般若心経

苫米地英人著「超訳『般若心経』」を読んでいました。
わたしの出身高校は智辯和歌山なので宗教の授業があり、般若心経をたびたび耳にしていましたし読経していたように思います。
なので、高校の頃に聞いていた般若心経の音(声)を思い出し、懐かしさを感じました。
あらためて、不思議な部分がいっぱいである般若心経を、これまでの認識とは違う角度から見ることができました。
本の中にもあるように、般若心経は多くの人が知っていて多くの宗派で唱えられているにも関わらず、謎だらけです。
この謎だらけの般若心経を、この本の中で大胆な添削をしています。
本の中で「無」を「空」に、とことん添削しています。
見慣れ過ぎた「色即是空 空即是色」を「色即是無 無即是色」に添削している部分は、その通りなのですが、見慣れていたのもありびっくりしました。
でも、これを読むことで、確かに般若心経は空のテキストであることが見えてきます。
同時に、般若心経の意味を知ることで、般若心経をゴールに向かう際のアファメーションとして用いることができます。
心に残ったところを数か所引用したいと思います。
「では、『幸せ』とは何か。それは、『到達すべきゴールを設定し、それに向かうためのベストの選択をすること』です。ゴールに向かうこと自体が『幸せ』なのです。」
幸せとは、結果論ではなく、過程において感じるものであるということです。
「『空』を『emptiness』と訳したところから誤解が始まったという話は本文中で書きました。私はむしろ、『fullness』とでも訳したほうがぴったりくるのではないかと思っています。あふれんばかりの可能性をたたえ、しかもそれは宇宙と等価であるというのが『空』なのです。」
まさにそのとおりで、わたしも、空と虚無は正反対だと考えます。
わたしのブログは「空(クウ)」という名前にしておりますが、まさにfullnessを表現していきたいと考えています。
「イワンのばか」

『イワンのばか』はTolstoiの作品です。
宮崎駿監督の『本へのとびら』という著書の中の、『イワンのバカ』に対するコメントが印象に残りました。
宮崎駿監督のコメントを引用します。
「人はどのように生きるべきなのでしょう。子供のころ、この本を読んでぼくはとても心をうたれました。ばかのイワンのように生きられたらどんなにいいか。でも、それはとてもむずかしい。自分にはできそうにありません。そう思うのに、ぼくは今でもイワンのように生きられたらと、時々思います。」
イワンには兵隊のシモンと太っちょのタラス、そして耳と口が不自由なマルタという妹がいます。
シモンとタラスはそれぞれ欲があって、それでもイワンは何でもあげるので、仲良く暮らしています。悪魔がそれをみて、けんかさせようと考えてシモン・タラス・イワンにいろいろな意地悪をしかけます。
シモンとタラスは悪魔によってとっちめられてしまうのですが、イワンは何でもあげるし、困った人を助けるし、王様になっても働き続け、ついには悪魔が退散してしまいます。
宮崎駿監督の「人はどのように生きるべきなのでしょう。」という言葉が心に刺さります。
ばかのイワンは、一言で言うととことん利他的に生きているように感じます。
シモンは権力に対する欲、タラスは食欲をはじめとする物欲を表しているように感じ、悪魔はその欲につけこんで意地悪をしかけてきます。
ばかのイワンは欲がないので、悪魔が意地悪しても効果がありませんでした。
そして、ばかのイワンが王様になっている国の人々は、とても幸せそうです。
ばかのイワンの物語の背景とは違って、わたしたちには知識があって、資本主義のなかで生きています。
その中で、どうやって知識を使って楽しく生きるか、試されているような気がします。
少なくともシモンやタラスと同じようになってはいけないけれど、ばかのイワンのようにになるべきかというと、そうではないような気がします。
わたしたちそれぞれが、それぞれの生き方をもっていて、いろいろなバランスを絶妙にとりながら毎日を生きていく。
それそのものが答えのような気がします。
コーチングは楽しく生きるためのツールであり、上手く使うことでバランスがとりやすくなるのではないかなと思います。
Stay with me.

最近、アメリカのテレビドラマである「グレイズアナトミー」を毎日のように観ています。
「グレイズアナトミー」は医療ドラマであり、ヒューマンドラマでもあります。
その中で良く使われるフレーズで、最近お気に入りのものが、「Stay with me.」です。
このフレーズを使っているシーンの多くは、患者が意識を失いかけているときに「しっかりしろ!」という意味で用いています。
日本語で「しっかりしろ!」というのが、英語だと「Stay with me!」となるのは、わたしにはとても興味深く感じます。
逆に言うと、英語の「Stay with me!」を、日本語にするときに「しっかりしろ!」と訳していいのかなと疑問に感じている部分もあります。
「Stay with me.」とは要するに、「意識状態を自分と同じ状態に保ってね」という意味であり、さらには「同じ臨場感空間にいてね」ということだと考えます。
医師が患者に話しかける言葉でもあるかもしれないし、コーチがクライアントに話しかける言葉であるかもしれないし、究極的には人間同士であれば「Stay with me.」の発想はとても大切なのではないかなと思いました。
コーチはクライアントの抽象度やエフィカシーが上がるように導きますが、その場合のイメージはクライアントを引っ張り上げるようなイメージです。つまり、高低差があります。
「Stay with me.」は高低差がないように感じます。
わたしとしては引っ張り上げるイメージだけでなく、コーチとしてのみならず人として「Stay with me.」のイメージはとても重要だと感じています。
目の前の人の抽象度やエフィカシーがどのぐらいの高さであっても、もしくは時間軸のどこにいるとしても、自分がそこに行って「ただ一緒にいる」というのは、簡単なようで誰にでもできることではありません。
わたしはどんな状況であっても、「Stay with me.」と言えるように日々学び続けたいと思います。
続 立体視

