優秀なRAS
先日知人が、朝の通勤時にあった面白い出来事を聞かせてくれました。
朝とても急いでいて、間違えて、いつもとは逆方向のバスに飛び乗ったそうです。
でも結局、少し廻り道にはなったものの、いつもと同じ時刻に勤務先に到着したそうです。
逆方向のバスに乗って、同じ時間で同じ場所に着く。
面白いなと思います。
脳は隙あらば楽をするものなので、通勤路は、毎回考えなくても気が付けば同じ通勤路を辿っているものだと思います。
でも不意に違う道を通ったら、これまで見なかった違う光景が目に入ってきます。
脳にとってサボることは必要不可欠であり、そこにRASの優秀さがあるので、何が良いとか悪いということはありません。
RAS(reticular activating system)は、網様体賦活系と呼ばれるものです。
苫米地英人氏の著書より引用します。
「RASというのは、人の脳の活性化ネットワークのことで、毎秒毎秒五感に入ってくる大量のメッセージの中のどれを意識するかを決定する役割を果たすものです。
いわば私たちが受け取る情報のフィルターとして、情報の取捨選択を行っています。
スコトーマとは、盲点のことです。
私たちは身の周りの情報をすべて理解しているかのように感じていますが、実はスコトーマによって隠されていることがたくさんあります。」「なぜ私たちにスコトーマがあるかといえば、それはRASがあるからなのです。私たちの脳がRASによるフィルターを通して現実世界を認識している限り、その認識にはスコトーマがあり、現実世界をそのまま認識している人は1人もいないのです。だから、目の前にあるものが見えなかったり、ないものが見えたり、ということが起こります。」
「つまり、人はそれぞれスコトーマとRASを持ち、その結果として同じ物理世界を見ている他人は誰もいないということなのです。」
〈参考文献〉苫米地英人『コンフォートゾーンの作り方』フォレスト出版
知人の話を聞いてRASのことを考えていると、わたしが研修医だったころの経験を思い出しました。
研修医のころにお世話になった医師の方々の中で、わたしには外見が見分けづらいお二人がいらっしゃいました。
専門とする科が異なる方々で、今思えば全く似ていません。
でも、当時のわたしは第一印象の時点で見分けがつかなくなり、「『認識』って不思議だな」と感じた記憶があります。
RASの悪戯によるものですね。
背格好が似ている気がするので、わたしの人の認識においては、顔の特徴よりもその人の雰囲気や姿形が重要になっているのかもしれません。
見分けがつかないのは困るため、当時は「鼻の形」で見分けていました。
今、全く似ていないと分かるのは、ゼロから認識し直したのではなく、じっくり違いを確認したからだと思います。
人間は一度見た対象を、ゼロから認識し直すことは難しいです。
ここで思うのは、わたしたちは優秀なRASに上手く働いてもらう必要がある、ということです。
RASの働きがスコトーマ(盲点)を作ることだとすれば、わたしたちは顕在意識によって、何を見て何を見ないか、決めることができます。
RASの持ち主はわたしたち自身ですが、ともすると、大切な見るべき対象がスコトーマに入って見えなくなります。
重要なのはゴール設定であり、適切なゴール設定により、目に入るものがゴールにとって必要なものに変わってきます。
RASの強力な力を借りましょう。
BLEACH
今日美容室に行って、初めて、髪のブリーチを経験しました。
今日してもらったのは、ブリーチで髪の色素を抜いた後、新たに色素を入れる手法で、ダブルカラーと呼ぶようです。
髪の一部分だけ、ダブルカラーをしてもらいました。
これまで美容室で、ヘアカラーでカラーリングしてもらったことは何度もあります。
一方、色素を抜くブリーチについては、なぜか考えたこともなかったように思います。
これまで、髪が痛むとか、なんだか不真面目なイメージがあるとか、いつのまにか抱いていた“イメージ”に囚われていました。
美容師さんに、「ブリーチしてほしいって来る人はたくさんいますか?」と聞いたところ、「ブリーチを選ぶお客さんそのものが、このお店では少ないです。」ということでした。
美容室の立地によって、お客さんの年齢層や趣向、求めるものが異なるのだと思います。
「でも、なんでもやってみなきゃわからないですよね。」と言ったところ、美容師さんがとても嬉しそうに笑ってくださったのが印象に残りました。
やってみなきゃ髪が痛むかどうかわからないし、やってみなきゃどんな色になってどんな気分になるのかわからない。そう思います。
やってみなきゃわからないことがたくさんあります。
やってみる以前に、わたしたちの知らないことがまだまだたくさんあります。
そして、人生は一度きりで、いつ終わるか分かりません。
どんなことでも、興味があってやってみたいと思ったら、やってみると良いと思います。
トライした結果面白くなかったら、それはそれで学ぶことがあるので、マイナスにはなり得ません。
want toで起こした行動は、良い結果になると思います。
免疫力
写真は、水曜日に買って調理した舞茸です。
この舞茸には力がみなぎっているような印象を受けるのではないでしょうか。
今週の月曜日と火曜日、喉がいがらっぽい感じがしていました。
風邪をひきたくないと思い、水曜日にキノコをたくさん食べました。
わたしは滅多に風邪をひかないので、何かしら免疫力が低下する瞬間があったはずだと思い、原因を考えていました。
そう考えると、思い当ることがありました。
詳細は書きませんが、心の持ちようで、人間の免疫力というのはとても左右されます。
マインドの使い方が、人間の免疫力や治癒力に大きく関わるということですね。
話を戻します。
ここ1年ほど、わたしがよく食べている食材のひとつに、キノコ類があります。
なかでも、舞茸をよく食べます。
