苦手な人への接し方
少し抽象度の低い話のようですが、苦手な人の存在は実生活ではよくある問題です。
みなさんの周りに、なんだかどうしても苦手な人が、一人か二人いないでしょうか。
いったん気になり始めると、その人の言動が細かく気になることがあるかもしれません。
そして、「他人は自分の鏡」というフレーズを思い出して、「本当かな?鏡なのかな?」と悩むことがあるかもしれません。
いまわたしには特別苦手な人がいませんが、人間なので、ときどきこの人苦手だなと思うことがあります。
そんなとき今のわたしならどうするか、参考までに書いてみます。
①なぜ、その人と出会ったのか、理由を考える。
わたしはその人と出会った理由を、とことん考えることが多いです。
ある人と出会う理由は、わたしがその人から何か学ばせていただくことがあるから出会ったのだと考えています。
「なぜ出会ったのだろう。なぜ気になるのだろう。鏡と言うならば、わたしの何を見せてくれているのだろうか。」と。
たいていはそうやって考えているうちに、感謝の気持ちがわいてきて、いつの間にか苦手ではなくなっています。
不思議ですね。
でも、実際にわたしがやっていることは、自分のマインドを変えていることに他ならないように思います。
マインドとは、脳であり、心ですね。
相手に何か要求したり働きかけたりすることはありません。
自分のマインドを凝視しているうちに、謎が解けてきてマインドが変化し、苦手ではなくなっています。
②距離を置く。
上とは真反対のようにも思えますが、「苦手だ」とイライラしているうちは抽象度が下がっているので大切なことが見えなくなります。
俯瞰するためには、いったん、その人から遠くに自分を置きます。
物理的に離れるのは難しくても、気持ちを遠くに置くことは可能です。
無視したりするわけではなく、なんとなく離れる。
意外とできるものなので、一度やってみてください。
②と同時に①の作業をすることになります。
①と②をしていると、他人を変えようとすることなく、苦手だった人がいつの間にか苦手ではなくなります。
自分で自分のマインドをコントロールすることは難しいように思えますが、必ずできます。
写真のように、わたしたちそれぞれの水面に、一石を投じてくれる人というのは、とてもとても有難い存在です。
再び、矯正。
昨日、再び歯列矯正の器具を付けてもらいました。
今年の6月上旬に歯列矯正がひと段落し、器具を外してもらっていました。
それから2カ月半ぐらい経ちます。
リテーナーという保定器具を付けていたにもかかわらず、矯正器具を外された歯はなぜか動くもので、上の歯のみ矯正器具を再装着することになりました。
担当の歯科医師の予想以上に、歯が動いたようです。
一般的に、歯列矯正後の“後戻り”と呼ばれますが、完全に歯並びが変わってしまっているので後には戻れません・・・。
自分の歯を見ていると、どうも、それぞれの歯が行きたいところに着地しようとしているように見えます。
なんとも不思議ですね。
わたしとしては、それぞれの歯の行きたいところで着地してもらえばいいかなと思っていましたが、歯科医師は再装着の判断をしました。
昨日、矯正器具を再装着したので、上の歯が動き始め痛みが出ています。
面白いことに、再装着してもらったとき、なんだか“懐かしい”感じがしました。
“懐かしい”と思っている自分に少し驚きました。
脳の機能は本当に面白くて、歯の感覚でいろいろなことを瞬間的に思い出すのだなと感じました。
2年間矯正器具を付けていたので、脳がその状況に慣れてしまっていたのですね。
慣れというのはすごくて、食べ物の選択が、瞬時に矯正時のモードに切り替わりました。
歯に鈍痛があるので硬いものを避け、カレー類は色素がブラケットに付くので食べません。
買い物をするときに、わざわざ考えなくても適当なものを選んでいます。
脳の機能=マインドの機能、は面白いです。
わたしたちは、脳の機能を上手く扱う方が、より楽しく生きることができる可能性があります。
自分自身の視線を過去サイドでなく未来サイドに瞬時に向けるように、また、ネガティブでなくポジティブな状態を維持するように。
結局のところ何を選択しても良くて、見たいものを選ぶのはわたしたち自身です。
アイスブルーのレギンス
最近のわたしの普段着は、デニムかチノパンツにTシャツです。
最近といっても、かなり長い期間、このファッションでいるような気がします。
冬場はTシャツが長袖になり、カーディガンかパーカー、ストール、そしてダウンがプラスされます。
ふだん、休みの日に洋服を買うために出かけるということはほとんどありません。
おそらく・・・、今は、わたしの中で洋服の重要度が低くなっているのですね。
先日、友人が洋服を見に行きたいと言うので、銀座に一緒について行きました。
特に興味がなかったので最初はなんとなく見ていたのですが、友人が楽しそうに選んでいるのを見るとなんだかわたしも楽しくなってきました。
わたしが同調したのかもしれませんね。
数着購入したのですが、その中のひとつが、写真のレギンスです。
絶妙な色をしているので色について少し調べたところ、アイスブルーという色に近いようです。
写真は先週の金曜日で、久しぶりに“いつもの服装”ではない服装で出かけました。
不思議なもので、どんよりした天気でも、綺麗な色の服を身に着けていると気持ちが良かったです。
最近、皮膚の本や免疫の本を読んでおり、その中に、皮膚が色を認識する可能性について書いているものがありました。
アイスブルーの清々しい感覚に、「あ、確かに」と、少し納得しました。
