元旦発売『COMPANY TANK』に掲載していただきました
本日1月1日発売の『COMPANY TANK』に、Creative Coachingを取り上げていただいております。
石黒彩さんとの対談です。
Amazonでは「一時的に在庫切れ」となっておりますが、COMPANY TANKのホームページで記事の閲覧をしていただくことができます。
http://www.companytank.jp/interview/201701/12829/
また、取扱書店は以下のようになっております。
http://www.companytank.jp/shop_list/
都内では、八重洲ブックセンターや、紀伊國屋書店、ブックファースト、丸善などでお取扱いがござます。
(書店・店舗が限られていますので、ご注意ください。)
もしも書店で手に取っていただくことがございましたら、わたしが心をこめたメッセージを受け取っていただけるかと思います。
素晴らしい1月1日を迎えることができ、今年もたくさんの素敵な方々との出会いがあるかと思うと、ワクワクします。
わたしたちが今日考えるのは、“今年の抱負”ではなく、“人生をかけたゴール”です。
考えて、考えない
写真は、ペットトイレ用のシリカゲルです。
ペット用品など、重いものはインターネットの通信販売で購入することが多いです。
球状の形をした、ザ・シリカゲルといったタイプのものを注文するのは初めてで、簡単に言うと、間違えて注文しました。
みなさんも経験があるかもしれませんが、いつも使っている決まった日用品というのは、あまり考えずに買うことがあります。
わたしは今回、インターネットで見た袋の感じが、いつも購入しているものとそっくりなので、よく読まずに注文しました。
動物たちは初めて球状のものがトイレに入ったので、どよめいていました。
トイレがコンフォートゾーンではなくなったのかもしれません。
材質的に軽くていいかなと思っていたのですが、球状で軽いとなると、トイレからこれが1~2粒出てしまうと、動物たちの運動会が始まります。
夜中はたいてい、シリカゲルの跳ねる音と動物たちの走り回る音が聞こえてきます。
それだけなら問題ないのですが、先日動物の口に一粒入ってしまったのを発見し、あわてて口から取り出しました。
シリカゲルが口に入ると粘膜にくっついて危ないので、そろそろ元のものに戻そうと思います。
わたしたちが良く考えずに反射的に決めていることは結構たくさんあって、それらは潜在意識に任せている部分かなと思います。
例えば、みなさん、決まった勤務先に向かうときに、電車の経路や時間を毎日調べないですよね。
到着した駅から勤務先までの道筋を、毎日グーグルマップを見ながら歩かなくても、着くことができますよね。
もっというと、朝起きてから勤務先に到着するまで、特別何も考えなくても、なんとなく到着しますよね。
わたしは数年前に数か月間だけ、毎日異なる病院で勤めたことがあります。
ほぼ毎日、行ったことのない病院に初めて行くという状況でした。
みなさんにも想像していただければと思うのですが、毎日、電車の経路を調べて、駅からの道すじを調べ、トータル時間を計算するというのは、少し疲れる作業でした。
ですので、脳の必要とするエネルギーを考慮すると、優秀な潜在意識に動いてもらう必要があるということです。
ただ、潜在意識にバトンタッチする前に、わたしたちは顕在意識でしっかりと考えて選んでおく必要があります。
潜在意識に上手くバトンタッチできれば、常に顕在意識で考える必要はありません。
日用品の話ではありません。人生の選択の話です。
『あなたは、本当は何を求めていますか?』
現時点でのゴールが決まれば、優秀な潜在意識にバトンタッチしてください。
そして、ゴールはいつでも設定しなおして良いものです。
「このままいくとゴールを達成できる」と感じた時点で、設定しなおす必要があります。
ゴールの更新、ですね。
ゴールの更新は心おきなく遠慮なく、どんどん行ってください。
過去を脱ぐ
昨日肩凝りがひどくて、原因を考えていました。
ストレス源として3つ考えられるものがあります。
一つ目は、歯列矯正の調整をしたばかりなので、歯の動きからくるものです。
二つ目は、金曜日に郵便局から(わたし自身の)個人情報が漏れたとの連絡が入り、そちらに対応する必要があったこと。
そして三つ目は、金曜日に着たダウンジャケットが、肩凝りの原因になっているのではと考えました。
一つ目と二つ目はもちろん原因となりうるものの、三つ目がどうもひっかかっていました。
そのダウンジャケットは買って数年目で、どう考えてもわたしにのしかかってくるようで、それが肩と背中から始まって身体全体を束縛しているような感覚でした。
わたしは物を手入れしながら何年間も使うのですが、「このダウンはもう着ることができないな」と思いました。
ここ数年間、冬場はそのダウンジャケットを毎日のように着ており、重いとか、苦しいとか、感じたことはありませんでした。
物理的なモノの重さというよりも、そのモノに載っている情報があって、それが今のわたしには適さないのだと思います。
情報というのは要するに、捨てるべき過去の情報です。
もしかしたら新しい情報を載せて着てくれる人がいるかもしれないと思い、リサイクルショップに出す準備をしています。
捨てるべき過去は迷わず捨てる。
わたしちは過去に囚われて思い悩むように、なにものかに仕向けられているところがあります。
不必要な過去は、吹っ切る以外に選択肢はありません。
過去を脱いで、未来に向かいましょう。
(写真は、ここ数年間冬場に来ていたジャケットです。これからリサイクルショップに出します。)
利他的とは何か?
