10年間ありがとう
コーチングとはあまり関係のない記事になります。
一緒に10年という時を過ごしてくれた動物が、亡くなりました。
小さい動物、かつ捕食される動物なので、本当に死ぬ間際まで辛そうな素振りは見せませんでした。
ただ、あまりに急で、ここ2日餌の減りが少ないことを気にしていたところでした。
餌やおやつのストックも減ってきたので、買ったばかりでした。
10歳ですと、おそらく寿命で、天寿を全うしたとは思うものの、
やはり寂しく感じます。
帰宅したところ、普段と違う姿勢でいたので、嫌がるのを承知で抱き上げました。
生きていましたが身体に力は全く入っておらず、わたしが座って抱いている間にゆっくりゆっくり亡くなりました。
わたしの腕の中で亡くなっていく様子をただ見るのは、なんとも言えない気持ちになります。
もう寿命であり死ぬことを決めた動物を、動物病院に連れて行くことはわたしはしないので、
ただ、最期の時を静かに一緒に過ごしました。
死にゆく彼女を抱きながらいろいろ考えさせられました。
わたしは文面で、自分が不可逆的に死に向かっている時、西洋医学で言う無駄な延命治療を拒否しています。
みなさんは……、みなさんの最期にどのような選択をしますか?
正解はなく、自由です。
ただ、考えておくことは、自分のためにも遺される方々のためにも、非常に大切だと思います。
ドリームキラーは誰か
写真はわたしのシンギングボウルです。
クリスタルボウルもいくつかあり、ともに、瞑想するときや、天然石その他を浄化するときに用います。
内側には梵字と、底に羯磨(かつま、ダブルバジュラ、ヴィシュヴァ・ヴァジュラ)の絵が描かれています。
外側も同じ文字と絵が入っています。
数年前に神社に参拝に行ったときに、たまたま骨董市のようなものをしていて、そこで音を確認して購入しました。
ティンシャも、素晴らしく美しい音のものがあったので一緒に買いました。
羯磨はチベット密教におけるのヴァジュラ(金剛杵)の一つで、ダブルはあまり多くはないですが、シングルのものはたくさん出回っています。
どの法具にも、持ち主との相性があるような気がするので、通信販売では買わない方がいいかなと思います。
今回、「ドリームキラーは誰か」という題名にしました。
もちろん、周囲の人たちは全員ドリームキラーになり得ます。
家族や友人、仕事場の人達、恋人、私たちが接するすべての人です。
それゆえ、ゴールをコーチ以外に話さないということはコーチングの鉄則になっています。
ただ、思うに、ドリームキラーになり易いのは自分自身です。
ヴァジュラを出した理由は、ヴァジュラは、邪気や煩悩を祓うための法具ですが、自分の中のドリームキラーを意識するのに使えるなと、ふと思ったからです。
煩悩は完全に叩き壊してはいけませんが、自分の中にドリームキラーがいるとすれば、出て行っていただく必要があります。
自分の思考を意識に上げて、自分の中のドリームキラーを是非意識してみてください。
星田妙見宮
大阪府交野市の、星田妙見宮に行きました。
星田妙見宮は、神道、仏教、道教、陰陽道など宗派を超えた場所であり、不思議で、とても奥の深い神社です。
平安時代に弘法大師が交野に来られたとき、北斗七星が3か所に分かれて地上に降り、その一つの場所が星田妙見宮のある場所だという伝説があります。
御神体に織女石と呼ばれる石が祀られています。
もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、交野古文化同好会のホームページ、平成27年5月定例勉強会「星田妙見宮の神々と里人の祈り」をご覧になっていただければ、分かりやすく説明してくださっていると思います。
上の写真を見ると、わたしがさも初詣に行ったかのように見えますが、うかがったのは実は12月31日です。
12月31日午後の神社には、初詣に向けて準備をしている方々がいらっしゃいました。
車のナンバーが大阪のものではなかったからか、「なんでそんな遠くから来はったん??誰に聞きはったん??」「宣伝しといて!!!」ということで、宣伝になっていればいいなと思います。
