懐かしい、という日本語
先日の英会話のレッスンで、自分の大好きなものや好きでないもの、なんとも思わないものについての表現の仕方を習いました。
実際のところ、今のわたしにはこだわりがあまりなくて、予習の時点で「なんとも思わない」や「なんでも好き」という文章が多くなりました。
今は食事にも音楽にも「大好き!」がなく、結果として、「以前はこういったものが好きでした」という予習になりました。
レッスンのときに英会話の先生と話をしながら、以前はいろいろなこだわりがあったなぁと思い返していました。
こだわりといいますか、言うならば執着ですね。
10代から20代のころには、好きなミュージシャンやバンドがいくつかあって、多くは洋楽でしたが、歌詞を今でも全部覚えているくらいよく聞いていたものもあります。
あるミュージシャンについて話をしたとき、英会話の先生もたまたま同じミュージシャンが好きで、話が盛り上がりました。
ついつい「あー、懐かしい!」という日本語が口をついて出ました。
英会話の先生は楽しげに、「NATSUKASHII!それとピッタリくる英語はないの!言うとすれば…」
と、いくつか、“懐かしく思う”を意味するフレーズを教えてくれました。
どんな言語同士でも、どんなに上手く訳してもぴったりの意味にはなりにくいと思っていましたが、「懐かしい」に関しては興味深いなと思いました。
多くの日本人は日本の文化の中にずっといるのでスコトーマ(心理的盲点)になりがちですが、たぶん日本人は、自分たちが考える以上に過去の話をして懐かしんでいます。
しかも、日本人は懐かしい話が大好きです。
わたしの周りにも、大昔の自分の武勇伝が大好きで、ずっと過去の話をしている人がいます。
何かを懐かしむことは過去を向いていることに他ならず、人生の多くの時間を過去を見ながら過ごした場合、必然的に「今」と「未来」が見えづらくなります。
何かを見ることは、他のものを見ないことを意味します。
良い悪いではなく、何を見るか、選択するのはわにしたち自身です。
だいたい並んだ歯
“だいたい並んだ”と言うと、担当してくださっている歯科医師に「おい」と言われそうですが、歯がだいたい並びました。
わたしの担当の歯科医師は楽しい方で、「麻酔科医に麻酔をするのはシュールすぎる」と、なかなかわたしに局所麻酔をしてくれません。
結局、ここ数年間において局所麻酔を受けたのはほんの1~2回で、われながら痛みに耐えたと思います。
約1週間前に、歯列矯正がひと段落ついて、歯の表面の矯正器具を取り外していただきました。
今は歯の裏にfixed retainerという、リテーナーを取り付けてもらっています。
わたしは歯科医師ではないので詳しいことはわからないのですが、リテーナーにはいくつか種類があり、歯列矯正後の保定期間に用います。
保定期間は3〜4年と聞いています。
3~4年、長いですね。
それほど、いったん動かして並べた歯をそこに留めるのには時間がかかるということだと思います。
リテーナーをしないと、せっかく並んでいた歯がすぐに動いてしまう、というのはよく聞きます。
今でも、わたしの歯のうちの1本が「ここは落ち着かない」と動こうとしているのがわかります。
でも、元に戻ろうとしても、その歯がもともとあった場所はすでに存在しません。
周囲の歯の状況が“完全に”変わってしまっているからです。
なので、その歯が動いてしまうと、おそらくとんでもない方向に動きそうな気がします。
ここからコーチングの話を少しさせていただこうと思います。
適切なコーチングを受ける、もしくはその後セルフコーチングを行うと、コンフォートゾーンが徐々に変化します。
コンフォートゾーンとは、わたしたちの快適な場所(zone=範囲)を指し、生活すべてがコンフォートゾーンの中にあるとも言えます。
住まい、食事、人間関係、仕事、趣味、あらゆるところにコンフォートゾーンが存在しています。
そして、コンフォートゾーンそのものが動くとき、わたしの1本の歯のように“抵抗”が生じる場合があり、わたしたちにとって不快な症状として表れることがあります。
