201606.07

「なんだか変」を感じる

Post by 中西千華 2016年6月7日
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患者さんが全身麻酔の手術を受けるためには、点滴が必要となります。

病院によって、また、手術の時間帯によって、点滴が入った状態で手術室に入室される場合と、点滴を手術室でとる場合があります。

先日、点滴が入った状態で入室された患者さんに、全身麻酔のための薬剤を2cc、点滴の側菅から投与しました。

薬剤を投与するとき、血管の痛みを感じることがあります。

考えられることとして、投与速度が速いために感じる痛み、薬剤による痛み、点滴が漏れていることによる痛み、などが考えられます。
このとき2cc入れて、痛がるタイミングや痛がり方に「なんだか変」と感じました。

点滴が入っている腕を見ても、点滴が漏れている兆候ははっきりとは分かりませんでした。

ただ、自分が「なんだか変」と違和感を感じた以上、何かあります。

それ以上の薬剤の投与はやめ、点滴をとりなおしました。

結果としては、おそらく漏れていました。

自分がとった点滴であれば確実性は自分の感覚で分かりますが、自分がとったものでなければ、患者さんをよくよく観察しないと分かりません。

 

 

「なんだか変」と感覚で捉える感性を養ってください。

そのためには、あらゆる事象やモノを深く観察する習慣をつけることが必要です。

よくよく観察して、あなたの全身を用いて、”本質”を見てください。

201606.04

愛のバトン

Post by 中西千華 2016年6月4日
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昨日今日と、コーチングの創始者、ルータイス氏のお話を聞きに行ってまいりました。

ルータイス氏は2012年4月に亡くなられており、映像のルータイス氏です。

映像が上映され始めた時、「やっとお会いできた」と感じました。

情熱の塊、エネルギーの塊のようなものが、がんがんと私にぶつかってきました。

ルータイス氏から感じたもの、自分から湧き出た感情は、うまく表現できる言葉がみつかりません。

 

「アファメーション」ルータイス著 より引用します。

「私は“バトンを渡す”ためにこの本を書いています。

あなたにバトンを渡し、あなたの脚で愛のためにレースを走ってほしいと願っています―」

 

私は、バトンを渡された一人となります。

201606.03

信念

Post by 中西千華 2016年6月3日
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今日人と話をしているときに、ふと、「この人の目に自分はどういう風に映っているのだろう」という雑念がよぎりました。

自分で、「自分らしくない考えがよぎったな」と感じました。

それでこの雑念は終了です。

 

多くの人は、他人の評価を気にしながら生きています。

「いい人だと思われたい」「社会的地位がある人だと見られたい」「かわいい、カッコいいと言われたい」「お金持ちだと思われたい」

あげていけばきりがありません。

いわゆる、煩悩、です。

人間にはある程度の煩悩は必要ですが、必要以上に求めると自分の軸がぶれやすくなります。

 

自分の人生の責任者は、“自分”以外に存在しません。

よって、他人の評価基準は評価軸には入りません。

また、絶対的な価値のあるものに、他人の評価基準は関係ありません。

 

煩悩に振り回されそうになったら、自分でストップをかける習慣をつけてください。

自分が信じるもの、すなわち“自分自身”を、迷いなく信じ続けてください。

私たちは、他人の評価は抜群だけれども不幸、な人生を、歩むわけにはいきません。

201606.02

術中覚醒

Post by 中西千華 2016年6月2日
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今日の麻酔勤務中に、術中覚醒の話が出ました。

術中覚醒というのは、全身麻酔の手術中に患者が起きている事象を指します。

トレーニングされた麻酔科医が担当していれば通常起きませんし、麻酔科医にとっても術中覚醒は絶対に起こしたくない事象です。
術中覚醒では、患者は起きているので、音はクリアに聞こえます。

鎮痛がきちんと出来ていれば、痛みは感じませんし、鎮痛が不十分であれば痛みを感じます。

筋弛緩薬が効いていれば患者は動くことができず、金縛りのようだと形容されることがあります。
もし、筋弛緩薬が効いていて、鎮痛が不十分、かつ覚醒している場合…

患者は、想像を絶する恐怖の中に閉じ込められると考えられます。
ふと、今の日本には、術中覚醒のような人生を送っている人が多くいるのかもしれない、と思いました。

しかも、自分では気付かないまま、縛られた日々を過ごしていることがあります。

 

時々、自分の状況を客観的に眺める習慣をつけるといいかと思います。

毎日、やりたいことをして過ごしていますか?

今、ワクワクしていますか?

そして、今、自由ですか?

201606.01

究極の優しさとは

Post by 中西千華 2016年6月1日
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私には、思考におけるテーマがその時々で存在します。

忙しければ忙しいほど、雑音をシャットアウトして、テーマについて考えることがあります。

ここ数週間のテーマは「究極の優しさ」とはどいういうものか、です。

まだ答えは出ていません。

言語で表現できるような答えは存在しないのかもしれません。

 

自分に「究極の優しさ」がある状況を考えたりします。

エフィカシーは宇宙の果てまで突っ切るのだろうと考えています。

ただ、人間なので、スコトーマ(盲点)は必ず出てきます。

 

「究極の優しさ」があるとしても、人間である以上、完璧にはならないということです。

そう考えると、スコトーマを外してくれるコーチや仲間というのは、とても大切です。

一人では完璧にはなり得ない、ということを心にとどめておくことも大事です。

 

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