201709.19

明治神宮へ

Post by 中西千華 2017年9月19日

昨日、明治神宮へ参拝に行ってきました。

特別何かあったわけではないのですが、いつのまにか「明治神宮へ行きたい」という思いが募っていました。

朝から天気が良く、参拝日和でした。


南池では睡蓮の花が美しく咲いているのを見ることができました。

写真以外にも、ピンクの睡蓮の花が咲いているのも、遠くに見えました。

本当に、本当に、美しかったです。

睡蓮の花は散るのが早く、いつでも見れるものではないので、なかなかの幸運でした。


そして、知る人ぞ知る、清正井です。


美しいです。

今はあまり水が湧き出ていないようです。

また、こんこんと水が湧き出るようになるように、一参拝者として祈らせていただこうと思います。


まさに森で、東京のど真ん中にいることを完全に忘れてしまいそうな、素晴らしいところです。

木々は生き生きと伸びやかでした。

護られた場所であり、護ってくれている場所なのだなと、感じました。

そういえば、清正井の近くで、一人で動画を撮っている女性がいました。

「…億万長者になります。」と声に出しているのが聞こえました。

つい、『“億万長者”という表現はでなく、期限と金額を決めましょう!そして抽象度の高いゴールも考えましょう!』と言いそうになっている自分が可笑しかったです。

個人的には、神社は願い事をする場所ではないと認識しているのですが、明治神宮にはどんな願い事でも受け止める雰囲気があります。

優しくて大きくて、いつも変わらずそこにある。

また行きたいと思います。

201709.14

普段の生活の中にある、たのしみ

Post by 中西千華 2017年9月14日


『たのしみは ぶどうやくりを食べながら家族みんなで会話するとき    由季』

少し前になりますが、東京メトロを乗り換えようとしたところで、展示会をしていました。

こちらは、交通事故重度後遺障害者の作品のひとつです。

ふと目に入り、「わたしもそう思う。」と、立ち止まりました。

普段の生活の中にある、たのしみ。

みんなが羨ましがるようなもので幸せは手に入らなくて、普段の生活の中に、本当に幸せな瞬間があります。

幸せというものは、相対的なものではなくて絶対的なものだと思います。

本当に幸せな瞬間に、幸せであることに“気付くこと”が大切です。

201709.14

木々と蝉の声

Post by 中西千華 2017年9月14日

今日は、初めて行く病院で勤務させていただきました。

初めての病院での勤務は、かなり久しぶりです。

電車を降りた瞬間から緑がいっぱいで、蝉が鳴いていて、とっても清々しい雰囲気の街でした。

なんだか、地元に帰って来たかのようなホッとした気持ちになり、不思議な感覚でした。

わたしの地元の景色と似ているのかなぁ、どこが似ているかなぁ、などといろいろ考えていました。

森のような場所が多くあったので、もしかしたら森林浴ができたのかもしれません。

木々の癒しの力は凄いです。

残暑の中、幾重にも重なって聞こえる蝉の声にも、癒してもらったように思います。

東京にいると、“頑張らなきゃいけない”というたくさんの人の気持ちがあらゆるところに蔓延しているように感じます。

あらゆるところに、have toが蔓延しています。

他人のhave toで、なぜかわたしが徐々に息苦しくなっていたのかなぁ、とふと思いました。

なんとも素敵な街で、学びも多く楽しい一日でした。

201709.07

友達とはなにか①

Post by 中西千華 2017年9月7日


書き始めようとして、なかなか答えのないテーマだなと感じています。

答えはないのですが、書いてみようと思います。

もう、何ヶ月も前の話ですが、わたしは毎週のように週末にお茶をしたり食事したりしている友達が3人いました。

一緒にいるととても楽しくて勉強になりました。

もともと彼ら3人がいたところに、わたしは彼らによって温かく迎え入れてもらっていたのだと思います。

あるとき、別の知り合いを紹介しようと思い、わたしを含め4人で集まるときにその人を呼んだことがありました。

皆で食事をして楽しく過ごしました。

その後、その知り合いに会ったときに、こう言われました。

「どうして中西さんは、コンフォートゾーンの違う彼らと一緒にいるの? 」

コンフォートゾーンというのは、快適だと感じるものの幅であり、生活すべてにおいてコンフォートゾーンがあります。

その人いわく、「彼らはわたしが付き合う人たちなのか、疑問だ」ということでした。