おそらく、黒のレギンスだったらそれほど気分の変化がなかったのかもしれないなと思います。
誰にでも、「わたしにはこれが似合う」と考えているファッションがあるような気がします。
男性でしたらポロシャツが好きだったり、女性でしたらワンピースをたくさん持っていたり・・・。
冒頭で書いたように、わたしにもあります。
わたしの場合は洋服の重要度がそれほど高くないので、洋服に充てる思考のエネルギーを極力減らしているところがあります。
でも、「わたしにはこれが似合う」といったん思い込んでしまうと、もっともっと似合うものが見えなくなるなぁと感じました。
洋服に限らず、人生におけるいろいろなことに言えるのではないかと思います。
この世界にはわたしたちそれぞれが知らないことが溢れるほどあって、わたしたちはさらに、新しいものをCreateすることができます。
“新しいものをCreate”する。
わたしたちそれぞれが持っているCreateする力を、いつだって忘れてはならないなと、ふと思いました。
天気と体調
東京では天気がよくない日が続いています。
どんよりしていて、雨が降ったり降らなかったりの毎日です。
今週は、いくつかの勤務先のスタッフから、洗濯物が乾かないから困っているという話を聞きました。
コインランドリーでは乾燥機を使いに来ている人達がたくさんいて、順番待ちをしていたそうです。
天気が良くない日に、体調が優れなくなることがあります。
わたしにとっては珍しいことではないのですが、曇りの日が続いているので記事にしてみようと思いました。
わたしの専門は麻酔でそれほど詳しくはないので、読み物としてお読みいただけると嬉しいです。
いろいろな人が本を書かれているのではないかと思うので、ご興味を持たれた方は調べてみてください。
天気が良くない日に起きている環境変化として、次の4つを挙げます。
① 低気圧
② 日照時間の減少
③ 高い湿度
④ 温度変化
これらすべてが、人間の身体に影響を及ぼす可能性があります。
症状としては、頭痛や、気分の落ち込み、体のむくみ、めまい、喘息の悪化、関節その他の痛み、なども考えられます。
血管系の病気も起きやすいと言われています。
手術室で勤務している印象として、血管系の病気で緊急手術が必要なもの、たとえば脳出血とか、大動脈解離などは“冬場、気圧が下がって雪が降り、急激に寒くなった日”に多いように思います。
また、①~④の一つが、一つの症状を起こしているのではなく、さまざまな変化が作用して一つの症状が出てくるように感じます。
例えば、気分の落ち込みについて考えてみます。
低気圧でなんとなく身体がむくみやすく重くなりますし、日照時間も気分に作用します。
また、高い湿度を皮膚が不快だと感じる不快感も、原因として考えられます。
他の症状も、複数の要因が関係しているように思います。
ただ、やはり、低気圧による影響が最も大きい印象は否めません。
では、さまざまな症状に対してどうすればよいのでしょうか・・・。
天気によって体調が変化することは自然な現象です。
かつ、西洋医学の薬は基本的に身体にとって良くありません。
ですので、症状の程度によりますが、できるだけ薬は用いず、生活の中で工夫することをお勧めします。
少しの時間でも日が射しているときには日光浴をしたり、お風呂はシャワーではなくお風呂に浸かったり。
ただし、喘息の悪化は医療の介入が必要ですし、血管系の病気は緊急手術の適応です。
わたしは、天気による体調の変化が“自然な現象”だと思っていたのですが、ちまたでは「気象病」という立派な名前まで付いているのを最近知りました。
せっかくついた名前ですが、気象病は病気ではなく、自然な現象に病名を付けています。
東京ではしばらく曇りの日が続くのかもしれませんが、わたしは部屋にお花を飾ろうと思います。
オブジェ
一か月以上前に、妹の一人がわたしの部屋に遊びに来てくれました。
昨年わたしが今の部屋に引っ越してから、初めてでした。
「この大きなオブジェ、何?」
と言われたので振り返ると、キャットタワーを珍しそうに眺めていました。
わたしの部屋にあるキャットタワーは、わたしの身長より大きいです。
猫達のために置いてあるのですが、たまたま猫達がそこにいなかったのもあり、彼女の目には“オブジェ”として映ったようです。
これまで、キャットタワーを見たことがなくて知らなかった、ということですね。
見たことがないものって、認識できないんだなぁ、と、改めて感じました。
猫を飼っている人のほとんどは、室内飼いの猫には運動するための遊び場が必要だと知っています。
ですので、分かりやすいキャットタワーではなくても、猫のための遊び場は即座に認識できます。
ではどうして“オブジェ”だと思ったのでしょう。
彼女は、美術系の学校を卒業していて、演劇の大道具に興味を持っていた時期があります。
美術や大道具が今でも好きなので、たまたま、“オブジェ”として目にとまったのだろうと思います。
もしも、“オブジェ”として目にとまらなかったら、スコトーマ(盲点)に入ってしまい、意識にさえ上らなかったのでは思います。
そう考えると、わたしたちの視界に存在しているのに認識していないものは、たくさんあります。
見ているのに、見ていない。
心あたりがある方もいらっしゃるかもしれません。
自分にとって大切なものは何か、ゴールは何か、意識してください。
そうすることによって、見えていなかった中から大切なものが浮き上がって視界に入ってきます。
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