201606.11

機を制する

Post by 中西千華 2016年6月11日
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あらゆるものごとには「機」があります。

 

例えば、わたしの場合であれば、手術中に患者さんの血圧が下がった場合に、「機」を考える暇もなくできるだけ早く血圧を上げる薬剤を投与します。

この場合の「機」は「今すぐに」ということになります。

また、手術が終わって患者さんが目を覚ましつつあるとき、声をかける「機」があります。

要するに、徐々に目が覚めてきて、起きるのは今だ、というタイミングがあります。

この場合の「機」は「患者さんが起きるとき」です。

これに関してはトレーニングが必要で、皆さんも皆さんの専門分野において、思い当ることがあるかと思います。

 

後者の、トレーニングが必要な「機」、をとらえるには、観察をとことんすることが要になります。

観察は目による観察だけでなく、全身で「機」をとらえます。

視覚、聴覚、嗅覚といったものだけでなく、肌で「機」を感じることが可能です。

「機」の「気」を感じる、という言い方が良いでしょうか。

 

毎日の出来事を、静かに、注意深く、観察してください。

どのようにして物事が起きているか、人の感情が動いているか、自分の感情が動いているか。

「観る」ことは人生でとても大切なことです。

201606.09

「あなたは誰を置いていきますか?」

Post by 中西千華 2016年6月9日

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ルー・タイス著「アファメーション」より引用。

私にとって、とても印象深いページです。

 

 

「自分自身が著しい成長を遂げると、それと比較して、自分の知り合いや愛する人の多くが眠っているような状態にあることがわかります。(中略)

でも、他人のために立ち止まることがあってはいけません。愛情を持って彼らに協力を求め、自分の属する地域社会なり環境なりを変えてもらうようにしてみてください。こうした厳しい態度が成熟した愛情であり、効果的なリーダーシップです。(中略)

私たちは彼らと一緒に続けるか、あるいは彼らなしで続けるかを決断しなければなりません。(中略)

では、誰をどのようにして一緒に連れていきますか?人々を置いて行くことをいとわないほど、あなたにとって価値あるものとは何でしょう?あなたは誰を置いていきますか?」

 

 

この、リーダーシップの章の意味するところは、他の章にも増して深く心に残りました。

愛する人達を、彼らのため自分のために置いていかねばならない可能性があるということです。

私は、可能であれば、大切な人たちを全員一緒に連れて行きたい。

だけれども、決断しなければならないときが来ます。

201606.07

「なんだか変」を感じる

Post by 中西千華 2016年6月7日
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患者さんが全身麻酔の手術を受けるためには、点滴が必要となります。

病院によって、また、手術の時間帯によって、点滴が入った状態で手術室に入室される場合と、点滴を手術室でとる場合があります。

先日、点滴が入った状態で入室された患者さんに、全身麻酔のための薬剤を2cc、点滴の側菅から投与しました。

薬剤を投与するとき、血管の痛みを感じることがあります。

考えられることとして、投与速度が速いために感じる痛み、薬剤による痛み、点滴が漏れていることによる痛み、などが考えられます。
このとき2cc入れて、痛がるタイミングや痛がり方に「なんだか変」と感じました。

点滴が入っている腕を見ても、点滴が漏れている兆候ははっきりとは分かりませんでした。

ただ、自分が「なんだか変」と違和感を感じた以上、何かあります。

それ以上の薬剤の投与はやめ、点滴をとりなおしました。

結果としては、おそらく漏れていました。

自分がとった点滴であれば確実性は自分の感覚で分かりますが、自分がとったものでなければ、患者さんをよくよく観察しないと分かりません。

 

 

「なんだか変」と感覚で捉える感性を養ってください。

そのためには、あらゆる事象やモノを深く観察する習慣をつけることが必要です。

よくよく観察して、あなたの全身を用いて、”本質”を見てください。

201606.04

愛のバトン

Post by 中西千華 2016年6月4日
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昨日今日と、コーチングの創始者、ルータイス氏のお話を聞きに行ってまいりました。

ルータイス氏は2012年4月に亡くなられており、映像のルータイス氏です。

映像が上映され始めた時、「やっとお会いできた」と感じました。

情熱の塊、エネルギーの塊のようなものが、がんがんと私にぶつかってきました。

ルータイス氏から感じたもの、自分から湧き出た感情は、うまく表現できる言葉がみつかりません。

 

「アファメーション」ルータイス著 より引用します。

「私は“バトンを渡す”ためにこの本を書いています。

あなたにバトンを渡し、あなたの脚で愛のためにレースを走ってほしいと願っています―」

 

私は、バトンを渡された一人となります。

201606.03

信念

Post by 中西千華 2016年6月3日
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今日人と話をしているときに、ふと、「この人の目に自分はどういう風に映っているのだろう」という雑念がよぎりました。

自分で、「自分らしくない考えがよぎったな」と感じました。

それでこの雑念は終了です。

 

多くの人は、他人の評価を気にしながら生きています。

「いい人だと思われたい」「社会的地位がある人だと見られたい」「かわいい、カッコいいと言われたい」「お金持ちだと思われたい」

あげていけばきりがありません。

いわゆる、煩悩、です。

人間にはある程度の煩悩は必要ですが、必要以上に求めると自分の軸がぶれやすくなります。

 

自分の人生の責任者は、“自分”以外に存在しません。

よって、他人の評価基準は評価軸には入りません。

また、絶対的な価値のあるものに、他人の評価基準は関係ありません。

 

煩悩に振り回されそうになったら、自分でストップをかける習慣をつけてください。

自分が信じるもの、すなわち“自分自身”を、迷いなく信じ続けてください。

私たちは、他人の評価は抜群だけれども不幸、な人生を、歩むわけにはいきません。

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