201607.15

キーホルダー

Post by 中西千華 2016年7月15日


これは、部屋の鍵をつけていたキーホルダーです。

キーホルダーから鍵が外れなくなり、うんともすんとも言わなくなっていました。

昨日、靴の修理屋さんで大きなペンチを使って壊していただきました。

引っ越しをしたいという気持ちもあり、鍵をキーホルダーから外したいと、心のどこかでずっと思っていて、ついに実現しました。

ペンチで切っていただいた瞬間、かなりすっきりしました。

「鎖からようやく放たれた」という印象です。

みなさんも、心のどこかで引っかかっていることが何かあるかもしれません。

潜在意識にうまくおとしておけば、タイミングよく実現します。

でも、意識でコントロールしてすぐに実現できるならば、行動してください。

いま、鍵には鎖ではなくクマのキーホルダーを付けています。

201607.14

もの食ふ人々

Post by 中西千華 2016年7月14日


東京に上京してから受けたカルチャーショックのひとつについて、考えていました。

東京では、一人で歩きながら、もしくは一人で電車の中で、パンやお菓子を食べている人をよく見かけます。

最初見たときは、かなり驚きました。

わたしにとっては、地方ではあまり見ない光景だと感じました。

先日、朝の比較的混んでいる電車の中で、カバンの中にあるお菓子の袋からゴソゴソとチョコレート菓子を食べている人を見かけました。

朝の7:30に、混んだ電車の中で立ったまま、なぜチョコレート菓子をむさぼる必要があるのか。

これは日本社会の仕掛けた罠が、特に東京において顕著に現れているものと考えています。

食欲は人間の煩悩のひとつであり、なくては生きることができません。

しかし、食欲というのはお腹がすいたら食事をする、それだけです。

東京における食欲の異常な表現のされ方は、わたしにとっては違和感を感じざるを得ません。

では、この罠は何か。

苫米地英人博士も多数の著書で指摘されているように、(他の国に関しては知識がないのでなんとも言えませんが)日本社会は「飢餓への恐怖」を人々にうえつけることで、恐怖をもちいて人々をコントロールしているように見えます。

その表現型として表れているものの一つとして、上記に書いたような異常な食行動があるのだと考えています。

おそらく、駅のホームでパンを食べながら歩いている人たちは、特別なにも考えていません。

食行動がどうのという以前に、「なにも考えていないこと」が大問題だと、わたしは感じます。

201607.14

「ハウルの動く城」

Post by 中西千華 2016年7月14日

昨日、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」を観ました。

数日前からYouTubeで宮崎駿監督のインタビューを見ており、宮崎駿監督の世界を(再度)みたいと感じ、持っていたDVDを観ました。

新しく感じたことがたくさんありました。

みなさんと同様に、わたしも日々変化しています。

今日のわたしは昨日のわたしとは異なります。

「ハウルの動く城」で新たに感じたこと、スコトーマが外れたことがたくさんあったので、それについて少し書こうと思います。

宮崎駿監督が意図しているところと、わたしが感じたことは違っているかもしれないし、違っていて良いと考えています。

宮崎駿監督の意図は確実に存在します。それと並行して、映画を観るたび、人に「何か」を感じさせることが、宮崎駿監督の意図のような印象も受けます。

昨日観た中で最も印象に残ったシーンのひとつについて書きます。最後のあたりのシーンです。

ソフィーがハウルにカルシファーを戻し、ハウルが目覚めたとき、ハウルは身体の重さをうったえました。

そのときソフィーが「心って重いの」と言っています。

「心って重いの」

そう、心は重いのです。

コーチングでは、脳=心=マインドですが、心を見せろといって脳をみせようと考える人は少ないと思います。

なぜならば、脳は物理空間の存在であり、心とマインドは情報空間の存在なので、脳をみせることは心やマインドをみせることにならないからです。

存在している場所が違います。

かといって、わたしたちの心やマインドは確実にあります。

その存在は物理空間では見えないけれども、確実に「重い」ものです。

まさに、心って重いのです。

201607.13

非常識になる

Post by 中西千華 2016年7月13日


最近、「医師免許があるにもかかわらず、転職するなんて、すごいね」という内容のことを、ある友人に言われました。

もちろん、転職しておりません。

医業という職人としての仕事もあるし、コーチとしての活動もあるだけです。

以前、わたしが経営学を学ぶことを母親に伝えたときに、「せっかくお医者さんになったのに何を言っているの」と言われたことを書きましたが、そのとき、「あなたこそ何を言っているんだい」と思いました。

同じ違和感を感じました。

わたしは決して天才ではないし、特殊ではありません。

ただ、日本において常識的な人間ではないかもしれないだけです。

日本人はどうも、仕事は一つ持つ、という「常識」にとらわれています。

その呪いから解き放たれてください。

やりたいことはどんどんやってください。

本気で楽しんでください。

そして一番大事なことは、「誰に何を言われようとも気にしてはいけない」ということです。一切、気にしないでください。

一切、です。

日本で根強く存在しみなさんを束縛している常識や体裁ほど、存在価値のないものはないと思います。

非常識だと言われたら、おおいに喜んでください。

常識から抜け出す人間が増えれば増えるほど、日本の、世界の、宇宙の可能性は大きくなります。

201607.13

クッキー

Post by 中西千華 2016年7月13日


昨日の勤務先で、帰りにクッキーをもらいました。

スタッフの方が、わたしに会えないからと、他のスタッフに預けてくれていました。

マジックでわたしへのメッセージである笑顔が書いてありました。

よく、「プレゼントは自己満足」と聞くことがありますし、わたしも人にプレゼントするときは自分が喜びをもらうなぁと感じながらプレゼントします。

ですので、あげる側のときは「自己満足」のつもりで、というのは良いのかもしれません。

でも、もらう側としては、いろいろなことを感じるもので、是非いろいろなことを感じていただければいいなと思います。

わたしは形式だけのプレゼントをもらうことはほぼないので、何かいただくと、都度そのことについて考える習慣があります。

「ふとわたしのことがこの方の情報空間に浮かんだのだな」とか、「この方は本当はがんばりすぎて疲れてはいないかな」とか「なにかあったのかな」とか、いろいろなことを考えます。

同時に、普通に嬉しいなと感じます。

伝えたいこととしては、たびたび書いていますが、「意味をよく考える」習慣は大切だということです。

同じような事象でも、必ず特有の意味が含有されていて、以前経験したものと全く違うものであることがほとんどです。

小さなことでもよく考える習慣は大切です。

でも、考えることはエネルギーを使うことなので、ときどき休んでも問題ありません。

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