立体視について、昔からずっと考えていたことを書きます。
立体視というと視覚のみのようですが、視覚に限らず、人間の感覚全ては、世界を、宇宙を立体的に感じるために精巧に作られているような気がしています。
昔から考えていたのは、イヤホンで音楽を聴く時、片耳だけだとわたしには直線的、もしくは平面的な音に聞こえます。ただの情報が耳に入ってくる感じです。
それが、もう片方の耳にもイヤホンを入れた瞬間、頭の中にコンサート会場が出来上がります。
片耳だと一次元かせいぜい二次元だったものが、両耳で一気に三次元かそれ以上になります。
つまり、両耳にイヤホンを入れて音楽を聴くことで、聴覚からの物理空間の情報を遮断すると同時に、情報空間の世界がいきなり広がります。
昔から、片耳で聞いてみたり、両耳にしたりして、この差はなんなのだろうと、よく考えていました。
視覚に関しても、両目で見る方が奥行きが遥かにわかりやすくなります。
また、嗅覚と味覚はこの二つのコラボレーションがあって初めて「味」が立体性を持ちます。
味覚は甘さや苦さや酸っぱさなどを感じるだけであり、味覚単体ではいわゆる「味」は感じらません。嗅覚があっての「味」です。
また、ある感覚に不自由がある場合は、必ずと言っていいほど、それを補完するため他のある感覚が突出して鋭くなる気がします。
人間には儚く脆い一面はありますが、わたしたちにもたらされている可能性は果てしなく深いです。
わたしたちが生まれたときからすでに可能性はもたらされています。しかも、とてつもない可能性です。
このことを忘れないでください。
孔子と空海
昨日は、苫米地英人博士著の『洗脳論語』より、孔子の言葉を引用しました。
今日は同じく『洗脳論語』より孔子の言葉と、苫米地英人博士著『空海は、すごい』より空海の言葉を対比的に引用します。
まずは『洗脳論語』より。
「子曰く 、性相近し 。習い相遠し 。子曰く 、唯上知と下愚とは 、移らず 、と 。 (陽貨第十七の二 )
この文の前半と後半の矛盾に 、論語の本音が見え隠れしています 。 「性相近し 。習い相遠し 」は 、至極真っ当な意見です 。一般的には 「人は生まれに関係なく 、もともと皆似たような性質であるが 、その後の勉学によって力の差が出てくる 」という解釈がなされています 。私の解釈も同じです 。この意見は 、指導者にとっては常套句のようなものです 。しかし 、 「唯上知と下愚とは 、移らず 」はどうでしょうか 。 「飛び抜けて賢い人 (天才 )と 、飛び抜けて愚かな人 (凡才 )は 、どのようにしてもその差を埋められない 」というのが一般的な解釈です 。前半で生まれは関係ないと言っておきながら 、後半では生まれながらに差はあると言っています 。明らかな自己矛盾でしょう 。」
次に『空海は、すごい』より。
「上天子に達し 、下凡童に及ぶまで 、未だ有らじ 、学ばずして能く覚り 、教えに乖いて自ら通ずるものは 。
超訳 国王から子供に至るまで 、生まれながらにして真理を知り 、誰からも学ばずにダルマを理解する人はいないのです 。 (三教指帰巻上 )」
孔子の明らかな差別主義が感じられる言葉と、空海による平等を説いた言葉は、対照的です。
孔子の、自身の地位を守ろうとする必死さが伝わってきます。
その他、『空海は、すごい』より。
「虚空尽き 、衆生尽き 、涅槃尽きなば 、我が願いも尽きん 。
超訳 宇宙も 、すべての生命も 、悟りの世界も 、心が生み出しているとみなが知ったとき 、私の願いが叶うのです 。 (遍照発揮性霊集巻第八高野山萬燈會の願文 )」
この文章は、コーチングと深く繋がっていると感じており、わたしがみなさんにお伝えしたいことも、究極的にはここにくるのかなと感じました。
空海は、優しさに溢れた天才だと思います。
わたしの故郷は和歌山なので、近いうちに帰省して高野山を訪れたいと思います。
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