受験勉強の重要性
わたしは佐藤優氏の著書が好きで、読むことがあります。
今読んでいる本『君たちが知っておくべきこと』では、佐藤優氏は灘高校の学生と意見交換しています。
28ページの「受験勉強はなぜ必要か」から引用します。最初の部分は早稲田大学の学生に話しかけている言葉です。
「『皆さんが、なんでこのテストを受けて悲惨な結果になるのか、私には説明できる。まず第一に、皆さんは受験勉強が嫌いだったでしょ。模試でいい成績を取れれば、それなりに愉快だったけれども、受験勉強自体はずっと嫌いだったでしょ。』そう言ったら、みんな認めるんです。それは私もよく分かる。受験勉強を好きな人なんかいない。そこで評価されることに意義を認めていただけなんです。それで『第二に、受験勉強には意味がないと思っているでしょ。意味がなくて嫌いなことは、人間は長期記憶することができないんですよ』と。みんな非常に納得していた。だから、ここで皆さん、認識を改めないといけないのは、受験勉強には意味がある、ということですよ。」
ドキッとする文章です。
受験勉強が意味がなくて嫌いだと思っているから、長期記憶できない。逆に言うと、受験勉強に意味があると認識すると、好きになるし長期記憶できるということです。
これはわたし自身のスコトーマに入りかけていた考え方で、受験勉強は、その認識の仕方で意味が変わるということです。
受験勉強には意味がある、ただし、want toのときに、ということになります。
わたしはこれまでさまざまな試験を受験しましたが、受験勉強そのものに、それほど意味を見出してこなかった気がします。よってわたしは、受験勉強の内容で、長期記憶しているものはそれほど多くないです。
わたしは今いろいろなことを勉強しなおしている最中で、それは一生続きますが、もしみなさんがこれから受験勉強をすることがありましたら、「受験勉強には意味がある」という考え方があることを思い出してください。
共通言語
昨日、ある食事会がありました。
わたしはふだん、基本的にあまりコーチングの話をしません。
このブログを読んでくださっている方なら分かると思いますが、出し惜しみをしているわけではありません。
わたしは基本的に、出し惜しみもしません。出し惜しみをしているうちに人生時間のリミットがくるのを避けるためです。
ふだんコーチングの話をしない理由は、コーチングというものの性質が、みなさんが必要としてくださるときに初めて効果的になるものだからです。
この記事は、みなさんがコーチングに興味を持った時に読んでくだされば嬉しいなと思って書いています。
昨日の食事会の話に戻ります。
食事会が終わるころまでコーチングの話を一切していなかったのですが、ふいに一緒に食事をしている方が、アメリカの大学でコーチングの授業を受けたことがあるというお話が出ました。
御縁というのは不思議なもので、わたしはとても嬉しかったです。
その方から発せられる単語も理解できましたし、わたしの話も理解してくださり、使っている言語は日本語ですが、その上で日本とアメリカの共通言語で話しているような不思議な感覚でした。
3人で食事をしていたのですが、3人でコーチングに関する話をできたことは、わたしにとってなんとも感慨深い食事会になりました。
日本ではコーチングの浸透はまだまだこれからです。
これからの、Coaching of Japanの可能性に対する期待で、わたしはワクワクしています。
日本は世界へ、必ず何かを発信します。
立体視
最近、さまざまなものや、世界全体を立体的に見たいという思いがあります。
立体的に、というのは物理的な3次元的にという意味ではなく、情報空間も含むさまざまな情報を一気に見たいという意味です。
そのためには共感覚を使ったほうが抽象度の高いところから世界を見ることができると考えています。
そして、共感覚はトレーニングである程度身に付きます。
自分でなんとなくトレーニングしていましたが、嗅覚と味覚(これらはつながりのある感覚ですね)がわたしは得意であることに気付きました。
わたしが確実に感じている匂いや味わいがあって、わたしはそれを確信しているのに、他の人が感じていないことがたびたびあることに気付き始めました。