もしからしたらみなさんの中には体験したことがある方がいらっしゃるかもしれません。
これまで長らくいた“安全な場所”から外に出ることは危険だと、わたしたちの脳が判断して引き戻そうとするからですね。
また、コーチングを受けるときに注意しなければならないのは、コーチングによって物の見方(マインド、心、脳)が変わるので、人生が大きく変わることがあります。
すごく簡単にわかりやすく言うと、コーチングによって「視野が広く」なります。
ただ、わたしの1本の歯が戻ろうとしても戻る場所がすでにないように、いったん視野が広がった状態から、前の状態に戻ることは基本的に難しいです。
たとえば、わたしが麻酔科医として学び始めたころは準備にすごく時間がかかっていましたし、ちょっとしたことで大慌てして先輩を呼んでいました。
それと同じことが今のわたしに起きるかというと、おそらく起きないです。
これはたとえですが、要するに、コーチングを受けることによって視野が広がり人生が変化するのですが、それまでの過去の状態には戻りづらくなります。
良い悪いではなく、そのことをよく理解しておく必要があるような気がします。
好きなものは好き
わたしたち麻酔科医が“日麻”と呼ぶ、日本麻酔科学会の、今年の学術集会が終了しました。
専門医制度が新しく変わることになり、学術集会の様子が変化しています。
日麻では昨年から、学術集会がディズニーのアトラクションのように混雑するようになりました。
制度がどうなるのか分かりにくいためにとりあえず点数を押さえておこうという動きがあり、もはやwant toではなくhave toで動かざるを得ない部分があるように見受けられます。
おそらく一過性であり、数年後には落ち着くのだろうなと思います。
ちょうど一年ほど前に、「パノプティコン」と「バイオ・パワー」の概念について書きました。
わたし自身の復習もあり、再度記載しておきます。
バイオ・パワーとは、私たちの生活の営みの中で自然に生み出される権力のことです。
パノプティコンは監獄を見張る一望監視システムのことで、監獄の高い塔に看守がいて、看守が囚人を見張っており、囚人からは看守が見えない構造になっています。
パノプティコンでは、囚人は見られているかもしれないという恐怖で逃亡や暴動を企てなくなり、そこにはバイオ・パワーが働いている。そして社会のシステムはまさにパノプティコンだと、ミシェル・フーコーは指摘しています。
(newsjunkiepostより引用)
以上、昨年の記事より。
実際、社会のあちらこちらで、バイオ・パワーが働いているパノプティコンのような部分があります。
わたしたちは本当は自由なのに、自由でないかのように錯覚を起こしています。
わたしは、学問というものは本来“want toのみ”で追及するものだと考えるので、早く専門医制度が落ち着けば良いなと思います。
たとえ周囲がバイオ・パワーによってhave toで動いているとしても、自分自身はぶれずにいたいものです。
“好きなものは好き”、それだけです。
他人のhave toは、こちらのwant toに関係ありません。
バイオ・パワーが働いている状況下でも、周囲に惑わされることなく自分の心を静観する習慣は、とても大切です。
個展明日まで。
わたしの大好きな陶芸家の個展、明日までです。
「夏色の器を作りました~中西芙美陶磁器展~」
今年は、海の色のビアマグと、向日葵のカップ&ソーサーが本当に素敵です。
コーチングのことを書くのが気が引けるぐらい、圧倒されます。
https://www.g-ryokufusha.com/access
人工知能の診断精度
先日、BakeryScanを初めて見て驚いた記事を書きました。
記事を書きながら、コンピュータの性能が人間の能力にどのくらい近づくのか考えていました。
今回、興味深い記事を読んだので紹介させていただきます。
医療ガバナンス学会の、6月5日の記事です。
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