アンカー
昨日、歯医者さんでアンカリングしてもらったので、アンカリング記念にアンカーの記事を書きます。
これはわたし自身のレントゲン写真です。
真ん中にみえる釘のようなものは、矯正歯科で用いるスクリューです。
このスクリューは歯槽(骨)に刺されていて、アンカー=錨として機能します。
スクリューに向かって歯がダイナミックに動きます。
アンカーとトリガーはコーチングではあまり使わない用語ですが、説明します。
アンカーは「錨」であり、心の状態としては「記憶しておく」状態を指します。つまり、いつでも引き出せるように人間の脳内に埋め込んだ「ある心理状態もしくは体感状態」のことをアンカーといいます。
そして、その心理状態を引き出す「引き金」の役割を果たすのがトリガーです。
良い例があまり浮かばないのですが、コーチングと繋がるような例をあげると、「ゴールのイメージ」と「アファメーションを書いた紙」がアンカーとトリガーに近いのかなと思います。
わたしはアファメーションをプリントアウトして冷蔵庫に貼っています。
アファメーションは最初のうちは読みますが、暗記してしまうと文字を読まなくても紙を見た瞬間にイメージがわくようになってきます。
たとえば、このトリガーとして機能している「アファメーションを書いた紙」を、もっと接する頻度の高いものに変えることが可能だと思います。
髪を触る、歯を磨く、顔を洗う、などにより「ゴールのイメージ」がぱっとわくようにすると、アンカーを呼び起こす頻度が高くなりゴールを視覚化する頻度が高くなることになります。
少しわかりにくい説明になってしまいましたが、わかりにくい理由はわたしの理解がまだ未熟だからです。
次にスクリューが入ることがあったときに、「続 アンカー」の記事を書けるよう、理解を深めたいと思います。
キーホルダー
キーホルダーから鍵が外れなくなり、うんともすんとも言わなくなっていました。
昨日、靴の修理屋さんで大きなペンチを使って壊していただきました。
引っ越しをしたいという気持ちもあり、鍵をキーホルダーから外したいと、心のどこかでずっと思っていて、ついに実現しました。
ペンチで切っていただいた瞬間、かなりすっきりしました。
「鎖からようやく放たれた」という印象です。
みなさんも、心のどこかで引っかかっていることが何かあるかもしれません。
潜在意識にうまくおとしておけば、タイミングよく実現します。
でも、意識でコントロールしてすぐに実現できるならば、行動してください。
いま、鍵には鎖ではなくクマのキーホルダーを付けています。
もの食ふ人々
東京に上京してから受けたカルチャーショックのひとつについて、考えていました。
東京では、一人で歩きながら、もしくは一人で電車の中で、パンやお菓子を食べている人をよく見かけます。
最初見たときは、かなり驚きました。
わたしにとっては、地方ではあまり見ない光景だと感じました。
先日、朝の比較的混んでいる電車の中で、カバンの中にあるお菓子の袋からゴソゴソとチョコレート菓子を食べている人を見かけました。
朝の7:30に、混んだ電車の中で立ったまま、なぜチョコレート菓子をむさぼる必要があるのか。
これは日本社会の仕掛けた罠が、特に東京において顕著に現れているものと考えています。
食欲は人間の煩悩のひとつであり、なくては生きることができません。
しかし、食欲というのはお腹がすいたら食事をする、それだけです。
東京における食欲の異常な表現のされ方は、わたしにとっては違和感を感じざるを得ません。
では、この罠は何か。
苫米地英人博士も多数の著書で指摘されているように、(他の国に関しては知識がないのでなんとも言えませんが)日本社会は「飢餓への恐怖」を人々にうえつけることで、恐怖をもちいて人々をコントロールしているように見えます。
その表現型として表れているものの一つとして、上記に書いたような異常な食行動があるのだと考えています。
おそらく、駅のホームでパンを食べながら歩いている人たちは、特別なにも考えていません。
食行動がどうのという以前に、「なにも考えていないこと」が大問題だと、わたしは感じます。
「ハウルの動く城」
昨日、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」を観ました。
数日前からYouTubeで宮崎駿監督のインタビューを見ており、宮崎駿監督の世界を(再度)みたいと感じ、持っていたDVDを観ました。
新しく感じたことがたくさんありました。
みなさんと同様に、わたしも日々変化しています。
今日のわたしは昨日のわたしとは異なります。
「ハウルの動く城」で新たに感じたこと、スコトーマが外れたことがたくさんあったので、それについて少し書こうと思います。
宮崎駿監督が意図しているところと、わたしが感じたことは違っているかもしれないし、違っていて良いと考えています。
宮崎駿監督の意図は確実に存在します。それと並行して、映画を観るたび、人に「何か」を感じさせることが、宮崎駿監督の意図のような印象も受けます。
昨日観た中で最も印象に残ったシーンのひとつについて書きます。最後のあたりのシーンです。
ソフィーがハウルにカルシファーを戻し、ハウルが目覚めたとき、ハウルは身体の重さをうったえました。
そのときソフィーが「心って重いの」と言っています。
「心って重いの」
そう、心は重いのです。
コーチングでは、脳=心=マインドですが、心を見せろといって脳をみせようと考える人は少ないと思います。
なぜならば、脳は物理空間の存在であり、心とマインドは情報空間の存在なので、脳をみせることは心やマインドをみせることにならないからです。
存在している場所が違います。
かといって、わたしたちの心やマインドは確実にあります。
その存在は物理空間では見えないけれども、確実に「重い」ものです。
まさに、心って重いのです。
非常識になる
最近、「医師免許があるにもかかわらず、転職するなんて、すごいね」という内容のことを、ある友人に言われました。
もちろん、転職しておりません。
医業という職人としての仕事もあるし、コーチとしての活動もあるだけです。
以前、わたしが経営学を学ぶことを母親に伝えたときに、「せっかくお医者さんになったのに何を言っているの」と言われたことを書きましたが、そのとき、「あなたこそ何を言っているんだい」と思いました。
同じ違和感を感じました。
わたしは決して天才ではないし、特殊ではありません。
ただ、日本において常識的な人間ではないかもしれないだけです。
日本人はどうも、仕事は一つ持つ、という「常識」にとらわれています。
その呪いから解き放たれてください。
やりたいことはどんどんやってください。
本気で楽しんでください。
そして一番大事なことは、「誰に何を言われようとも気にしてはいけない」ということです。一切、気にしないでください。
一切、です。
日本で根強く存在しみなさんを束縛している常識や体裁ほど、存在価値のないものはないと思います。
非常識だと言われたら、おおいに喜んでください。
常識から抜け出す人間が増えれば増えるほど、日本の、世界の、宇宙の可能性は大きくなります。
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