ドリームリフター
苫米地英人博士の著書の中で、「親は自分の子供のドリームキラーでもドリームサポーターでもなく、ドリームリフターになるのが良い」
と書かれている本があります。
ドリームリフターとは何か、考えていました。
親が自分の子供に対してドリームキラーになってはいけないのは、みなさんご存知かと思います。
かといって、親が自分の子供のドリームサポーターであろうとすると、親の価値観や意図が、子供の未来選択に入ってくる可能性があります。そういった意味で、ドリームサポーターであってもいけないということになります。
ドリームキラーでもなく、ドリームサポーターでもなく、あらゆる選択を自由にできる環境を整え、選択に対して評価をしないのが、ドリームリフターの役割だと思います。
そう考えると、自分の子供に対してドリームリフターで居続けるほうが、ドリームサポーターでいるよりも難しい印象を受けます。
なぜなら、親の価値観をもって限られた選択肢を準備して、その中から子供に選ばせる方が、親にとって遥かに楽だからです。
わたしはコーチなので、ドリームサポーターでいるためのトレーニングを受けています。
クライアントは大人であり、もしくは、年齢的に子供であるとしても自分の子供ではないので、コーチはドリームサポーターの存在でいるのが自然です。
ただ、最近感じるのが、わたしの大切な友人たちはわたしにとってドリームリフターのような存在である人が多いです。
つまり、ドリームキラーではないし、ドリームサポーターというわけでもないけれど、なにも評価をせずにただ応援してくれている、そういう友人が多いです。
逆の視点からみると、ドリームリフターのような友人に対しては、わたし自身もドリームリフターであるような気がします。
お互いがお互いのドリームリフターでいられる関係は素晴らしいと思います。
もしかしたら、近いしい人に関しては、ドリームリフターでいる方が自然なのかもしれません。
みなさんも、近しい人に対してはドリームリフターでいる、という選択肢があることを一度じっくり考えていただければと思います。
reader読者登録
ブログ購読をご希望の方はこちらからご登録ください。