香りにのった情報
みなさんにも経験があると思いますが、香りには情報がのっています。
実家を思い出す香りであったり、友達を思い出す香りであったり、嗅覚で何かを思い出すことはよくあるのではと思います。
わたしがふだん使う香水は2種類あり、そのうちの一つが写真右側のELLENSIAです。
左側はふだん使う2種類とは別に、ELLENSIAの代わりに、今日使おうとしているAmaranthineです。
もう一つ、愛用しているものがあるのですが、今日は書かないことにします。
これらの香水の香りには情報があります。
ELLENSIAの香りは、花束の香りです。
ピンクのリボンがかかっていますが、まさに香りの色はピンクや白や黄色で、しかもフレッシュなみずみずしい花束のイメージです。
音楽にするとハープによる繊細な音楽が聞こえるような、そんな香りです。
Amaranthineの香りは、色のイメージはダークなパープルのような色をしており、夕焼けのようなイメージがあります。
音楽にすると、あまり詳しくはないですが、オペラのような音楽が聞こえます。
ELLENSIAにのっている情報が、いまの自分とマッチしないので、今日はELLENSIAをしまって、Amaranthineをしばらく使ってみようと思いました。
ただ、先ほどもう一つ愛用している香水を内緒にしましたが、ELLENSIAも相当大好きです。
ですので、大切にしまいます。
ちなみに、わたしは共感覚をもっているのではないのですが、誰でもトレーニングで他の感覚で感じることが可能になります。
みなさんもぜひ、香りを色や音にしたり、音を色や香りや触覚にしてみたり、ある感覚をさまざまな感覚に置換するトレーニングをしてみてください。
情報空間がより認識しやすくなりますし、世界が少し違って見えてくるかと思います。
お金とは何か
お金とは、そもそも物々交換をスムーズに行うツールとして使われ始めたものです。
例えば1万円札ですと、1万円札そのものには、紙とインク、印刷代以上の価値はありません。
モノに交換できるという機能があるので、わたしたちはお金そのものに価値があると思い込み易くなっています。
ただ、お金そのものには価値はないものの、日常生活においてはあると便利なものです。
お金が欲しいと思うのであれば、なぜ必要なのか、何に使いたいのか、徹底的に考えてください。
そして、モノが欲しい場合、なぜそれが欲しいのか、本当にそれが欲しいのか、誰かにそう思わされていないか考えてください。
また、裕福な生活がしたい、美味しいものが食べたいと考える場合、その思いは飢餓への恐怖からきている可能性があります。
今の日本において、食べ物を買うお金がなくて飢餓で死ぬことがあると、本当に思いますか。
わたしは生活保護を現物支給にする方が良いと考えますが、現在の生活保護でいくら支給されるか知っていますか。
そしてその支給額を知った上で、あなたが仕事をする理由はなんでしょうか。
もっと言うと、貴族のような生活で、心から幸せを感じられるのでしょうか。
わたしは今、いろんな質問をあなたに投げかけています。
あなた自身に考えてもらいたいからです。
愛欲と社会的情動
愛欲と社会的情動の違いについて考えたいと思います。
簡単に言うと、愛欲は抽象度の低い愛であり、煩悩の一つです。
愛欲が、世間一般で認識されている愛情ではないかと思います。
一方、社会的情動は、抽象度の高い愛であり、”慈悲”とも表現されます。
社会的情動について、苫米地英人博士の著書でよく出される例として、線路の切り替えの例があります。
アメリカでの実験です。
「あなたがプラットフォームにいるときに電車が走ってきて、線路の切替機を切り替えないと、その先に立っている人が一人死ぬ場合、あなたはどうしますか?」という質問に対し、100人中100人が「走って切り替えに行く」と答えました。
自分が死ぬ可能性よりも、1人でも助かる可能性を選ぶ、これが社会的情動です。
さらに、「線路の切替機を切り替えないと一人死ぬが、切替機を切り替えた場合にはその先に五人の人がいる場合、あなたはどうしますか?」という質問に対し、ほとんどの人が混乱して答えを出せませんでした。
