孔子と空海
昨日は、苫米地英人博士著の『洗脳論語』より、孔子の言葉を引用しました。
今日は同じく『洗脳論語』より孔子の言葉と、苫米地英人博士著『空海は、すごい』より空海の言葉を対比的に引用します。
まずは『洗脳論語』より。
「子曰く 、性相近し 。習い相遠し 。子曰く 、唯上知と下愚とは 、移らず 、と 。 (陽貨第十七の二 )
この文の前半と後半の矛盾に 、論語の本音が見え隠れしています 。 「性相近し 。習い相遠し 」は 、至極真っ当な意見です 。一般的には 「人は生まれに関係なく 、もともと皆似たような性質であるが 、その後の勉学によって力の差が出てくる 」という解釈がなされています 。私の解釈も同じです 。この意見は 、指導者にとっては常套句のようなものです 。しかし 、 「唯上知と下愚とは 、移らず 」はどうでしょうか 。 「飛び抜けて賢い人 (天才 )と 、飛び抜けて愚かな人 (凡才 )は 、どのようにしてもその差を埋められない 」というのが一般的な解釈です 。前半で生まれは関係ないと言っておきながら 、後半では生まれながらに差はあると言っています 。明らかな自己矛盾でしょう 。」
次に『空海は、すごい』より。
「上天子に達し 、下凡童に及ぶまで 、未だ有らじ 、学ばずして能く覚り 、教えに乖いて自ら通ずるものは 。
超訳 国王から子供に至るまで 、生まれながらにして真理を知り 、誰からも学ばずにダルマを理解する人はいないのです 。 (三教指帰巻上 )」
孔子の明らかな差別主義が感じられる言葉と、空海による平等を説いた言葉は、対照的です。
孔子の、自身の地位を守ろうとする必死さが伝わってきます。
その他、『空海は、すごい』より。
「虚空尽き 、衆生尽き 、涅槃尽きなば 、我が願いも尽きん 。
超訳 宇宙も 、すべての生命も 、悟りの世界も 、心が生み出しているとみなが知ったとき 、私の願いが叶うのです 。 (遍照発揮性霊集巻第八高野山萬燈會の願文 )」
この文章は、コーチングと深く繋がっていると感じており、わたしがみなさんにお伝えしたいことも、究極的にはここにくるのかなと感じました。
空海は、優しさに溢れた天才だと思います。
わたしの故郷は和歌山なので、近いうちに帰省して高野山を訪れたいと思います。
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