう。
(写真は、ここ数年間冬場に来ていたジャケットです。これからリサイクルショップに出します。)
利他的とは何か?
わたしはそのときどきにおいて、考え事をいくつかしています。
みなさんもそうかもしれません。
たいていはすぐに答えの出ないものなので、複数のものを長期間に渡って考え続けています。
Adam Grant著『GIVE&TAKE』を読みながら、“徹底したギバー”というものについて考えていました。
この本の中では、ギバー、テイカー、マッチャーという3つの人間のタイプを紹介しています。
Adam Grant氏によると、ギバーは人に惜しみなく与える人(他人の利益を優先させる人)、テイカーは与えるより多くを受け取ろうとする人(自分の利益を優先させる人)、マッチャーは損得のバランスをとる人、です。
本の中に書かれていますが、人間は、これらの中の1つのタイプだけであらゆるシーンに対処しているわけではなく、その時に応じて使い分けている場合がほとんどです。
そしてこれらの使い分けの割合が、人によって異なるかと思います。
この3つのタイプについて考えるだけでも面白くて、(1つのタイプに分類するとしたら)一見テイカーかマッチャーに思われそうな人がギバーだった、とか、身近にありそうだなと考えを巡らせていました。
話を戻しますが、“徹底したギバー”について考えて続けているうちに、「利己的とは何か?利他的とは何か?」という疑問にぶち当たっていました。
わたしはときどき疑問にぶち当たり、さらに考えているうちに、答えだと思われるものと出会います。
「利己的とは何か?利他的とは何か?」
これはなかなか深い疑問で、考えれば考えるほど、堂々巡りになる可能性があります。
「利他的だと思っていたものが、実は結局、利己的なのではないか?」
例えば、人を助けることで“自分”が安心するから人を助けるのではないか、ということです。
みなさん、どう思われますか?
まったく同じ事象を、異なる立場から見ることが可能であり、異なる見解を出すことになります。
しばらく、このことについて考えていたのですが、Adam Grant氏が本の中で引用している文章がありました。
以下、孫引きになりますが、引用します。
動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールが著書『共感の時代へ』(紀伊國屋書店)で書いているように、「利己的か利他的かで分けることは、根本の問題から注意をそらすためのものかもしれない。なぜ自己を他者から、あるいは自己から他者を引き離そうとするのだろう。この二つを一体化することが、人間の共同性に隠された秘密であるというのに」
ここに答えがあるような気がして、「そういうことか」と、納得しました。
これ以上書くと引用した文章が濁るような気がするので、ここでこの記事は終わりにします。
「悩む」のではなく「考え抜く」。
とってもとっても、大切だと思います。
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