メディア

わたしはテレビを持っていません。
勤務先にテレビがあることが多いので、休憩時間にニュースやバラエティ番組が目に入ってくることがあります。
みなさんもご覧になったかもしれませんが、今日はある医師に関するニュースがありました。
わたしは、びっくりしましたし、メディアの取り上げ方にもショックを受け、いろいろなことを考えていました。
いろいろなことを考えている中で、やはり、このニュースにとどまらず、メディアの報道の仕方の問題について考えていました。
映像という視覚から入ってくる情報、しかも感情に訴えかけるような操作性の高い言葉には、人間は強い影響をうけるのだということを改めて感じました。
わたしはふだん、動揺することはあまりないです。
でも、今日はたった1分弱ぐらいのニュースを見ただけで、ほんのわずかに動揺が起きました。
同職者に関するニュースだからというわけではなく、それ以外の部分で、自分は完全に操作されているということが感覚的にわかりました。
わたしのブログを読んでくださる方で、テレビを見る方は少ないとは思いますが、もしテレビを見る方がいらっしゃいましたら、その情報の裏を、常に読むようにしていただきたいです。
テレビのみならず新聞など、あらゆる情報には裏、つまり情報発信者の意図があります。自分に何かしら強い感情がわいてきたら、99%操作されていると言っても過言ではないと思います。
わたしたちが考えている以上に、わたしたちを操作するために、情報は操作されています。
一次情報を除けば、本当の真実を伝えてくれるような、親切な情報は世の中にあまり存在しません。
逆に言うと、真実を知るには、一次情報に接する必要があると言えます。
変性意識

コーチングではあまり説明をしないのですが、変性意識について説明します。
英語では「Altered States of Consciousness」です。
Statesがついているので、正確には変性意識状態、です。
どういう状態かというと、リアリティを感じている世界が、物理的な現実世界ではなく、情報的な仮想世界にある状態を指します。
浅い変性意識から深い変性意識まで、深さはさまざまかと思います。
ほんの少しでも、物理的現実世界ではない世界に臨場感を感じたら、定義上は変性意識状態です。
つまり…、何か少しでも考えた時点で変性意識状態ということになります。
思考は情報空間のものだからです。
ですので、変性意識を何か特別なものと考えている方はたくさんいらっしゃるかもしれませんが、実は、わたしたちの通常の状態は定義上、変性意識状態です。
リアリティの感じる世界が、物理的な現実世界から情報的な仮想世界、この2つのバランスの中で、わたしたちは存在しています。
ちなみに、リアリティ=臨場感、ですね。
また、深い変性意識のことをトランス状態と呼びますが、これは仮想世界のリアリティがとても高い状態で、例えば映画を観て泣いたり笑ったり、怖くなったりしている状態がまさにトランス状態です。
トランス状態と聞くと少し怖い感じもするかもしれませんが、わたしたち人間は、物理的な存在であると同時に情報的な存在でもあるので、トランス状態はよく起きています。
言いたいことは、変性意識は特別なものではない、ということです。
続「幸福の計算式」

ニック・ポータヴィー著「幸福の計算式」より、引き続き引用します。
わたしのこの本の一番大好きなところを引用させて下さい。
最後の章、第11章です。
「幸福に関する研究は確かに、『幸福な人生とは何で成り立っているのだろうか?』という私の疑問の多くに答えを見いだす助けになった。だから、私はこうした発見に常に誇りをもっている。だが、タイにいる祖母に喜んでもらえると信じて、自分の生業を話そうと決めたのは、ごく最近のことだ。私は彼女のもとを訪れ、お金は人を幸せにするが私たちが考えているほどではないということ、人はいい出来事に慣れるが不幸な出来事にも順応するということを話した。また、幸福に関する最近の発見、つまり、どんなことでも、それについて考えているときには、その重要性を過大評価してしまうという人間の傾向についても話した。私の祖母は敬虔な仏教徒であり、学校教育を受けたことのない元農民であり、歳は90で、微笑むたびに『スター・ウォーズ』に出てくるヨーダのように見える。そんな祖母は私の話を聞いて、少し体を傾けながらこうささやいた。『私がまだ知らないことを教えてちょうだい』 おかしなことだが、まったく彼女の言うとおりなのだ。」
この後に、シッダールタ、つまり釈迦の話が続く。
わたしはこの本におけるこの第11章が、最高にクールだと思います。
読むたびに90のクールなヨーダが目の前にいるように感じます。
「幸福の計算式」