その人は“healerとしての力”に言及していましたが、どう考えても明らかに収入だけをみて言っているように感じました。

わたしは、気功を始めてから目に見えないものを少しずつ感じるようになり、いろいろなことが透けて見えることがあります。

透視できるわけでも読心できるわけでもなく、肌で感じるというだけですが、おそらくわたしの直感は大きく外れていないはずです。

ちなみに友達3人の収入は、日本の平均収入から乖離していない、普通の収入だったと思います。

「どうして中西さんは、コンフォートゾーンの違う彼らと一緒にいるの? 」

と言われた、わたしの気持ちが想像できるでしょうか。

自分でもびっくりするぐらい、腹が立ちました。

「大きなお世話です。あなたの目はふし穴ですか。」と言いそうになりました。

その人はコーチングのコーチでもあるので、そのことが、残念に思うわたしの気持ちを後押ししました。

一人の人間にはコンフォートが無数にあります。

コンフォートゾーンが近い人たちが集まるとはいうものの、それは、その人がどのコンフォートゾーンを重視するかに依存します。

要は、わたしが一緒にいる人たちがどんな人かは、わたしが何を重視するかに依存します。

それは、わたしが決めることです。

そして、みなさんが決めることです。

抽象度の低い要素だけを見て、友達を蔑まれた感覚でした。

その人自身が寂しいのか、わたしを持ち上げたかったのか、そんなことはわたしに関係ありません。

大切な友達を蔑まれることが、こんなに腹が立つことなのだと、学びました。

ちなみに3人の友達は、稀に見る純粋さを持っている、キラキラしている人たちでした。

201709.04

ありがとうと思ったときにありがとうと伝える

Post by 中西千華 2017年9月4日

毎週決まった曜日、うちの近所に、魚屋さんが小さなトラックで魚を売りに来ます。

最近は月曜日です。

小さなトラックに冷蔵のショーケースがあって、魚や刺身の他に、煮魚やマリネ、玉子焼きなどを売っています。

魚屋のおじさんの年齢は、わたしの父親と同じぐらいに見えるので、60代かなと思います。

以前は料理人をしていたようなことを言っていた記憶があります。

わたしの予想としては、朝早くに魚を仕入れに行って、早朝の段階で総菜類を調理し、売りに来ているのだと思います。

最初に買ったマリネが美味しくて、ときどき仕事帰りに寄るようになりました。

量が多く、1パックで2食分ぐらいの量が入っています。

ここ3週間ぐらい、仕事の帰りが少しだけ遅くなりマリネが売り切れていました。

先週は、おじさんがわたしの顔を見た瞬間、「あ!マリネ売り切れちゃったんだ!ごめんごめん~。来るって分かってたら置いておくんだけど。」と言いました。

わたしが毎週のように「マリネ、売り切れたんですね」と言うもので、顔を覚えてくれたようです。

わたしは仕事柄帰りが遅くなることがあり、買いに行くことを約束できないので、先週は笑ってごまかしてしまいました。

今日仕事帰りに寄ってみると、その時間にはたいてい、売り切れているか1つ残っているかのマリネが、5つか6つありました。

いつも鯵のマリネを買っていたのですが、今日は「鯵」「舌平目」「平目」と3種類あり、パックにマジックで書かれていました。

3種類売られているのは初めてでした。

おススメを聞いたところ、「舌平目かなぁ」と言ってくれたので舌平目のマリネと、今回は玉子焼きを初めて買いました。

おじさんは、「玉子焼きを買うの初めてだね!これも美味しいからねぇ。これも4、5日もつからね。」と言いました。

部屋まで歩きながら、この時間であんなにマリネがあるのはなぜだろうとずっと考えていました。

しかも、3種類あったのは初めてで、なぜだろうなぜだろう、とずっと考えながら帰りました。

どんなに考えても、わたしが来るのを見越して多めに作ってくれていた気がして、いったん部屋に帰ってから、気になってまた出ていきました。

数日もつなら、せっかくなのでお礼を言って買っておこうと思いました。

部屋からおじさんのトラックの場所までは歩いて数分なのですが、おじさんはすでに帰った後でした。

そして、なんともほっこりした気持ちで、いま記事を書いています。

玉子焼きを初めていただいたのですが、玉子焼きからすると、おじさんはおそらく寿司職人だったのだと思います。

次に行ったとき、聞いてみようと思います。

お皿の大きさが分かりにくいですが、写真は1パックの半分以下の量です。

いつもありがとうございます。

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