なぜ星田妙見宮に来たかと聞かれるとても答えにくく、説明するのに時間がかかりました。
わたしたちは、神社だけでなく、あらゆる場所に行くべき時に行っているのだと思います。
人間の直観力というのは、おそらく、わたしたちの想像を遥かに超えています。
ただ、思うに、“直観”と“単なる誤認”の判別は難しいときがあるので、静かに観察することはとても重要な気がします。
静かに観察をしながら、かつ、確実に機をつかむ。
ゴールを設定することで、容易になると思います。
続 般若心経
引き続いて般若心経の続編を書きます。
わたしには妹たちがいて、うち一人が般若心経を暗唱できるので、墓参りに行ったときには彼女がいることで墓参りが引き締まるようなところがあります。
ふと、彼女はなぜ般若心経を暗記していて、それはいつからだったかなと疑問に感じました。
妹は仏教の学校にいたわけではないので、わたしが暗唱できるほうがまだ理解できます。
確実に10年前には墓参り時の読経係になっていたので、かなり前かなと思い、聞いてみました。
11歳か12歳のときには暗唱できるようになっていたそうで、暗唱の理由は3つあって、「子供心にお化けが怖かった(のでお化け対策)」というのがひとつ、そして「唱えると仏さん(死者)が喜ぶと聞いて」というのがひとつ、最後の理由として「他の家に行ったときにも宗派問わず困らないから」というのが3つめの理由でした。
11歳か12歳という年齢と、3つ目の宗派問わずというのを聞いて、妹ながら、菩薩(悟りに向かって進む人のこと)なのかと思いました。
でも般若心経の意味はよく分かっていないようなので、菩薩ではありませんでした。
ただ、般若心経のマントラとしての機能を考えると、わたしの家庭において彼女の読経はかなり重要な役割を果たしています。
わたしも、意味を理解したうえで般若心経をアファメーションとして、いまいちど考えてみようと思います。
般若心経
苫米地英人著「超訳『般若心経』」を読んでいました。
わたしの出身高校は智辯和歌山なので宗教の授業があり、般若心経をたびたび耳にしていましたし読経していたように思います。
なので、高校の頃に聞いていた般若心経の音(声)を思い出し、懐かしさを感じました。
あらためて、不思議な部分がいっぱいである般若心経を、これまでの認識とは違う角度から見ることができました。
本の中にもあるように、般若心経は多くの人が知っていて多くの宗派で唱えられているにも関わらず、謎だらけです。
この謎だらけの般若心経を、この本の中で大胆な添削をしています。
本の中で「無」を「空」に、とことん添削しています。
見慣れ過ぎた「色即是空 空即是色」を「色即是無 無即是色」に添削している部分は、その通りなのですが、見慣れていたのもありびっくりしました。
でも、これを読むことで、確かに般若心経は空のテキストであることが見えてきます。
同時に、般若心経の意味を知ることで、般若心経をゴールに向かう際のアファメーションとして用いることができます。
心に残ったところを数か所引用したいと思います。
「では、『幸せ』とは何か。それは、『到達すべきゴールを設定し、それに向かうためのベストの選択をすること』です。ゴールに向かうこと自体が『幸せ』なのです。」
幸せとは、結果論ではなく、過程において感じるものであるということです。
「『空』を『emptiness』と訳したところから誤解が始まったという話は本文中で書きました。私はむしろ、『fullness』とでも訳したほうがぴったりくるのではないかと思っています。あふれんばかりの可能性をたたえ、しかもそれは宇宙と等価であるというのが『空』なのです。」
まさにそのとおりで、わたしも、空と虚無は正反対だと考えます。
わたしのブログは「空(クウ)」という名前にしておりますが、まさにfullnessを表現していきたいと考えています。
reader読者登録
ブログ購読をご希望の方はこちらからご登録ください。