どちらを選んでも死ぬ人がいる場合、答えを出せない、判断できない、これが論理を超えた愛であり抽象度の高い愛である、とあります。
ここからは私の考えですが、一般的に人間は年を重ねるごとに愛欲から社会的情動へと愛の抽象度が上がる印象を受けます。
より詳しくいうと、愛欲と社会的情動の割合のうち、社会的情動が増えてくるという印象です。
例えば、若い年齢で経験する「誰かを好きになる」という情動は典型的な愛欲であり、煩悩であり、抽象度の低い愛情です。
良い悪いではなく、人間として、子孫を残すための性欲とつながることを考えると、愛欲を持って当然のものです。
また、「結婚して恋人から家族になってしまった」という表現を聞くことがありますが、いつまでも煩悩である愛欲のみでは進歩していないとも言え、家族としての社会的情動になるというのは愛の抽象度が上がっていることになります。
熟年離婚という言葉がありますが、愛情の抽象度を理解していないこともあるのではないかと思います。
1人の人間に対し、愛欲から社会的情動まで、さまざまな抽象度の愛を持って良いものであり、「愛欲がなくなったから冷めた」という簡単なものではないです。
線路の切替機の話に戻りますが、上記の、どちらを選んでも死ぬ人がいる場合、判断できない。これが人間として抽象度の高い社会的情動です。
どんなときでも論理的に判断できるのが良いのではなく、迷うべきところで迷えることが人間の素晴らしいところだと言えます。
記念日
本日、Creative Coaching株式会社を設立いたしました。
私にはゴールがあります。
苫米地式コーチングを学びはじめ、ゴールを設定した瞬間から、あらゆるものが凄いスピードで動き始めました。
当初は、嵐のような音が聞こえるぐらいでした。
会社設立は、ゴール達成の過程において必要であっただけで、特別がんばって会社を作ったとか、努力してここまで来たという感情は、全くありません。
むしろゴールを設定することで、プログラムされたかのようにさまざまな事が起こります。
コーチングとはそういうものであり、当然なのだと思います。
達成感や喜びはない一方、私に関わってくださっている全ての方々に対する感謝の気持ちは表現しきれないぐらいです。
Creative Coaching株式会社の目標は、ただみなさんにコーチングを提供することではありません。
これから、この世界に新しいものをたくさんCreateしよう、みなさんに新しいものをCreateしていただこう、そう思っています。
最後に、私にスタートのチャンスをくださった、田島大輔コーチ、ありがとうございます。
昭和22年初版
先日友人からある本を薦めてもらい、読んでいます。
昭和22年初版の、中村天風著『真人生の探求』です。
今回は前半から2か所引用します。
「さて多くの人がおおむね多くの場合、正当な人間の価値認識を、往々第二義的な寸法違いで、行っている。...然らば、その原因となっている事実消息とは、一体どんな事柄かというと、人の生命の内奥深くに、潜勢力(Reserved Power)という微妙にして優秀な特殊な力が何人にも実在しているという、厳粛な大事実を信念していないからである。」
中村天風氏が言う潜勢力、これは、コーチング用語で言うマインドと極めて近い意味で用いられています。
昭和22年は1947年であり、戦後間もなく初版となっていることになります。
約70年前にマインドについて記述していること、そしてその頃の時代背景を考慮すると、感銘を受けざるを得なかったです。
「...、さてそれなら、どうすればその尊い力を何人にも自由に発現せしめることが出来るのか、という一番大切な問題には、案外にも事実に於いて論及している人が、余りにも尠ないのである。」
これは非常に鋭い指摘で、潜勢力(≒マインド)の”使い方”について、誰も詳細に記載できていないことを指しています。
中村天風氏は、潜勢力があると主張するだけではなくで、”使い方”を人々に伝えないと意味がない、と仰っています。
一貫して気持ち良いぐらいのはっきりした口調で書かれており、目の前に生きた中村天風氏がいるかのように感じられます。
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