どら焼き
なんだか懐かしいキャラクターのどら焼きが売っていたので、ついつい買ってしまいました。
藤子不二雄先生の『ドラえもん』です。
今更ですが、藤子不二雄は、藤本弘氏(藤子・F・不二雄)と安孫子素雄氏(藤子不二雄A)による漫画家ユニットの共同ペンネームです。
『ドラえもん』は藤子・F・不二雄による作品です。
1969年より雑誌に連載が開始され、1973年に初めてテレビアニメ化されています。
わたしが物心ついたころには、家のテレビで毎週『ドラえもん』を見ることが習慣となっていました。
ドラえもんは22世紀のトーキョーという未来の国で作られたものであり、ネコ型ロボットです。
のび太のひ孫であるセワシが、のび太の悲惨な未来を変えるために、のび太の世話役として持ってきたものです。
ドラえもんの特徴として、ロボットでありながら人間のようにコミュニケーションを取ることができ、四次元ポケットを持っています。
ドラえもんは四次元ポケットから「ひみつ道具」とう道具を取り出して、のび太の願望をかなえたり、のび太やその友人たちを助けたりします。
いま、テレビ朝日のホームページにある、「ひみつ道具カタログ」というものを閲覧しているのですが、人間の記憶というのは頼りにならないなぁと感じています。
子供のころに毎週毎週見ていたのに、ひみつ道具が初めて見るものばかりです。
では、面白いひみつ道具をいくつか紹介しましょう。(朝日テレビホームページより)
コーチングにつながりそうなところから。
【あらかじめ日記】・・・この日記に書いたことは、どんなことでもぜったいにその通りになる。
【一夜漬けダル】・・・このタルの中に入っている特殊なぬかに、できるようになりたいモノといっしょにつかると、いつのまにかじょうずになっている。長くつかるほど、効果がある。
【イマニ目玉】・・・見たい未来の時刻にダイヤルを合わせて目に入れると、未来のできごとを見ることができる。
【ウキウキ輪】・・・これをつけると心の痛みを忘れ、気分がウキウキして、細かいことは気にならなくなる。破れやすいのが難点。
【宇宙完全大百科と端末機】・・・この中に、宇宙に存在するありとあらゆる情報がつまっている。知りたいことを端末機にうちこめば、情報が出てくる。
【うつつまくら】・・・夢と現実を取りかえる道具。このまくらを使って眠ったときに見た夢は、現実になる。
「あ」~「う」ではじまるひみつ道具でもかなりの数があり、しかも面白くてここまで読むのにかなり時間がかかりました。
「あ」「か」「さ」ではなくて、「あ」「い」「う」です。
ひみつ道具を6つあげましたが、とっても面白くありませんか。
おそらく、みなさんそれぞれで感じ方は異なると思います。
わたしが感じたことを書きます。
【あらかじめ日記】はアファメーションのような存在、【イマニ目玉】はビジュアライゼーション、【ウキウキ輪】はまさにマインドの使い方、【宇宙完全大百科と端末機】は小宇宙である人間そのものを表している気がします。
【一夜漬けダル】はセルフコーチングを続けることでマインドの使い方がどんどん上手になるような印象をうけますし、【うつつまくら】は臨場感と関係しています。
なんといっても、【宇宙完全大百科と端末機】=人間というところが最高に興味深いです。
多くの情報を一気に書きましたが、この6つを選ぶのにかなり時間がかかっています。
みなさんも、これら6つの意味をひとつひとつ、じっくりと考えてみてください。
先ほども書きましたが、同じ感じ方ではなくて良いので、想像の世界で楽しんでみてください。
「え」以降のひみつ道具に関しては次回のお楽しみに・・・。
want to
今週のある日、わたしは9時から22時まで手術室の中で麻酔をかけていました。
「麻酔科医でないと分からない疲れ」が我々麻酔科医の仕事には存在します。
医師でない方々だけでなく、他科の医師にも理解してもらうのは難しいのではないかと思います。
同じ麻酔科医でも、ペインクリニックや緩和ケアをしている方が、「やはり麻酔は疲れるね」とおっしゃっていました。
列挙はしませんが、全身麻酔では患者さんの呼吸を止めるので、主にそれによって生じるのかなと考えています。
帰宅は深夜12時前でした。
でも不思議なもので、勤務中、早く帰りたいとか、しんどいとか、そういった感情は一切出てきませんでした。
わたしにとってwant toの仕事であり、この仕事が好きなのだなぁと感じます。
また、表現が難しいですが、わたしは職人なので、そもそもhave toになり得ないという感じもします。
当然コーチングも、わたしにとってwant toです。
今の生活でhave to(やらねばならない)のものは見つかりませんが、もっともっとwant toのものを遠慮なく増やしていこうと思います。
もちろん、みなさんにも、大切な人生をwant toでいっぱいにしていただきたいです。
千手観音
最近わたしはたくさんの人に助けられています。
これまでも助けられていたのですが、最近とくにそのことを強く感じます。
彼らがいないと話にならない、というぐらいの方々がいて、わたしの中で勝手に「わたしには右腕のような方がたくさんいるなぁ」と感謝しています。
右腕がいっぱいある様子を考えていたところ、千手観音が思い出されました。