もともと共感覚があって気付き始めたのか、共感覚がなんとなく身に付き始めたのか、わからないです。
なんにせよ、意識に上がったことは良いことで、次は主に触覚で感じるトレーニングをしていこうかなと思います。
共感覚はトレーニングで身に付き、しかも抽象度が上がるので、みなさんも是非練習してみてください。
視覚から入ったものを触覚に変えてみたり、聴覚から入ったものを視覚に変えてみたり、なんでも構いません。
今見えている3次元の世界が、さらに立体的に見えてくると思います。
high riskのレポート
約2年半前に購入した本が目に入り、手に取りました。
その頃に購入した、空や大乗仏教に関する本が数冊あります。
当時はビジネススクールに通っていました。
空や大乗仏教に関する本がある理由は、当時受けた講義のレポートが3種類から選べるもので、レポートを書くために買ったものです。
3種類のレポートは、1種類がhigh riskでレポートの点数が大幅なマイナスの点数が付く可能性から∞の点数が付く可能性のあるもの、2種類がlow riskで点数がほどほどに付くがそれほど高い点数が付かないもの、というものでした。
わたしは授業中での自分の点数がおそらく低いと考え、high riskのテーマを選んでレポートを書きました。
詳細は書くことができませんが、そのレポートの課題の中には、「空や大乗仏教を織り交ぜること」とありました。
今考えると、一般的にビジネススクールに通う人の中にはときに煩悩の強い人間がいるわけで、おそらくほとんどの人間が空や大乗仏教について興味が全くなかったのではないかと考えると、無茶な課題だなと思います。
いま自分のレポートを読んで、空や大乗仏教という単語を書いていないことに気付きました。単語を用いていないけれど、空へとつながることが予測されるような内容にはなっているように感じます。
自分のレポートと、先生からのコメントを読んで、今の自分であればもう少し違う角度から深く論述することができるように感じました。
また、先生からのコメントは「考えてみてください。」で終わっており、当時は考えてもよくわからなかったような気がします。
いまのわたしには、彼が何を言わんとするのか、なんとなく答えが出ました。
当時買った本を読んだので、その感想もまた別の機会に書きたいと思います。
モーツァルトクーゲル
先輩医師から、モーツァルトクーゲルという名前のお菓子をいただきました。
モーツァルトを見ただけでなんだかとても嬉しくて、その場で写真を撮りました。
どう考えても美味しそうなので、まだ開けていません。
登録商標記号、®がついていたので、不思議に思い調べてみました。
モーツアルトクーゲルはチョコレート菓子の名前で、一番最初は1890年にオーストリアのパウル・ヒュルストという方が作ったようです。
ヒュルストは商標権などの権利を持っていなかったため、模倣品を販売している企業と法廷で争いがあったようです。
結果として「モーツアルトクーゲル」の名前を使わないことで争いが終了しているようです。つまり、少しだけ名称を変えたモーツアルトクーゲルが各社から出ています。
これらの争いは権利についての争いであり、レシピについては争われていません。
一方で、オリジナルレシピを守って作っている製造企業もあり、手作業でモーツアルトクーゲルを作っているようです。
つまり、権利争いをしている大企業もあれば、その一方でオリジナルレシピを守ることに集中している中小企業もあるということになります。
何を目的、ゴールとするかで、方法が異なってくる良い例であるような印象を受けました。
権利争いが良くないとか、そういったことではなく、ただ単にゴールの違いです。
わたしは、基本的にあらゆる企業は利益を出さねばならないと思います。
企業は利益を出すことを前提として、何をゴールとするのか、それによってすべきことが変わってくるのだと考えます。
わたしたちの人生についても同じで、自分自身が何をゴールとして設定するか、それに尽きます。
もちろん、自分自身の変化に応じてどんどんゴールの更新をしてください。
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