認知的不協和の使い方

まず、時間の流れを最初に再認識していただきます。
苫米地英人博士の著書でよく言われるのが、時間は未来から現在、そして過去へと流れていきます。
わたしはその流れに慣れているので、未来が風のように自分の方に向かってくるように感じます。
博士はわたしたちに理解しやすいように未来から現在、過去へ、という説明をしてくれていますが、実際は、現在に過去も未来も含まれている、とも説明しています。
この時間の流れをベースに、認知的不協和について考えます。
認知的不協和とは、矛盾した2つの認知状態がある状況のことを指します。
認知的不協和がわたしたちの中に存在すると、わたしたしは落ち着かなくなり、どちらかを選ぼうとします。
つまり、認知的不協和を解決して協和状態にしようとして、ホメオスタシスが動き出します。
ホメオスタシスとは、生体の恒常性維持機能ことを指します。
体温の維持であったりとか、体を維持するためにお腹が空いたりなど、ホメオスタシスにはさまざまなホルモンが関係しています。
ゴール設定をします。
そして、ゴールを達成している自分を詳細に頭の中に描きます。
そのときに感じている感情も感じるようにします。
たとえば、社長になることをゴールとするとします。
そのときのコンフォートゾーンを頭の中に描くと、例えば5年後の年収は5,000万円で、そのときに付き合っている会社があり、そのときに住んでいる家があり、持っている家庭があります。
車は社用車と趣味の車数台があります。
食事は、週に5回ぐらいはビジネスランチや、夜の会食もあります。
休みの日の過ごし方も詳細まで頭の中に描きます。
ここまでくると、例えば現在の年収が500万円だとして、5年後に上のような生活になっているとしたら、今のサラリーマン生活は明らかに矛盾を生じます。
今の状態が、おかしいわけです。
これが認知的不協和を生じている状態で、この状態から協和状態になるにあたり、2つの方法があります。
一つは、ゴール達成の想像を維持することができず、現状のままの自分でいるという方法で協和状態になる方法。
もう一つは、強く強くゴール達成している自分を想像することで、コンフォートゾーンがずれ、現状がどんどん変わるという方法。もちろんサラリーマンでいるままでは達成できないので、副業し始めるか、起業するか、なんらかの動きがあるはずです。
どちらを選びますか?
二つ目の協和状態を選ぶにあたり、次々と出現するドリームキラーを無視できればあなた一人でも可能ですし、プロのコーチをつけるのであれば、コーチはドリームサポーターとして力強くあなたを引っ張っていくことができます。
コーチとは、目的地まで連れていく、馬車のことです。
ドリームキラー

ドリームキラーとは、”夢を壊す人”です。
対義語はドリームサポーターです。
ドリームキラーは、みなさんの身近にたくさんいて、身近な人のほとんど全員がドリームキラーと言っても良いぐらいです。
しかも、ドリームキラーの多くは、心からの善意で、ドリームキリングしてくる、”いい人”です。
わたしの過去の経験談を少し話します。
わたしの母親は、スーパードリームキラーです。
スーパードリームキラーの勲章をあげたいぐらい、すごい人です。
いつか勲章を作ろうと思っています。
言い換えると、すごくすごく、本当に”いい人”です。
わたしは大学合格にあたり、2年間浪人しています。
おそらく、高校卒業時点で、はっきりとしたやりたいことがなかったことが原因かなと、今は思います。
1年目の浪人中に、医師になろうと決めました。
医学部を受験するとき、わたしは親に大学名と学部名をごまかして伝えました。
受験前に伝えて、否定されるのが非常に怖く、しかも親による否定をはねのける自信は当時の自分にはありませんでした。
合格してから大学名と学部名をきちんと伝えました。
この時までに、散々ドリームキリングされていて、少し知恵がついていたのだと思います。
また、少し最近の話になりますが、経営大学院に入った時の話です。
「経営学を勉強しようと思う。」と言ったところ、「せっかく先生になったのに何を言っているの。」という反応が返ってきました。
ちなみに、日本で医師は先生と呼ばれますが、医師は医師になるためのトレーニングを受けた職人であり、偉い人ではありません。
このときは、すでに勤務先を辞めることが決まっていたので、何を言われようとも変更不可でした。
では、みなさんに、ドリームキラーに対してどう対処していただきたいか、まとめます。
⓵ゴールを、プロのコーチ以外には言わない。
⓶ドリームキリングされそうだと感じた時、心の中で”この人の言うことには価値がない”と思うようにする。口に出さずに心の中で思ってください。
本物のプロのコーチはドリームサポーターです。
安心して、ゴールを教えてください。
香りにのった情報

