意識に上げる

今日は、「意識に上げる」意味について考えています。
様々なことを「意識に上げる」トレーニングについては苫米地英人博士の著書にも書かれています。
また、おそらく、私を含め苫米地式認定コーチが日々実践していることでもあります。
例えば、目の前にあるペットボトルについて考える。
苫米地英人博士の著書にも書かれていますが、「縁起瞑想」といいますね。
目の前にあるモノの縁起をどんどん考えていく。
ペットボトルの素材や、製造過程や、廃棄後の流れや、歴史、またはペットボトルの中身について考えても良いかと思います。
こういった、「意識に上げる」ことは何の作業をしているかというと、モノを物理空間の存在から情報空間への存在へと広げる作業だと考えます。
情報空間への存在へと少し広げ、そしてさらにその先に広がっている縁起の世界を考える、そういった作業をしていることになります。
そうしたらここで、縁起瞑想は何のためにするのか?というところへとたどり着きます。
よく言われるのが「抽象度を上げるため」ですよね。
では、なぜ抽象度を上げる必要があるでしょうか?
「エフィカシーを上げるため」という答えでは少し足りないような気がします。
わたしにはわたしなりの答えが、現時点での答えですが出ました。
みなさんも、ぜひ考えてみてください。
「ハウルの動く城」パート2-ハウルの違い
以前にも、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」についての記事を書きました。
その時には、ソフィーの「心って重いの」という言葉について書きました。
今回はハウルに注目して書こうと思います。
わたしには、初めて「ハウルの動く城」を観たときから、それぞれのシーンごとにハウルが微妙に違うのが不思議でした。
髪や目の色はもちろんですが、身体の大きさも違って、全く別人のように描かれているように見えます。
魔法使いだから髪の色などを自ら変えている、と言ってしまうとそれまでなのですが、それだけではない何かを感じます。
当初は、いくら魔法使いでも…と、単純に疑問に感じていました。
苫米地英人博士の著書の中に「あなたも『あなた』という情報場の写像」という言葉があります。
これがまさにしっくりきます。
ハウルは、そのシーンごとの「ハウル」という情報が物理空間に現れたもの、と考えると分かりやすいかと思います。
そのシーンごとに、宮崎駿監督がハウルによって現したい情報が違っており、結果的にハウルが全く違って描かれているのだと感じました。
そう考えると、わたしたちはわたしたち自身の写像(物理的な存在)を変えることが可能です。
写像を変えるというよりも、マインド(脳=心)、ブリーフ(belief)が変われば写像も必然的に変わるのだと思います。
やり方は?となるとここでは説明しきれないので、またの機会にお伝えできればと思います。
シャトルバス

今日は仕事の帰りにシャトルバスに乗りました。
病院は、立地によって、最寄駅からシャトルバスが出ているところがあります。
みなさんの職場でも、もしかしたら会社所有のバスが会社と駅を往復しているところがあるかもしれません。
帰り際にたまたまシャトルバスが止まっているのが目に入り、小走りにバスまで行き、出発直前に乗りました。
座ってすぐにバスが動き始め、ふと行き先を確認しなかったことに気付きました。
確認しなかっというより、わたしの行きたい駅に行くような気がしてしまっていました。
バスのステップの横あたりに行き先が掲示されているので、普通は、バスに乗る時に目に入ります。
でも、わたしはバスのステップに集中していたので、「見ていたのに見ていなかった」ことに気付きました。
そして案の定、行きたかった駅には行かず、初めて使う駅から電車に乗ることになりました。
そうです、スコトーマ(心理的盲点)の説明ですね。
何かに集中していると、それ以外のものは、見ていても意識に上がってこなくなります。
何かが見えなくなっている状態を、スコトーマがある、スコトーマに隠れている、などというふうに表現します。
視覚に限らず、どんな感覚でも、情報空間のことでも、スコトーマという言葉を使います。
コーチの役割として、みなさんの「スコトーマを外す」ということも大切な役割です。
ゴールに向かう際に、重要なものがスコトーマに存在していることがあります。
その重要なものを見えるようにするために、コーチはみなさんの視野を広げます。
わたしたちが選ぶ

人生は、わたしたちが自分自身で何を好んで何を選ぶか、それだけだと考えています。
わたしは、人間は何かしら洗脳を受けて、いろいろな程度の依存をしながら、生活していると、考えています。決して悪い意味ではなく、そんなものだと思います。
考えてみてください。
生まれた時点で(多くの場合は)両親がいて、両親が正しいと思っていることを学び、両親以外の人間から学び、自分の中に自分のセルフイメージが作られていきます。
生まれてからの成長過程では、何を信じるか、わたしたちは選ぶことはできません。選ぶことや拒否することを知らないからです。
両親や教育者の価値観を信じるしかありません。
でも成長するにつれ、気づく人は気づきます。
わたしたちは成長すると、これまでの価値観を忘れていない状態で、さらに変更を加えることができます。
今日から、今から、誰の判断基準も入れずに自分自身で、選びましょう。
簡単ではないかもしれませんが、ぜひ力強く自分の力で選んでください。
「幸福の計算式」パート2

最近、結婚について勤務先で話があがっていたのを聞いて、興味深いと感じたので記事にします。
結婚していて子供のいる方々の意見としては、「自由がない。自分の時間がない。夜に突然飲みに行こうと誘われても、帰ることを伝えた後なら変更できない。結婚しないで子供をもつのも良いのでは。」など、いろいろな話が出ていました。
その横で、結婚していない若い方が、「結婚したいですね。」と小さい声で言っていました。
ここで、いい加減しつこいのですが、ニック・ポータヴィー著「幸福の計算式」から引用します。
「心理経済学者たちによると、結婚に至るまでの数年間、人はとても幸せになるという確実な証拠がある。誰もが予想するとおり、結婚のプラスの影響がもっとも高まるのは結婚した年だ。だが、この『蜜月』はどのくらい続くのだろうか?5年?10年?それとも死がふたりを分かつまで?正解は2年だ。2年だって?そのとおり。それが、結婚によってもたらされた喜びに完全に慣れるまでにかかる平均時間だ。これは収入の増加に慣れるよりも早い。」
この後に、子どもをもつ喜びについて書かれていますが、今回この部分は省きます。
結婚によってもたらされた喜びに完全に慣れるまで2年、だそうです。
もしかしたら結婚されている人にとっては、「そんなものなのかも」という印象かもしれません。
わたしが言いたいのは、この結果についてではなく、人間は全くの同時期に別の状態を経験できないということです。
例えば、28歳から結婚している人がいるとして、その人が今33歳だとします。
上の結果によると、すでに結婚による喜びは完全に慣れが生じていて、いろいろな不満が生じているかもしれませんし、慣れが生じていても、幸せを感じながら日々を過ごしているかもしれません。
その人の28歳から33歳までの期間は人生で一度きりしかなく、独身でいる、という別の状態を経験することは不可能です。
万が一33歳に離婚したとしても、もはや28歳から33歳の期間ではありません。
逆に、33歳の独身の人がいるとして、「28歳のあの時に、結婚の決断をしていればなぁ」と考えることは、同様に無意味なことです。
まとめます。
わたしたちは、これまで、その時点でのベストの決断を積み重ねた結果、今、ここにいます。
これは疑いようのない事実であり、わたしたちはこれからもベストの決断をします。
ベターではなく、ベストです。
ベストの決断結果が今なので、疑問をもつ必要は全くありません。
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