タクシーからの風景
今日はタクシーに乗りました。
わたしは友人からのメールに返信しようとしていたのですが、タクシーの運転手さんの話があまりに面白くて、携帯電話をバッグにしまってしまいました。
最初はどの道を使うかという話をしていたのですが、そこから面白い話がたくさん飛び出しました。
タクシーの運転手さんは、タクシードライバーを始めて15年ということで、それまでは、車を持っているにも関わらずタクシーをかなりの頻度で使っていたそうです。
タクシードライバーになってからの15年間は、タクシーを使ったのはたった3回だそうです。
車を持っているといえども、都内に住んでいて15年間でタクシーを使ったのが3回というのはとても少ないと思います。
「タクシーを使うことが、いかに勿体ないか」ということを熱く語ってくださり、こんな面白いタクシードライバーの方がいらっしゃるのだなと思いながらお話を聞いていました。
また、タクシードライバーになる前の話のようでしたが、その方が普段運転して通り慣れている道を、タクシーに乗って通ったとき、そのときのタクシーの運転手さんが道をよく知らなかったそうです。
そこでその方は、その運転手さんに、普段自分が運転して通り慣れているのもあり、後部座席から道を案内しようとしたそうです。
『自分の運転では絶対に間違うことのない通り慣れた道なのに、後部座席から道を教えると、間違ったんですよ!』
と、楽しそうにお話してくださいました。
運転手として見ている光景と、後部座席から見ている光景と、全く違って見えたそうです。
忘れられない経験だとおっしゃっていました。
この話は、とても面白いと思います。
運転席と後部座席は、視野だけを考えると少し違いますね。
最大の違いはハンドルを握っているかどうかなのですが、少しの視野の違いと、ハンドルを握っているかどうかの違いで、道を間違えたということになります。
コーチングの視点から考えると、まさに、マインドが違っているから起きたことかなと言えるかなと思います。
全く同じ人間でも、ちょっとした見方の違いで、同じ景色が全く違ったもののように見えることがあります。
不思議ですし、人間って面白いなと思います。
みなさんも、景色が全く違っているふうに見えた時、これまでの自分と一体何が違っているのか、自分自身をよく観察してみてください。
人間って面白いです。
「Eat the Rich」
Aerosmithをご存知の方は多いと思います。
今日部屋を出るときに、突然、Aerosmithの「Eat the Rich」のイントロが頭の中に流れてきました。
これは聴くしかないと思い、電車の中で「A Little South of Sanity」というライブアルバムの中の「Eat the Rich」を繰り返し聴いていました。
なんども繰り返し聴きながら、ぼんやりと、“richを喰っても喰われるな”、だなぁと考えていました。
世の中を見ていると、richに対する煩悩にとらわれている人がたくさんいます。
ある程度までは良いのですが、執着の度が超えると危険だと、わたしは考えます。
わたしたちは誰しも、その危険と背中合わせにいます。
richになるのは良いと思います。
ただ、richは幻想の一つに過ぎないことを頭の片隅に置いておく必要があります。
頭の片隅に置いた上で、存分に楽しんでください。
繰り返しになりますが、richを喰っても良いです。けれど、決して、喰われないように、呑まれないようにして下さい。
続々 ロボット掃除機
ロボット掃除機・・・いい加減しつこいと自分でも思います。
この機械は実はけっこう手のかかるシロモノで、かつ発見を私に与えてくれます。
最近はほぼ毎日出動していただいていて、ときに埃が舞い上がりますが、部屋はまずまずきれいになります。
玄関ではほぼ毎回何かしらのトラブルが発生しますが、対応策を考えました。
今回のテーマは、買った当初からずっと気になっていたことです。
ロボット掃除機が、必ずといって良いほど掃除できない所があります。
いわば、ロボット掃除機のスコトーマですね。
大きさ的に入れない、隅や隙間ではありません。
二つあります。
持っていらっしゃる方にはわかるかと思いますが、一つは、充電器でもあるDOCKの周りです。
DOCK周囲では、ロボット掃除機がDOCKに帰ろうとして掃除どころではなくなるので、埃がたまります。
もう一つがロボット掃除機そのもの、本体、です。
本体は埃をかぶるので、時々ふき掃除をする必要があります。
スコトーマは思わぬところにあって、しかも身近であればあるほど、スコトーマになりやすいのだなと思います。
遠くを見て遠くのスコトーマを外すのは良いのですが、実は自分の真横とか目の前にあるのに隠れてしまって見えていないものがたくさんあるように感じます。
ときどき、みなさんにとって本当に身近なところを、よくよく観察してみてください。
大切なのに見落としているなにかを、発見できるかもしれません。
小網神社
神社にほとんど詣ることがなかったわたしですが、最近どうも、時々呼ばれるようです。
基本的に非科学的なものは信じていませんが、時折、なんとも素敵な出逢いがあります。
夜の暗がりの中、佇まいが美しく、境内にはとても優しい空気が流れていました。
東京23区の構造はわたしから見ると、ところどころ間違っている部分があるように感じ、そのエラーのために自殺者など追い詰められる人間が多い印象を受けています。
ただ、場所によっては何かに守られているとしか考えられないような素晴らしい区画があります。
非科学的なものは苦手なものの、自分が直感的に感じるものは否定しがたく、直感は大切にしようと考えています。
みなさんも、自分が何をどのように感じているか、見つめる習慣を付けると良いかもしれないなと思います。
「Smells Like Teen Spirit」
わたしには特定の好きなミュージシャンというのは、今やなくなってしまいました。
以前は好きなミュージシャンがあって、CDもたくさん持っていました。
執着がなくなってしまって、引っ越しの際にCDをほぼ全て中古屋さんに出しました。
最近はiPadを小さなスピーカーにBluetoothでつないで、音楽を聞いています。
自分のスコトーマを外したいというのもあり、ときどき全く知らないミュージシャンの音楽を聞くようにしています。
今日は、有名な方だと思うのですがわたしは存じ上げなかった「青木カレン」さんの音楽を聞いています。青木カレンさんはジャズボーカリストです。
ジャズはどれだけ好きかと聞かれると「普通」で、カバー曲というのはわたしはあまり聞かないです。
カバー曲というのは、原曲が素晴らしいので、原曲を超えることはできないからです。
青木カレンさんのCDの中に、Smells Like Teen Spiritのカバーがありました。
ご存知の方はご存知ですね。
今は亡きカート・コバーンがvoval&guitarをしていた、Nirvanaの曲です。
わたしにとっては、Smells Like Teen Spiritを初めて聴いた時は「なんだこの音楽は」と衝撃を受けましたし、カート・コバーンが突然亡くなったのも衝撃的でした。
詳しくない私が説明するまでもないのですが、Nirvanaはロックの中にグランジという潮流を作りました。
わたしはNirvanaの曲の中でもSmells Like Teen Spiritが大好きです。
原曲であるSmells Like Teen Spiritはロックかつグランジで、青木カレンさんはグランジをジャズでカバーしています。
まさかNirvanaをジャズでカバーする方がいるとは思わなかったので、驚きました。
その結果、全く異なる曲になっています。
ジャズのSmells Like Teen Spiritもかっこいいです。
スコトーマを外して全く異なる曲にしてしまうと、原曲を超える超えないの問題ではなくなるということがよく分かりました。
Smells Like Teen Spiritは、原曲と同じようなロックでカバーしようとすると、どうしようもなく色褪せるだろう、そんな名曲です。
懐かしさとともに新しさを感じています。
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