みなさんにも経験があると思いますが、香りには情報がのっています。
実家を思い出す香りであったり、友達を思い出す香りであったり、嗅覚で何かを思い出すことはよくあるのではと思います。
わたしがふだん使う香水は2種類あり、そのうちの一つが写真右側のELLENSIAです。
左側はふだん使う2種類とは別に、ELLENSIAの代わりに、今日使おうとしているAmaranthineです。
もう一つ、愛用しているものがあるのですが、今日は書かないことにします。
これらの香水の香りには情報があります。
ELLENSIAの香りは、花束の香りです。
ピンクのリボンがかかっていますが、まさに香りの色はピンクや白や黄色で、しかもフレッシュなみずみずしい花束のイメージです。
音楽にするとハープによる繊細な音楽が聞こえるような、そんな香りです。
Amaranthineの香りは、色のイメージはダークなパープルのような色をしており、夕焼けのようなイメージがあります。
音楽にすると、あまり詳しくはないですが、オペラのような音楽が聞こえます。
ELLENSIAにのっている情報が、いまの自分とマッチしないので、今日はELLENSIAをしまって、Amaranthineをしばらく使ってみようと思いました。
ただ、先ほどもう一つ愛用している香水を内緒にしましたが、ELLENSIAも相当大好きです。
ですので、大切にしまいます。
ちなみに、わたしは共感覚をもっているのではないのですが、誰でもトレーニングで他の感覚で感じることが可能になります。
みなさんもぜひ、香りを色や音にしたり、音を色や香りや触覚にしてみたり、ある感覚をさまざまな感覚に置換するトレーニングをしてみてください。
情報空間がより認識しやすくなりますし、世界が少し違って見えてくるかと思います。
お金とは何か
お金とは、そもそも物々交換をスムーズに行うツールとして使われ始めたものです。
例えば1万円札ですと、1万円札そのものには、紙とインク、印刷代以上の価値はありません。
モノに交換できるという機能があるので、わたしたちはお金そのものに価値があると思い込み易くなっています。
ただ、お金そのものには価値はないものの、日常生活においてはあると便利なものです。
お金が欲しいと思うのであれば、なぜ必要なのか、何に使いたいのか、徹底的に考えてください。
そして、モノが欲しい場合、なぜそれが欲しいのか、本当にそれが欲しいのか、誰かにそう思わされていないか考えてください。
また、裕福な生活がしたい、美味しいものが食べたいと考える場合、その思いは飢餓への恐怖からきている可能性があります。
今の日本において、食べ物を買うお金がなくて飢餓で死ぬことがあると、本当に思いますか。
わたしは生活保護を現物支給にする方が良いと考えますが、現在の生活保護でいくら支給されるか知っていますか。
そしてその支給額を知った上で、あなたが仕事をする理由はなんでしょうか。
もっと言うと、貴族のような生活で、心から幸せを感じられるのでしょうか。
わたしは今、いろんな質問をあなたに投げかけています。
あなた自身に考えてもらいたいからです。
愛欲と社会的情動

愛欲と社会的情動の違いについて考えたいと思います。
簡単に言うと、愛欲は抽象度の低い愛であり、煩悩の一つです。
愛欲が、世間一般で認識されている愛情ではないかと思います。
一方、社会的情動は、抽象度の高い愛であり、”慈悲”とも表現されます。
社会的情動について、苫米地英人博士の著書でよく出される例として、線路の切り替えの例があります。
アメリカでの実験です。
「あなたがプラットフォームにいるときに電車が走ってきて、線路の切替機を切り替えないと、その先に立っている人が一人死ぬ場合、あなたはどうしますか?」という質問に対し、100人中100人が「走って切り替えに行く」と答えました。
自分が死ぬ可能性よりも、1人でも助かる可能性を選ぶ、これが社会的情動です。
さらに、「線路の切替機を切り替えないと一人死ぬが、切替機を切り替えた場合にはその先に五人の人がいる場合、あなたはどうしますか?」という質問に対し、ほとんどの人が混乱して答えを出せませんでした。
どちらを選んでも死ぬ人がいる場合、答えを出せない、判断できない、これが論理を超えた愛であり抽象度の高い愛である、とあります。
ここからは私の考えですが、一般的に人間は年を重ねるごとに愛欲から社会的情動へと愛の抽象度が上がる印象を受けます。
より詳しくいうと、愛欲と社会的情動の割合のうち、社会的情動が増えてくるという印象です。
例えば、若い年齢で経験する「誰かを好きになる」という情動は典型的な愛欲であり、煩悩であり、抽象度の低い愛情です。
良い悪いではなく、人間として、子孫を残すための性欲とつながることを考えると、愛欲を持って当然のものです。
また、「結婚して恋人から家族になってしまった」という表現を聞くことがありますが、いつまでも煩悩である愛欲のみでは進歩していないとも言え、家族としての社会的情動になるというのは愛の抽象度が上がっていることになります。
熟年離婚という言葉がありますが、愛情の抽象度を理解していないこともあるのではないかと思います。
1人の人間に対し、愛欲から社会的情動まで、さまざまな抽象度の愛を持って良いものであり、「愛欲がなくなったから冷めた」という簡単なものではないです。
線路の切替機の話に戻りますが、上記の、どちらを選んでも死ぬ人がいる場合、判断できない。これが人間として抽象度の高い社会的情動です。
どんなときでも論理的に判断できるのが良いのではなく、迷うべきところで迷えることが人間の素晴らしいところだと言えます。
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