早朝から神社
今日は暑くて目が覚め、朝からいくつかの神社に行ってきました。
わたしは3日に1回はどこかの神社に立ち寄っていることが多く、1週間どこにも参拝しないとやや落ち着かないです。
信仰心が強いとか、御朱印を集めているわけでもありません。
ただ、参拝しているだけです。
最近はジャケットを着ない日もありますが、ジャケットのポケットには参拝で使う小銭が入っていることが多いです。
今日は、こちらの七福神のお一方が気になって、しゃがんでじっくり見ていました。
「なんと。こんなに爆笑していたのか。」と、キュートすぎる姿に嬉しくなりました。
大きく口を開けて、歯を見せて笑っています。
微笑みというよりも、爆笑です。
何回か来ているのに、初めて発見するものがあるのは、人生でも同じですね。
神社それぞれ、場所の雰囲気は異なり、パワースポットと呼ばれているところもあります。
そしてみなさん御存知のとおり、神社には鏡が神の依代として祀られています。
わたしは神社の鏡を見ながら、いつも少しの時間考え事をしています。
なので時間をとるので、手を合わせる時はいつも真ん中には立たずに端っこで手を合わせます。
なんとなくわたしは、“自分自身の本質”と向き合うために、神社に行っている気がします。
そこに神様が祀られているのはもちろんなのですが、さらにその中に、自分自身を感じます。
今日、爆笑している七福神のお一方に立ち止まったのも、何か理由があるのかもしれません。
そして、伊勢という場所②
伊勢では、伊勢神宮の参拝の際に、おかげ横丁を通りました。
今回わたしたちは初めての伊勢だったのですが、おかげ横丁はとても素敵な所です。
宮崎駿監督の映画に出てきそうな、温かくてワクワクする雰囲気の場所でした。
いろいろな魂を感じるといいますか、場所の雰囲気が“本物”の感じがします。
(わたしがいま住んでいる東京は、“本物”の感じがする場所と、“フェイク”の感じがする場所が混在しています。)
おかげ横丁には赤福本店があります。
そちらで、作りたての赤福をいただきました。
作りたての赤福はとても美味しくて、4人で「美味しいね」と食べ始めた瞬間に、1人が不意に立ち上がりました。
「どうしたんだろうね」と話していたところ、作りたての赤福を追加で注文してきてくれました。
作りたての赤福を、贅沢にたくさんいただきました。
追加注文してくれた親友の瞬発力はいつも凄くて、びっくりするほど的確な判断力と瞬発力をよく見せてくれます。
「ゴール設定したときに、ゴールをロックオンできたときの動きだなぁ」と、見ていて感じます。
ゴール設定をしたら、それに関係のないことはスコトーマ(盲点)に入るので、あとはゴールへ向かうのみになります。
内宮を参拝した日はとても寒い日でしたが、作りたての赤福をたくさんいただいて、心も温かくなりました。
そして、伊勢という場所
親友3人の旅に同行させてもらった話の続きです。
わたしたちは、高野山に続いて、伊勢神宮に行きました。
『「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれる伊勢神宮は、正式には「神宮」といいます。
神宮には、皇室の御祖先の神と仰ぎ、私たち国民の大御祖神として崇敬を集める天照大御神をお祀りする内宮(皇大神宮)と、衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神をお祀りする外宮(豊受大神宮)を始め、14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社があります。これら125の宮社全てをふくめて神宮といいます。』
(伊勢神宮ホームページより)
伊勢に着いた日に外宮にお参りし、翌日に内宮にお参りしました。
上の写真が外宮で、こちらが内宮です。
平日にも関わらず、多くの方が参拝にいらっしゃっていました。
わたしが外宮と内宮で感じたエネルギーについて書くまでもないのですが、頭からつま先まで、エネルギーが体の内部を勢い良く通るような感覚でした。
その場にいるだけで自然と浄化されるのかなと思います。
高野山や伊勢神宮のことを思い出だすと、この世界には文字に落とし込めないものがたくさんあるなぁ、と感じます。
わたしたちは言葉にできないことだらけの中で、ツールとして言葉を用いています。
改めて、言葉はとても大切だと思います。
コーチングでは言葉をとても大切にします。
言葉で表現できないことを体感としてたくさん感じて、改めて言葉の重要性を認識する。
コーチングを学んでいくとそのように感じることが増えるのではないかな、と思います。
高野山で空海を感じる
思い返すと、この1か月間様々なことが起きました。
わたしにとって、コンフォートゾーンがずれていくとき、嵐のように感じる時があります。
嵐のような時期が、まだ続いています。
たとえ嵐でも慣れるもので、わたしは、嵐がやんでもやまなくても、どちらでも良いかなと感じています。
2月末から3月初旬、親友3人の旅に、途中からお供させていただいておりました。
大切な親友です。
言葉での表現に限界があるのですが、わたし含め4人それぞれが大きな変化を伴う旅に、一緒にいることができたことに感謝しています。
4人で和歌山県の高野山に行きました。
着いたのは夕方近くて、雪が残っていてとても寒かったです。
高野山は、空海がいらっしゃる場所ですね。
実際に強い“エネルギー”が感じられる場所です。
そこで感じた感覚としては、わたしにとっては空海が亡くなっているようには感じず、時空を超えて空海がそこにいらっしゃるように感じました。
奥の院では、空海がなんだかせわしなく忙しそうにされているようでした。
わたしたちが物理的空間で生きている以上、時間は存在するのですが、時空を超えた何かを感じることがあります。
時空を超えた何かを感じることができると、良い意味で、あまり時間に縛られなくなります。
時間だけに限らず、自分を縛るものが、少なくなるような感じがします。
自分を縛るもの、つまり“限界”を作っているのは、実は自分のマインドで、その限界はただの幻想です。
幻想だということを知っておくのと知らずに生きるのとでは、人生の楽しさが違ってくるように思います。
実はわたしたちは、自分で考えている以上に、何でもできるし何処へでも行くことができます。
星田妙見宮
大阪府交野市の、星田妙見宮に行きました。
星田妙見宮は、神道、仏教、道教、陰陽道など宗派を超えた場所であり、不思議で、とても奥の深い神社です。
平安時代に弘法大師が交野に来られたとき、北斗七星が3か所に分かれて地上に降り、その一つの場所が星田妙見宮のある場所だという伝説があります。
御神体に織女石と呼ばれる石が祀られています。
もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、交野古文化同好会のホームページ、平成27年5月定例勉強会「星田妙見宮の神々と里人の祈り」をご覧になっていただければ、分かりやすく説明してくださっていると思います。
上の写真を見ると、わたしがさも初詣に行ったかのように見えますが、うかがったのは実は12月31日です。
12月31日午後の神社には、初詣に向けて準備をしている方々がいらっしゃいました。
車のナンバーが大阪のものではなかったからか、「なんでそんな遠くから来はったん??誰に聞きはったん??」「宣伝しといて!!!」ということで、宣伝になっていればいいなと思います。
なぜ星田妙見宮に来たかと聞かれるとても答えにくく、説明するのに時間がかかりました。
わたしたちは、神社だけでなく、あらゆる場所に行くべき時に行っているのだと思います。
人間の直観力というのは、おそらく、わたしたちの想像を遥かに超えています。
ただ、思うに、“直観”と“単なる誤認”の判別は難しいときがあるので、静かに観察することはとても重要な気がします。
静かに観察をしながら、かつ、確実に機をつかむ。
ゴールを設定することで、容易になると思います。
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