201612.18

過去を脱ぐ

Post by 中西千華 2016年12月18日

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昨日肩凝りがひどくて、原因を考えていました。

ストレス源として3つ考えられるものがあります。

一つ目は、歯列矯正の調整をしたばかりなので、歯の動きからくるものです。

二つ目は、金曜日に郵便局から(わたし自身の)個人情報が漏れたとの連絡が入り、そちらに対応する必要があったこと。

そして三つ目は、金曜日に着たダウンジャケットが、肩凝りの原因になっているのではと考えました。

一つ目と二つ目はもちろん原因となりうるものの、三つ目がどうもひっかかっていました。

そのダウンジャケットは買って数年目で、どう考えてもわたしにのしかかってくるようで、それが肩と背中から始まって身体全体を束縛しているような感覚でした。

わたしは物を手入れしながら何年間も使うのですが、「このダウンはもう着ることができないな」と思いました。

ここ数年間、冬場はそのダウンジャケットを毎日のように着ており、重いとか、苦しいとか、感じたことはありませんでした。

物理的なモノの重さというよりも、そのモノに載っている情報があって、それが今のわたしには適さないのだと思います。

情報というのは要するに、捨てるべき過去の情報です。

もしかしたら新しい情報を載せて着てくれる人がいるかもしれないと思い、リサイクルショップに出す準備をしています。

捨てるべき過去は迷わず捨てる。

わたしちは過去に囚われて思い悩むように、なにものかに仕向けられているところがあります。

不必要な過去は、吹っ切る以外に選択肢はありません。

過去を脱いで、未来に向かいましょう。

(写真は、ここ数年間冬場に来ていたジャケットです。これからリサイクルショップに出します。)

201612.13

利他的とは何か?

Post by 中西千華 2016年12月13日

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わたしはそのときどきにおいて、考え事をいくつかしています。

みなさんもそうかもしれません。

たいていはすぐに答えの出ないものなので、複数のものを長期間に渡って考え続けています。

Adam Grant著『GIVE&TAKE』を読みながら、“徹底したギバー”というものについて考えていました。

この本の中では、ギバー、テイカー、マッチャーという3つの人間のタイプを紹介しています。

Adam Grant氏によると、ギバーは人に惜しみなく与える人(他人の利益を優先させる人)、テイカーは与えるより多くを受け取ろうとする人(自分の利益を優先させる人)、マッチャーは損得のバランスをとる人、です。

本の中に書かれていますが、人間は、これらの中の1つのタイプだけであらゆるシーンに対処しているわけではなく、その時に応じて使い分けている場合がほとんどです。

そしてこれらの使い分けの割合が、人によって異なるかと思います。

この3つのタイプについて考えるだけでも面白くて、(1つのタイプに分類するとしたら)一見テイカーかマッチャーに思われそうな人がギバーだった、とか、身近にありそうだなと考えを巡らせていました。

話を戻しますが、“徹底したギバー”について考えて続けているうちに、「利己的とは何か?利他的とは何か?」という疑問にぶち当たっていました。

わたしはときどき疑問にぶち当たり、さらに考えているうちに、答えだと思われるものと出会います。

「利己的とは何か?利他的とは何か?」

これはなかなか深い疑問で、考えれば考えるほど、堂々巡りになる可能性があります。

「利他的だと思っていたものが、実は結局、利己的なのではないか?」

例えば、人を助けることで“自分”が安心するから人を助けるのではないか、ということです。

みなさん、どう思われますか?

まったく同じ事象を、異なる立場から見ることが可能であり、異なる見解を出すことになります。

しばらく、このことについて考えていたのですが、Adam Grant氏が本の中で引用している文章がありました。

以下、孫引きになりますが、引用します。

動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールが著書『共感の時代へ』(紀伊國屋書店)で書いているように、「利己的か利他的かで分けることは、根本の問題から注意をそらすためのものかもしれない。なぜ自己を他者から、あるいは自己から他者を引き離そうとするのだろう。この二つを一体化することが、人間の共同性に隠された秘密であるというのに」

