201607.04

時間の性質

Post by 中西千華 2016年7月4日

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ついさっきまでPCで作業をしていたところ、いつの間にか2時間経っていました。

時間は、物理空間においては長さが決まっていますが、情報空間においては伸び縮みします。

なにかに集中したり没頭したりしているとあっという間に時間がたちます。

逆に、好きでないと認識していることをしているときは、時間が非常に長く感じます。

わたしは今でこそ「時間が早くたってほしい」と思うことはなくなりましたが、数年前まではあったように思います。

少し前の話ですが、秒単位の短時間にさまざまな光景が一気に頭に浮かぶという経験をしました。

物理的時間では数秒ですが、情報量は物理的時間では説明できない量でした。

苫米地英人博士の著書にもよく出てきますが、「走馬灯のような」ものです。

そのときには、時間が長く感じたというよりも、時間がのびたように感じました。

明らかに時間の伸び縮みを感じることはそうそうありませんが、普段の生活の中でも微妙に、けれど確実に伸びたり縮んだりしています。

少し話は変わりますが、最近、海外に住んでいる従姉妹とよく電話で話をします。

時差が3時間あり、従姉妹が住んでいるところは日本よりも3時間早い時刻です。

そして、成田空港からその国の空港までの飛行時間は約11時間です。

彼女と電話で話しているとき、わたしは不思議な感覚を感じます。

時差が3時間、飛行機で11時間のところで、同じ時間が流れている。

向こうは向こうで、夕飯を食べ終わってくつろいでいる時間なのだなぁ、1秒は同じ1秒なのだなぁ、としみじみ感じます。

電話の向こうで、旦那様が英語で話しかけている声が聞こえたりします。

時差は常識的なことなのですが、わたしにとっては不思議に感じます。

まだ従姉妹の国には行ったことがありませんが、もし行く場合は、飛行機の中で時間のねじれを感じそうだなぁ、と考えています。

ねじれたところを通過して、その場所に到着する気がします。

そういう意味で、わたしにとって海外便は楽しいミニタイムマシンのようなイメージがあります。

いちど、常日頃の時間という存在を、よく観察してみてください。

わたしたちは人間という情報的存在なので、時間の伸び縮みを感じることができます。

それが4次元の一つの軸である「時間」の性質なのだと考えると、ゴールに向かって過ごす「時間」というものが味わい深いものになる気がします。

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