京都の三十三間堂で妹と一緒に見た、千手観音を思い出しました。
千手観音は、日本では三十三間堂だけでなく、何か所かにあります。
千手観音は六観音のひとつで、慈悲の観音です。大悲観音とも呼ばれるそうです。
実際に千の手をもつものと、代表的な42手を持つものがあります。
42手について説明を加えると、合掌している手を除いた40本の腕それぞれに25の観音力が宿っており、それらを掛け合わせて千手となるそうです。
千手それぞれの掌に目があり、千手千眼観世音菩薩と呼ばれます。
千手には様々なものを持っており、42手をもつ千手観音ですと1手で25の世界を救うとされています。
千手で1000の世界を救うという表現もできますし、1000の手段を持っているとも言えます。
また、冠についている顔は11面あるいは27面あり、救う相手によって最も効果的な方法で接することができるとされているようです。
おそらく千という数はあまり問題ではなく、千は∞(無限大)を意味しており、無限の慈悲をもって、人々のあらゆる願いを叶え、あらゆる悩みから救う観音だと思われます。
三十三間堂には、国宝である千手観音坐像と、その左右に千体の千手観音があります。
三十三間堂のホームページに、「約500体には作者名が残され、運慶、快慶で有名な慶派をはじめ、院派、円派と呼ばれる当時の造仏に携わる多くの集団が国家的規模で参加したことが伺えます」とあります。
国家的規模でこれほど抽象度の高い空間を作ったことに対して、言葉では表現しきれない思いになります。
当時の造仏師の気持ちになったとき、どのような思いでこれらを造ったのだろうかと・・・。
彼らと造仏したかったなと・・・。
わたしが感謝している方々がたくさんいるという話から、話が飛んだように感じられるかもしれませんが、千手観音は非常に抽象度の高い世界を表しています。
千手観音が意味するものを、ぜひゆっくり考えていただければと思います。
森か公園か
このあいだ電車に乗っていたとき、子供たち3人と、それぞれの子供のお母さんたち3人が乗ってきました。
子供たちは4~5才のように見えました。
昼間で電車は空いており、子供たち3人が私の隣に座りました。
座ると言っても、外を見るために後ろ向きに膝をついて、3人で外を見ながら話し始めました。
「ねえねえ、見えるもの言っていこ!」
「家!」
「車!」
「木!」
「木!あれ?森じゃなーい?」
「えー、公園じゃない??」
わたしは振り返って見ていませんが、おそらく木がたくさんあって、ベンチなどもあったのだと思います。
木がたくさんある様子を、ある子は「森」と表現し、別の子は「公園」だと言って話をしていました。
子供って面白いな、と思いながら聞いていました。
「木」という抽象度のものを視野を広げて「森」と抽象度を一段階上げる子と、「公園」という方向に抽象度を一段階上げる子がいる。
子供とは自然に抽象度の上げ下げが自由にできるのかもしれません。
子供は成長するにしたがって、様々な知識を身に付け、大人から社会の「正解」を教えられて、自由さを失っていくのかもしれないなと思いました。
人間が生まれたときは、知識はありませんが、自由です。
でも、大人になった私たちも、知識の上にさらに知識を得て、自由を選ぶことができます。
たくさん考える必要性
わたしたちの脳はシリアル思考もパラレル思考も、両方できます。
「シリアル」は「直列」、「パラレル」は「並列」です。
例えば、パラレル思考の分かりやすい例ですと、電話しながらスーパーのレジでお金を払ったり、わたしたちはできますよね。
ここで、思考スピードを上げる方法を考えます。
一番簡単なのは、ひとつのことをシリアルにより速く処理することですね。
徐々に難易度は上がりますが、次が複数のことを同時並行で処理する、パラレル思考です。
そしてさらには、パラレル思考をする際に処理する情報量を増やすこと、つまり、グレインサイズを大きくすることです。
グレインサイズ=抽象度であり、グレインサイズが大きくなると潜在的情報量が増えます。
言い方を変えると、抽象度を高くすることで視点が上がり、多くの情報が視野に入ってきます。
ここまで読んでいただいて、「そもそもそんなに考えることはありませんけど」という、「そもそも論」の声が聞こえてきそうです。
そうなんです。今の日本において、洗脳のような情報が蔓延している中、普通に暮らすにはあまり考える必要性がありません。
わたしたちは、あまり考えないように仕組まれています。
では、どうなったら上記のような情報処理方法が必要になってくるのでしょうか。
それは、「本物の」ゴールを持ったときかなと思います。
「本物の」ゴールを迷いなくもつと、思考すべきことの量、処理すべき情報量が言語の限界を振り切ります。
一度でも経験すると、この感覚は分かるかと思います。
シリアル思考には「シリアルボトルネック」という速度限界があります。
それは言語の限界とほぼ近いものでもあり、そのネックを、完全に振り切らざるをえなくなります。
つまり、グレインサイズを大きくしてパラレル思考をしている状態では、もはや言語を用いていません。
なんだかワクワクしませんか?
わたしはワクワクします。
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