201609.21

自由への扉

Post by 中西千華 2016年9月21日

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日本で若者が未来を考えるときに、どうすればwant toのことを選択できうるのか、考えていました。

たしか自分が高校生のとき、自分に職業についての知識があまりに少ないことに問題を感じ、職業の辞典のような本を買った記憶があります。

その本には、各職業の内容や、その職業に就く方法、試験の合格率などが書かれていました。

そのころテレビで、資格取得についてのことをよく取り上げていたのも影響しているかもしれません。

その本を読んで医学部に決めたのではありませんが、日本の教育システムに問題があるために職業の本を買わざるを得なかったのかもしれないと感じています。

一般的に日本の教育は、want toのことを見つけなさい、とは決して教えてくれません。

高校は、○○大学○○人入学という進学率をゴールにしている部分があり、大学は大学で、就学率や公務員試験合格率などをゴールにしている部分があります。

教育機関のゴールが「率」で表されるものである以上、人びとを過去に縛り付けることで奴隷のような生き方しか選択できない人たちを増やすことになります。

逆に、そうさせることで利益を得ている人たちがいて、彼らにとっては奴隷を増やすことが目的である側面があります。

確かに、敷かれたレールを生きるのは考える必要がないという点で楽なのかもしれません。

ただ、本気で人生を楽しむことを決めたなら、奴隷のような生き方をやめる必要が出てきます。

わたしたちが今、どこかの組織に属していているとしても、その中で自由になることは可能だと思います。

その第一歩は、「今の自分が置かれている状況」を徹底的に意識に上げることだと考えます。

漫然と組織の中にいると、コンフォートゾーンから抜け出ることが難しくなります。

毎瞬間、自分はどれくらい自由か考え意識に上げることで、さらなる自由への扉が見えてくると思います。

世界を変えるのは、たいてい、異端児です。

生き方に正解はなく、恐れるに値するものは何もありません。

201609.21

片付けと過去

Post by 中西千華 2016年9月21日

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ここ1週間ほどの間に書いて投稿していなかった記事を、順次投稿します。

現部屋の片付けがラストスパートに入りました。

わたしは勝ち負けをあまり好みませんが、半ば過去の自分に勝つべく、部屋にあるモノと対峙しています。

モノを片付けていると、嫌でも過去の自分と向き合う必要が出てきて、過去の自分が目の前にいるような感覚の時があります。

あるモノを捨てるかどうか決める際には、完全に未来に立ち、未来の自分にとってそれが必要かどうかを決めるようにしています。つまり、未来のコンフォートゾーンにおいて、そのモノが存在するのかどうかを見ています。

そうなってくると、容易に予想できますが、実はほとんどが過去のモノであり、未来においてそれらは必要ないのではないかと思えてきます。

未来からの視点を持つと同時に、一つ一つのモノたちにとって、どうあるのがベターなのか考えながら作業しています。

わたしは、使っていないモノがあれば、使ってくれる人に譲る方がモノが生きると思います。

できるだけ全てのモノが生きることを考えると、随分いろいろなモノが次の持ち主のところへ行きました。

いま部屋にある持ち物の中で一番古いものを考えてみると、19歳のころに親に買ってもらったスケート靴かなと思います。

アイスホッケーをしていた時期が少しだけあり、防具はかなり前に現役選手にゆずりました。

スケート靴は、スニーカーなどよりもはるかに各個人の足型になるので人に譲れるものでもなく、ずっと持っています。

アイスホッケーを始めたとき、妹の一人と一緒に始めたのですが、防具一式とスケート靴は決して安いものではありません。

わたしの実家は一般家庭で、子供を甘やかせる余裕は全くなかったはずなのに、何も言わず大阪のアイスホッケー道具のお店に連れて行ってくれた親は本当に凄いなと、ずっと感謝しています。

なんとなくわたしのスケート靴は良い気をまとっており、対峙できないので、持っていようと思います。

201609.08

『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』

Post by 中西千華 2016年9月8日

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『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(Batman v Superman: Dawn of Justice)を観ました。

Ben Affleck(バットマン)、Henry William Dalgliesh Cavill(スーパーマン、クラーク・ケント)は素敵としか言いようがなく、スパーマンの恋人役であるAmy Lou Adams(ロイス・レイン)もなんとも魅力的です。この映画で、Henry William Dalgliesh Cavillのファンになりました。