ここに答えがあるような気がして、「そういうことか」と、納得しました。

これ以上書くと引用した文章が濁るような気がするので、ここでこの記事は終わりにします。

「悩む」のではなく「考え抜く」。

とってもとっても、大切だと思います。

201612.13

本を選ぶ

Post by 中西千華 2016年12月13日

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わたしは読書が好きで、出かけるときはたいてい本を1~2冊持っています。

本と同時に、電子書籍の入ったiPadを持っていることも多いです。

本はAmazonで買うことが多いのですが、先日、本屋さんで本を買いました。

本屋さんで立ち読みをして選んだわけなのですが、久しぶりに本選びで失敗しました。

良書に出会えればラッキー、と捉えている反面、今の自分にとって必要のない本を選んだことに、「あら」と思いました。

わたしは本をきちんと読むとき、3色ボールペンを持って線を引いたり書き込んだりしながら読みます。

ボールペンの色や、線やマークの種類を変えながら書き込みます。

特に理解できないところには、「?」を付けます。

その本は、欧米圏の方が諸子百家の思想について論じているものでした。

孔子の項目を読み終わり、その他の諸子百家の思想について書かれているところを少し読み、本全体の1/3ぐらい読んだところで「読むのをやめよう」と思いました。

その時点でたくさん「?」などを書き込んでしまっていて、中古本屋さんに持って行きづらくなりました。

そして今、本屋さんで本を買うときの失敗を防ぐための、予防策を考えています。

良書に出会えればラッキーという考えは変わっていないのですが、あまりに必要のない本を買うと、いろいろなものがもったいないと感じます。

3点挙げてみます。

①本屋さんで本を手に取るとき、「速読」して内容を確認します。この後、もう一段階加えて、必要に応じて一部「浅めの熟読」という段階が必要な場合があると感じました。

②翻訳本というのは翻訳者によって、本の質に天と地ほどの差が出ます。翻訳本の時は、原著の表現はどのような表現なのだろうかと考えながら読み、翻訳者が正確に翻訳しているか推測します。

③帯にキャッチ―な文章が書かれていたり、権威を感じさせる単語が用いられている場合はいつもよりも注意が必要かなと思います。

たぶん今回は、①の「浅めの熟読」を5分でもしていれば買わなかったなぁ、と次に生かそうと思います。

なお、速読して、だいたい内容が分かるようであれば、買う必要がないです。

専門的過ぎて全く理解できない本も読み進められないので買う必要がなく、だいたい5~6割ぐらい理解できるものがちょうど良いのかもしれません。

また、翻訳本は注意が必要で、今回買った本は、欧米圏の方が諸子百家の思想について書いた本の翻訳本でした。

簡単に書くと、伝言ゲームというのは通常段階的に純度が下がるものであり、最後に伝えられるものはもはや原形をとどめていないことがよくあります。

その本からは、そんな印象を受けました。

人生の時間というのは限られていて、読む本の冊数というのも限界があります。

読む本が多ければ良いというものではなく、みなさんそれぞれにとって激選された良書に出会っていただくことができれば、わたしも嬉しく思います。

201612.02

ダイエットの方法

Post by 中西千華 2016年12月2日

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ダイエットについて、書いてみます。

わたしは職業柄、人を見るとおおよその体重が分かります。

おそらく麻酔科医は、患者さんの体重を“見る”習慣がある方がほとんどだと思います。

麻酔薬は、種類によっては体重で量を決めるので、患者さんの体重を知っておく必要があります。

もちろん、BMIを知るためには身長も必要です。

麻酔をかけるにあたり、太りすぎ(特にBMI35以上)はハイリスク要因になります。

今回は、どのようにダイエットするのが安全な近道なのか、考えてみたいと思います。

病的な痩せすぎや太りすぎは別として、わたしは、人によって適正体重は異なると考えています。

『標準体重』という、さも“正しい”かのような単語が存在しますが、参考にする必要はない気がします。

みなさんそれぞれが、“快適に毎日を過ごす”ことができる体重が、ちょうど良い体重だと思います。

身体が重いと感じるようであれば数kg減らす方が良いかもしれませんし、逆に他人から見て痩せているように見えなくても、一定の体力がないようであれば健康ではない気がします。