わたしはそのときどきにおいて、考え事をいくつかしています。
みなさんもそうかもしれません。
たいていはすぐに答えの出ないものなので、複数のものを長期間に渡って考え続けています。
Adam Grant著『GIVE&TAKE』を読みながら、“徹底したギバー”というものについて考えていました。
この本の中では、ギバー、テイカー、マッチャーという3つの人間のタイプを紹介しています。
Adam Grant氏によると、ギバーは人に惜しみなく与える人(他人の利益を優先させる人)、テイカーは与えるより多くを受け取ろうとする人(自分の利益を優先させる人)、マッチャーは損得のバランスをとる人、です。
本の中に書かれていますが、人間は、これらの中の1つのタイプだけであらゆるシーンに対処しているわけではなく、その時に応じて使い分けている場合がほとんどです。
そしてこれらの使い分けの割合が、人によって異なるかと思います。
この3つのタイプについて考えるだけでも面白くて、(1つのタイプに分類するとしたら)一見テイカーかマッチャーに思われそうな人がギバーだった、とか、身近にありそうだなと考えを巡らせていました。
話を戻しますが、“徹底したギバー”について考えて続けているうちに、「利己的とは何か?利他的とは何か?」という疑問にぶち当たっていました。
わたしはときどき疑問にぶち当たり、さらに考えているうちに、答えだと思われるものと出会います。
「利己的とは何か?利他的とは何か?」
これはなかなか深い疑問で、考えれば考えるほど、堂々巡りになる可能性があります。
「利他的だと思っていたものが、実は結局、利己的なのではないか?」
例えば、人を助けることで“自分”が安心するから人を助けるのではないか、ということです。
みなさん、どう思われますか?
まったく同じ事象を、異なる立場から見ることが可能であり、異なる見解を出すことになります。
しばらく、このことについて考えていたのですが、Adam Grant氏が本の中で引用している文章がありました。
以下、孫引きになりますが、引用します。
動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールが著書『共感の時代へ』(紀伊國屋書店)で書いているように、「利己的か利他的かで分けることは、根本の問題から注意をそらすためのものかもしれない。なぜ自己を他者から、あるいは自己から他者を引き離そうとするのだろう。この二つを一体化することが、人間の共同性に隠された秘密であるというのに」
ここに答えがあるような気がして、「そういうことか」と、納得しました。
これ以上書くと引用した文章が濁るような気がするので、ここでこの記事は終わりにします。
「悩む」のではなく「考え抜く」。
とってもとっても、大切だと思います。
本を選ぶ
わたしは読書が好きで、出かけるときはたいてい本を1~2冊持っています。
本と同時に、電子書籍の入ったiPadを持っていることも多いです。
本はAmazonで買うことが多いのですが、先日、本屋さんで本を買いました。
本屋さんで立ち読みをして選んだわけなのですが、久しぶりに本選びで失敗しました。
良書に出会えればラッキー、と捉えている反面、今の自分にとって必要のない本を選んだことに、「あら」と思いました。
わたしは本をきちんと読むとき、3色ボールペンを持って線を引いたり書き込んだりしながら読みます。
ボールペンの色や、線やマークの種類を変えながら書き込みます。
特に理解できないところには、「?」を付けます。
その本は、欧米圏の方が諸子百家の思想について論じているものでした。
孔子の項目を読み終わり、その他の諸子百家の思想について書かれているところを少し読み、本全体の1/3ぐらい読んだところで「読むのをやめよう」と思いました。
その時点でたくさん「?」などを書き込んでしまっていて、中古本屋さんに持って行きづらくなりました。
そして今、本屋さんで本を買うときの失敗を防ぐための、予防策を考えています。
良書に出会えればラッキーという考えは変わっていないのですが、あまりに必要のない本を買うと、いろいろなものがもったいないと感じます。
3点挙げてみます。
①本屋さんで本を手に取るとき、「速読」して内容を確認します。この後、もう一段階加えて、必要に応じて一部「浅めの熟読」という段階が必要な場合があると感じました。
②翻訳本というのは翻訳者によって、本の質に天と地ほどの差が出ます。翻訳本の時は、原著の表現はどのような表現なのだろうかと考えながら読み、翻訳者が正確に翻訳しているか推測します。
③帯にキャッチ―な文章が書かれていたり、権威を感じさせる単語が用いられている場合はいつもよりも注意が必要かなと思います。
たぶん今回は、①の「浅めの熟読」を5分でもしていれば買わなかったなぁ、と次に生かそうと思います。
なお、速読して、だいたい内容が分かるようであれば、買う必要がないです。
専門的過ぎて全く理解できない本も読み進められないので買う必要がなく、だいたい5~6割ぐらい理解できるものがちょうど良いのかもしれません。
また、翻訳本は注意が必要で、今回買った本は、欧米圏の方が諸子百家の思想について書いた本の翻訳本でした。
簡単に書くと、伝言ゲームというのは通常段階的に純度が下がるものであり、最後に伝えられるものはもはや原形をとどめていないことがよくあります。
その本からは、そんな印象を受けました。
人生の時間というのは限られていて、読む本の冊数というのも限界があります。
読む本が多ければ良いというものではなく、みなさんそれぞれにとって激選された良書に出会っていただくことができれば、わたしも嬉しく思います。
reader読者登録
ブログ購読をご希望の方はこちらからご登録ください。