他に注目すべき登場人物として、レックス・ルーサーJr.がいます。

わたしはまだこの映画のストーリーの理解が不足しているのでまた観たいと思っているのですが、今回感じたことを一つの視点から書こうと思います。

あくまでもわたしの視点のうち、一つの視点に限って書きます。

わたしはこの映画で、ヒーローが「善(正義)と悪」の間を行ったり来たり彷徨って描かれているように感じました。

スーパーマンは基本的に「善(正義)」にいるのですが、葛藤しているように見えます。

バットマンは、善と悪の間をまさに彷徨っているように見えます。

レックス・ルーサーJr.は今回の位置づけとしては「悪」として存在してるように見えます。

本来はヒーローというのは迷いをもたないのかもしれませんが、スーパーマンとバットマンの人間味のある部分が、わたしには魅力的にうつりました。

言いたいことは、わたしたちが、人生において決めるべきことは「何を選ぶか」だけだと思います。

わたしたちは、なんでも選ぶことができ、人生の選択においては善悪というものは存在しません。

本当の意味で‟自分自身で”選択すること、それが人生の全てです。

わたしたちの選択は(他人に危害を加えるものでない限り)全て正しいです。

201609.06

want toの強さ

Post by 中西千華 2016年9月6日

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わたしの妹たちのうち、一人はプロの陶芸家です。

大学院を卒業してからある会社に就職し、そちらで数年間会社員をしたのち、退職しました。

数年間の会社員のころ、彼女はhave toで仕事をしていました。

そして退職後、want toで動き始めました。

わたしはコーチとして彼女と関わっているわけではなく、妹たちはコーチングに興味がありません。

want toで立ち上がったのは彼女自身の力なのですが、彼女を見ていると「want toの強さ」をしみじみと感じます。

まさに「生き返った」という印象で、曜日関係なしに楽しそうで、忙しそうにしています。

want toで動き始めた人間というのは強く、ゴール設定もクリアで、話を聞いていてすがすがしいものがあります。

インターネット上に情報を載せていないので、ここで御紹介させてください。

9月末から、彼女が京都で個展を開きます。

もしお近くにお住いの方がいらっしゃいましたら、「want toの強さ」を見に行っていただければと思います。

彩りの器ーColoring Ware FUMI NAKANISHI Exihibition

Gallery Maronie3階(京都市中京区河原町四条上る塩屋町332)

2016年9月27日(火)~10月2日(日)

201609.06

結婚ー①結婚観

Post by 中西千華 2016年9月6日

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数ヶ月前にコーチの友人が書いていた結婚に関する記事が面白かったので、わたしも書いてみようと思い立ちました。

第一弾ということで、結婚観とします。

30代で結婚していなくて、かつコーチのライセンスのあるわたしが書くと、おそらく面白いのではと思いました。

人間は日々変化しており、わたしも毎日変化しているので、”現時点”での”わたしの”結婚に対する考えを書いてみます。

わたしは、日本の儒教文化から99%脱洗脳している状態ですので、「日本の常識」から考えると非常識であることを始めに書いておきます。

(1%はわたしのスコトーマ分です。)

はじめに、一言でいうと、結婚に対してあまり興味がありません。

結婚という法的な形式には興味がありませんが、人生を共に歩むことのできる人がいると楽しいと思います。

男性に言われる可能性のあるセリフとして、いろいろなシチュエーションを想像しており、面白いのでわたしの思考を紹介します。

全て思いついたものではなく、日本の女性がキュンとするらしい、プロポーズの言葉からピックアップしたものもあります。

①男性に、「結婚したら仕事をやめて専業主婦になってほしい」と言われた場合。

➡「ぷはっ!」と笑って、いったん席を立ってパウダールームに行き、戻ってから丁重にお断りするかもしれません。「わたしにはmissionがあるので」と。

②男性に、「君を幸せにするよ」と言われた場合。

➡「わたしはすでに比較的幸せなのですが、それでもよいでしょうか」と答えるかもしれません。

③男性に、「俺について来てくれ」と言われた場合。

➡「あなたは、わたしについて来れますか」と答えるかもしれません。

④男性に、「君のために生きたいと思う」と言われた場合。

➡「わたしのために生きていただくことは、わたしにとってそれほど喜ばしいことではないので、もう少しだけ抽象度を上げていただけますでしょうか」と答えるかもしれません。

①~④をながめると、儒教文化の中では、自分はなんと小難しいのだろうと思います。

要するに、わたしは男性と女性が対等だというのが当然の認識であり、儒教文化が色濃く存在する日本においては浮いてしまいます。

ある人との結婚が本当に必要だと判断した場合は、こちらからお願いする可能性が高いのかもしれないなと思います。

そして、結婚が本当に必要な状況というのは、実際のところ実はあまりないような気もします。

結婚という法的な形式はどうであれ、御縁があって一緒に人生を歩むことになった人とは、お互いのスコトーマを外し、かつお互いのエフィカシーを上げることができればいいなと思います。

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