歯の並べ方
わたしは今、歯列矯正をしています。
もうそろそろ1年経つので、終わりに近づいています。
知り合いに、良い矯正歯科医の見分け方を聞かれたため、かかりつけの歯医者さんに聞いてみました。
歯医者さんは悩んでいましたが、わたしの予想とは全く異なった答えをくださりました。
わたしは医師目線かつ歯列矯正の患者目線で、しかも自分の世界観で考えていたので、それ以外の見方はスコトーマ(盲点)になっていました。
歯医者さんの答えは、「患者さんの話をよく聞いてくれる歯医者ですかねぇ」でした。
詳しく聞くと、矯正歯科医にとって、「歯を並べる」のは本当にどんな矯正歯科医でも簡単に美しく並べることができるそうです。
歯を並べるのは簡単であるという前提で、患者さんの話をよく聞くということの意味を考えます。
歯をできるだけ抜きたくないという希望の患者さんの歯を容赦なく抜いてしまうと、数十年後に移植で使えるはずの歯がすでに抜かれていたりします。
また、患者さんの話をあまり聞いていないと、虫歯を見落として治療できなかったり、抜くべき歯を矯正が終了するまで放置してしまうことがあるそうです。
この話は、よくよく考えると、コーチングと似ています。
コーチングではコーチは、クライアントのゴール設定とゴール達成のお手伝いをします。
ここで、プロのコーチは全員、クライアントをゴールまで連れて行くことができると仮定します。
「話をよく聞く」というのは、コーチングでもまさにその通りで、クライアントの話を聞くことが非常に重要になってきます。
クライアントの話を聞くと同時に、クライアント自身の気持ちをとても大切にします。
「話をよく聞く」部分を甘くみてしまった場合、ゴールまで連れて行けそうだけど、その後クライアントがひとりでセルフコーチングは困難な状態になっていることがあるのではないかと思います。
また、これはあってはいけないことですが、クライアントのゴールが、コーチのゴールと同じになっている可能性もあります。
同じゴール達成でも、中身の質が異なってくるということです。
そう考えると、さきほどの矯正歯科医の話がとても興味深いものになりました。
しかも、歯列矯正の最初の数か月間は、経験した人間にしか分からない、異常な痛みと不快感を伴います。
おそらく歯の歯根部のところで、破骨と造骨が一気に起こるのだと思うのですが、はっきり言って滅茶苦茶痛いです。
わたしにとって、最初の数か月間はプリンが主食のようになっていました。
卵を使っていてカロリーもあり、プリンを考えた人は天才だなと思っていました。
話がそれましたが、コーチングも歯列矯正も痛みが伴う可能性のある行為であり、それを受ける人間の話を徹底的に聞くべきです。
徹底的に、です。
まるでコーチに話しかけているようになってしまいましたが、みなさんがコーチを選ぶ際にはぜひ「話を徹底的に聞く」コーチを選んでいただきたいと思います。
時間の性質
ついさっきまでPCで作業をしていたところ、いつの間にか2時間経っていました。
時間は、物理空間においては長さが決まっていますが、情報空間においては伸び縮みします。
なにかに集中したり没頭したりしているとあっという間に時間がたちます。
逆に、好きでないと認識していることをしているときは、時間が非常に長く感じます。
わたしは今でこそ「時間が早くたってほしい」と思うことはなくなりましたが、数年前まではあったように思います。
少し前の話ですが、秒単位の短時間にさまざまな光景が一気に頭に浮かぶという経験をしました。
物理的時間では数秒ですが、情報量は物理的時間では説明できない量でした。
苫米地英人博士の著書にもよく出てきますが、「走馬灯のような」ものです。
そのときには、時間が長く感じたというよりも、時間がのびたように感じました。
明らかに時間の伸び縮みを感じることはそうそうありませんが、普段の生活の中でも微妙に、けれど確実に伸びたり縮んだりしています。
少し話は変わりますが、最近、海外に住んでいる従姉妹とよく電話で話をします。
時差が3時間あり、従姉妹が住んでいるところは日本よりも3時間早い時刻です。
そして、成田空港からその国の空港までの飛行時間は約11時間です。
彼女と電話で話しているとき、わたしは不思議な感覚を感じます。
時差が3時間、飛行機で11時間のところで、同じ時間が流れている。
向こうは向こうで、夕飯を食べ終わってくつろいでいる時間なのだなぁ、1秒は同じ1秒なのだなぁ、としみじみ感じます。
電話の向こうで、旦那様が英語で話しかけている声が聞こえたりします。
時差は常識的なことなのですが、わたしにとっては不思議に感じます。
まだ従姉妹の国には行ったことがありませんが、もし行く場合は、飛行機の中で時間のねじれを感じそうだなぁ、と考えています。
ねじれたところを通過して、その場所に到着する気がします。
そういう意味で、わたしにとって海外便は楽しいミニタイムマシンのようなイメージがあります。
いちど、常日頃の時間という存在を、よく観察してみてください。
わたしたちは人間という情報的存在なので、時間の伸び縮みを感じることができます。
それが4次元の一つの軸である「時間」の性質なのだと考えると、ゴールに向かって過ごす「時間」というものが味わい深いものになる気がします。
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電動ろくろ
