片付けと過去
ここ1週間ほどの間に書いて投稿していなかった記事を、順次投稿します。
現部屋の片付けがラストスパートに入りました。
わたしは勝ち負けをあまり好みませんが、半ば過去の自分に勝つべく、部屋にあるモノと対峙しています。
モノを片付けていると、嫌でも過去の自分と向き合う必要が出てきて、過去の自分が目の前にいるような感覚の時があります。
あるモノを捨てるかどうか決める際には、完全に未来に立ち、未来の自分にとってそれが必要かどうかを決めるようにしています。つまり、未来のコンフォートゾーンにおいて、そのモノが存在するのかどうかを見ています。
そうなってくると、容易に予想できますが、実はほとんどが過去のモノであり、未来においてそれらは必要ないのではないかと思えてきます。
未来からの視点を持つと同時に、一つ一つのモノたちにとって、どうあるのがベターなのか考えながら作業しています。
わたしは、使っていないモノがあれば、使ってくれる人に譲る方がモノが生きると思います。
できるだけ全てのモノが生きることを考えると、随分いろいろなモノが次の持ち主のところへ行きました。
いま部屋にある持ち物の中で一番古いものを考えてみると、19歳のころに親に買ってもらったスケート靴かなと思います。
アイスホッケーをしていた時期が少しだけあり、防具はかなり前に現役選手にゆずりました。
スケート靴は、スニーカーなどよりもはるかに各個人の足型になるので人に譲れるものでもなく、ずっと持っています。
アイスホッケーを始めたとき、妹の一人と一緒に始めたのですが、防具一式とスケート靴は決して安いものではありません。
わたしの実家は一般家庭で、子供を甘やかせる余裕は全くなかったはずなのに、何も言わず大阪のアイスホッケー道具のお店に連れて行ってくれた親は本当に凄いなと、ずっと感謝しています。
なんとなくわたしのスケート靴は良い気をまとっており、対峙できないので、持っていようと思います。
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