ニック・ポータヴィー著「幸福の計算式」はわたしの好きな本のひとつで、久しぶりに少し読んでみました。
第一章より引用します。
「幸福の計算式ー私たちは、これをずっと考え続けている。幸福の計算式を作る科学的な方法がもし本当にあったとしたらどうだろう?人生のあらゆる出来事に対する典型的な人間がもつ感情をある程度正確に測り、研究することができたなら、そして、それらの出来事が幸福度に及ぼす平均的な影響をまとめた完璧なガイドブックを書けたら?」
「お金は私たちを幸せにするだろうか?もしそうなら、どのくらい幸せになれるのだろうか?あるいは、お金で幸せになれないのなら、それはなぜだろうか?独身でいるよりも結婚したほうが幸せなのだろうか?もしそうなら、どのくらいの間、幸せでいられるのだろうか?離婚はどうだろうか?子どもをもてば幸せになれるだろうか?仕事はどうだろうか?愛する人が死んだら、どのくらい不幸になるのだろうか?そして、もしそうした悲しみを埋め合わせたいと思ったら、いくら必要なのだろうか?いくらあれば子どもや愛する人の死を忘れることができるだろうか?友情にはどのくらいの価値があるだろうか?今もっと幸せだったら、もっと生産的で寛容な人間になって、もっと長生きできるのだろうか?こうした疑問に対する答えの中には満足できるものがあるだろうか?そして、もっと大事なことだが、それによって私は決断の仕方を変えることができるのだろうか?また、国家は国民をもっと幸せにする努力をするべきだろうか?」
苫米地式コーチングのコーチが何を言い出すのかと思われるかもしれませんが、今でもとても興味深い本です。
この部分を読むだけでも、ニック・ポータヴィー氏がどれだけ深く人間の「幸せ」について興味があるのか伝わると思います。
リチャード・イースタリン、ダニエル・カーネマン、アンドリュー・オズワルドなど有名な経済学者や心理学者の研究を交えながら、「幸せ」について追及しようとしています。
本の中でいくつか計算式が出てきます。
値段をつけるべきでないものと思われるものに、値段をつけようとトライしようとしており、是非ではなく著者の好奇心が純粋に面白いです。
計算式の計算結果も興味深いです。
おそらく、訳者である阿部直子さんの訳も絶妙なのだろうなと思います。
今回の記事はここまでにしますが、幸福に関する研究はこれまで多くなされており、今でも幸福に関する本はどんどん世に出てきています。
つまり、人々は幸福になる方法を知りたいと、ずっと思い続けているという事実が存在します。
この事実について、わたしも考えます。
みなさんも考えてみてください。
オレンジ色と緑色

今日はセミナーをさせていただきました。
当初予約していた部屋があったのですが、隣の部屋があまりに素敵だったので、急きょ変更してもらいました。
窓際にはソファがあって、窓から木々が見えていて、晴れていたのでとても気持ちが良かったです。
今日は、内容の抽象度をどのあたりに設定するのがベターなのか考えながらお話をさせていただきました。
学生の頃に学習塾の講師をしていたことがありますが、学習塾ですと抽象度の上げ下げをする必要はあまりなく、テキストに沿って学年に応じた内容の授業をします。わたしにとっては平面的なイメージです。
コーチングのセミナーは、わたしから見ると3次元の立体構造に見えます。
抽象度の高さと、お伝えする幅など、その時に応じて3次元の中をあちらこちらへ動くような印象があります。
必ずお伝えしたいと思うkey wordがいくつかあって、3次元の中にそれらのwordをどのようにうまく入れ込んでいくか、考えながらお話をさせていただきました。
音楽を奏でるのとは少し異なりますが、立体構造を作るようなイメージがあるので楽しいです。
しかも、これは一人でする作業ではなく、聞いてくださっている方々と一緒に作るものです。
昨日今日と、多くのことを学ばせていただき、素晴らしい連休となりました。
こうやって改めてホワイトボードを見てみると、珍しいオレンジ色と緑色を使いたかったな、と感じます。
5色もあったのに、この2色がスコトーマ(盲点)に入ってしまっていた気がします。
次回はオレンジ色をベースに使いたいなと思います。
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