わたしには妹たちがおり、それぞれ各分野のProfessionalなのですが、一人プロの陶芸家がいます。
写真は、少しぼやけてしまいましたが、今年の誕生日に彼女がくれた湯呑です。
夕焼けのような色味をしており、綿毛が飛んでいく風景のようです。
数か月前に東京に遊びにきてくれており、彼女の作品を携帯に入っている写真で見せてもらい、びっくりしました。
気付いたら、いつの間にか、プロになっていました。
非常に美しい陶器を作っていることにびっくりして、売って良いものと、売ってはいけないものがあるのだと、長々と話してしまいました。
実家には彼女が買った窯があり、もちろんろくろもあります。
彼女から聞いた話で面白かったことがあったので、書きます。
ろくろには、電動ろくろと、手回しろくろがあります。
陶芸教室に置いてあったり、一般的によく知られているものは、おそらく手回しろくろです。
手回しろくろは比較的簡単で、電動ろくろは高度な技術が必要だと言っていました。
手回しろくろは速度を自分で微調整しながら回しますが、電動ろくろは電動なのでいちど失敗するともとには戻せません。
手回しろくろは修正できるけれど、電動ろくろでは修正はできないと言っていました。
わたしは使ったことがないので想像するだけですが、想像するだけでも、比較的理解しやすいと思います。
電動ろくろのメリットをしつこく聞いたところ、電動ろくろは慣れると短時間で同じ形のものをたくさん作ることができるようになると言っていました。
手回しろくろは簡単、電動ろくろは難しい、簡単に言うとそうなります。
わたしの中では手回しろくろは、過去と現在を見ながら、微調整しながら未来を作っていくようなイメージです。
電動ろくろは、出来上がりのイメージが完全にある上で、それに向かって回すようなイメージです。
少しわかりにくいでしょうか・・・
手回しろくろは、多くの日本人の方々が慣れ親しんだ、過去向きの生き方と似ています。
一方、電動ろくろは、まず出来上がりを設定することをゴール設定だと考えると、ゴール設定してあとは自分の手が動くという、未来向きの生き方と似ています。
電動ろくろでは、完成品を頭の中で完璧にイメージできないと上手くいかないので難しい、という側面もあると思います。
手回しろくろと電動ろくろは、どちらが良いということはありません。
ただし、生き方における視線の方向に関しては、是非、過去向きでなく未来向きを選んでください。
靴屋の店員さん
金曜日の夜に、思い立って靴屋さんに行きました。
靴はだいたい決まったお店で買うのですが、そのときもそのお店に行きました。
そこは以前は店員さんが固定されていたのですが、お店が少しだけ大きくなって、店員さんが固定メンバーではなくなってきています。
その店員さんの中に、わたしがこれまで見たあらゆる販売員の中で、ナンバーワンの女性の店員さんがいます。
あらゆる販売員の中で、なので、わたしが入ったことのある服屋さんの販売員はもちろん、ブランドバッグのお店の販売員もすべて含みます。
お店に入る瞬間、その店員さんの姿が見え、「やった」と思いました。
その靴屋さんにはときどき行っていましたが、その店員さんには1年以上お会いしていなかったと思います。
1年以上お会いしていなかったのでわたしは名前をなかなか思い出せず、名札を見てカンニングしました。
でも、その店員さんは、カードも何も出していないのに「中西さん」とわたしの名前を普通に呼んでいました。
靴を2足試着して2足とも購入しました。
1足目を試着しようとするときに、店員さんが、わたしの足の大きさを目測でサイズを見ているのがわかりました。
足のサイズが目測で分かるのはなかなかすごいことで、トレーニングされていないとできないです。
わたしは麻酔科医なので、人を見てその人の体重がだいたいわかります。顔の写真であっても、身長のデータがあれば体重がおおよそわかります。
薬の量を体重で微調整するので、慣れているからです。
「足のサイズを目測ではかっているなぁ」と感心しながら、靴を持ってきてもらいました。
ここでは淡々と書いていますが、店員さんは終始嬉しそうで、キャッキャしていて、こちらまで嬉しくなります。
1足目に試着したのが写真の靴で、ブロンズ色のフラットな靴です。
フラットな靴はあまり履かないのですが、試着してみると肌色とのバランスが良い色味でした。
自分では良く分からないのですが、店員さん的には非常に似合っていたらしく、こちらがびっくりするぐらい喜んでいました。
彼女は「自分が自信をもって販売しているものが、客に似合うこと」が本当に嬉しいのだと思います。
ただ「お似合いです」というのはよく聞くフレーズですが、似合っていることに対して心から喜ぶことができるところが、わたしが彼女をプロだと感じる部分だと思います。
この日の帰り道に、「プロってなんだろう・・・」と考えていました。
世界には数えきれないくらいの職種があり、それぞれにProfessionalが存在します。
ひとつの結論として出たのが、ある職種のプロの人が「やった!オレってすごい!」と言い続けていたら、それは「自称プロ」にすぎないのかなと思います。
「やった!オレってすごい!」というのは抽象度の低い喜びです。
本物のProfessionalは、「自分が喜びを感じる対象」が存在し、その対象に対して抽象度の高い喜びを感じるのかなと思います。
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