では、ちょうど良い体重にするにはどうすれば良いか。

おそらくみなさんそれぞれ、「このくらいの体重が一番体調が良いな」と感じる体重があると思います。

その体重に「設定」してしまってください。

言いかえると、セルフイメージの体重を「設定」する、もしくは体重のコンフォートゾーンを「設定」するということになります。

それが、一番安全な近道だと考えます。

わたしは体重計を持っていないですが、体重はおそらく50㎏±1㎏で保たれていると思います。

現時点でのわたしの場合は、47㎏を切ると、明らかに体力が落ちます。

53㎏になると、身体が重く感じると思います。

10人いれば10人の「このくらいの体重が一番体調が良いな」という体重は異なります。

人間なので当たり前であり、『標準体重』を気にする必要は全くありません。

では、これまで世の中に登場してきたダイエット方法について、少し考察してみようと思います。

最初に一番重要なことを書くと、「何か特定のものを食べる」方法は、「食への執着」を強烈にします。

栄養バランスはそれほど問題ではなく、問題は「執着」です。

「食への執着」が強烈になるので、一時的に体重が減ったとしても、「食への執着」はおさまらず、元に戻るか体重が増える可能性が高いと考えます。

そして、これも重要なことですが、ダイエット市場という一大産業から、わたしたちは刺激を受け続ける環境にいます。

ダイエット市場からメディアを通し、人間の持つ「欲」を、必要もないのに刺激され続けているということを認識する必要があります。

わたしたちが見るべきは、雑誌のダイエット特集やダイエット器具のテレビCMではなく、自分自身の内部、マインドです。

最後に、ストレスについても言及したかったのですが、文脈が複雑になりそうなので、次の機会に考えたいと思います。

「このくらいの体重が一番体調が良いな」という体重に、「設定」です。

「設定」した後は、脳が覚えているので、気にせずに手放してください。

201612.01

続 アファメーション

Post by 中西千華 2016年12月1日

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先日アファメーションを刷新したので、毎日朝と夜に読んでいます。

毎日読んでいて、「アファメーションはその人とともに、どんどん変化するものなんだな」と、改めて感じています。

今のわたしのアファメーションは、わたしにとって未完成なものです。

では完成させればよいのではという話なのですが、どこに何を付け加えて、どの部分を削るべきなのか、毎日考えています。

おそらく、それらがクリアに見える瞬間が来て、また作り直すのだと思います。

Lue Tice氏のアファメーションを見たことがある方がいらっしゃるかもしれないですが、わたしが知っているLue Tice氏のアファメーションは、シンプルかつ抽象度が高いです。

アファメーション作成におけるルールのひとつに「バランスをとる」というものがあります。

Lue Tice氏のアファメーションは、バランスを取る抽象度を遥かに超えた次元のものであり、見方を変えると、バランスを取るべきもの全てを包括する、とも言えます。

もちろん、アファメーションにはルールはあるものの、正解はなくて、“その時の自分にとってフィットするアファメーション”を作っていただければと思います。

今回アファメーションを作り直して、ひとつ再確認できたことがありました。

バランスを取るという意味で「老後」の項目を考えたのですが、いまのわたしにとって「老後」は存在しないです。

「存在しない」ということに気付いて、なんだか安心しました。

「老」のラインがよく分からないですし、いま比較的自由な生き方をしているので、定年というものも存在しません。

例えば、よくある“常識的”な考え方として、「定年後の老後を悠々自適に暮らす」というフレーズを考えます。

よく考えてみていただければと思います。

それは本当に幸せなのですか?

たった今、悠々自適になることはできないのですか?

なぜか憧れの対象となっている、悠々自適の正体って、一体なにかわかりますか?

そう考えると、「定年後の老後を悠々自適に暮らす」ことは誰かにそう思わされている、have toかもしれないと感じます。

繰り返しになりますが、アファメーションは誰かに見せるものではありませんし、正解はありません。

自由に、そしてワクワクするアファメーションを、じっくり考えていただければいいなと思います。

そしてアファメーションの更新は、いつでも心おきなく、どんどんしてくださいね。

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