キノコ類をよく食べるようになった理由を少し書きます。
わたしが一緒に暮らしている猫の一匹が、子猫の時の予防接種による反応で弱ってしまったときに、何らかのウイルスに感染しました。
接種後数日間で肺炎が重症化したような症状になり、獣医さんに、「猫の感染症で致死率がほぼ100%のものがあり、その可能性は否定できません」と言われました。
そのときに獣医さんから処方していただいたものの中に、免疫力を上げる動物用サプリメントがありました。
シロップのようなもので、細い1㏄シリンジで、体重換算した量を直接飲ませていました。
発症後、見ていられないようなひどい症状が1週間ほど続きました。
胸水が溜まっているのか、呼吸はゼロゼロで横になると呼吸ができないので、立った状態で小さな前足をわたしの身体にかけて呼吸していた記憶があります。
「生まれてきたばかりだけど、とってもしんどいから、もう、楽になりたい」と言われているようで、辛かったです。
いよいよ入院させてもらいたいと獣医さんに電話で相談した日に、奇跡的に食事を取り始めました。
それまでは、ほとんど食事を取ることができなかったので、粘度の高い、高カロリーの栄養剤を朝晩口に入れていました。
自ら食事を取り始めた、ということは、「お腹が空いて食べたい。生きたい。」ということを意味し、わたしはそれを見て泣き崩れました。
その日を境に、症状が少しずつ回復していきました。
そのときに飲ませていた液体サプリメントが、舞茸から抽出された成分のものでした。
獣医さんは、「これは動物用だけど、僕も風邪気味の時とか、飲むことがあるんですよ。甘いんですよ。」と仰っていました。
サプリメントの宣伝をしたいのではありません。
このような経験をしているので、キノコ類を積極的にとるようになりました。
実体験というのは大切ですね。
キノコ類の経口摂取だと、熱を加えて調理をしますし、免疫力を上げる成分は少ししかとれないかもしれません。
わたしはそれでも良いと思っていて、キノコ類の本当の力以外に、わたしが信じているから、免疫力を上げている側面もあると思います。
わたしは、自然治癒力が備わっている生物にとって、免疫力はとてもとても大切だと考えています。
この世界には、本当にたくさんの、免疫力を上げる方法や、免疫力を上げる食べ物が存在しています。
実際に効果的なものが数多く存在しています。
決してお金をかけなくてもいろいろな方法がありますので、ぜひ、みなさんそれぞれに合った方法を一つでも見つけて、味方につけていただけるといいなと思います。
コンフォートゾーンから出る怖さ-①引っ越し
人間にとって、生物にとって、コンフォートゾーンにとどまることは自らの身を守る手段です。
安全でいられると確信している場所にとどまることが、個体の生命の安全につながるからです。
経験されたことのある方もいらっしゃるかもしれませんが、コンフォートゾーンから出ようとすると、引き戻す力が強烈に発生します。
引き戻す力の強さは言葉で表現できないほどで、恐怖や不安を生じさせることで生物をコンフォートゾーンにとどまらせようとします。
要するに、コンフォートゾーンから出ることは、怖いことです。
例として挙げると、昨年引っ越しをしたときの、一緒に住んでいる猫の反応が興味深かったです。
引っ越しのペットの移動は、専門のお店にお願いしました。
引っ越し作業が落ち着くまでお店で預かってくれて、夕方、引っ越し先へ連れてきてくれました。
引っ越した夜から、猫のうちの一匹がときおり過呼吸をするようになり、2~3日かけてゆっくり治まりました。
部屋の構造も、匂いも、窓から見える景色もすべて変わり、さぞかし不安が強かったのだろうと思います。
猫の過呼吸という反応は、猫の物理的なコンフォートゾーンを、わたしが強引に変えてしまったことによって起きたことです。
この記事でお伝えしたいのは、物理的な猫の縄張りについてではありません。
「コンフォートゾーンから出ようとすること(コンフォートゾーンを外れること)は恐怖を伴うものだ」ということです。
そして、この恐怖という感情は、生物として当然の反応だということです。
恐怖が伴うことを知らなければ、「なんて恐ろしいんだ!」と感じるかもしれませんが、知っていれば「あ、わたしはコンフォートゾーンから出ようとしているんだな」と認識できます。
感情を意識に上げて認識することが、とても重要です。
いったんコンフォートゾーンから出てしまえば、あのときの感情は強かったなぁ、と思うだけです。
コンフォートゾーンから出ることは、結果として、コンフォートゾーンを広げることになります。
コンフォートゾーンを広げることで、ゴールに近づきます。
生体反応としての恐怖を意識に上げて、コンフォートゾーンを広げることを楽しんでいただければ良いなと思います。
食パン一斤の食べ方
先日、いつもお世話になっている方に食パンを一斤いただきました。
カットされていない、まだほんのり温かい食パン一斤です。
わたしは知らなかったお店なのですが、都内に行列のできる食パン専門店があり、そちらの食パンでした。
その方のおススメの食べ方があって、「買った日はパンが柔らかいから、手で豪快にぶわっと割って、ちぎって食べるのが美味しいよ」ということでした。
わたしは、食パン一斤を、カットせずにトーストもせずに手で食べるということは、おそらく経験したことがありません。
みなさんはいかがでしょうか?
「いつもカットしていない食パンを一斤買って、手で豪快に食べているよ」という人は、日本では少ないと思います。
わたしは、「これはやってみるしかない!」と思い、帰って豪快に食べてみました。
これがなんだか、とても楽しかったので、記事に書こうと思いました。
気持ちが、少し子供のころに戻るような気がしました。
なんだかとても楽しい上に、美味しいパンが格別美味しく感じて、カットの食パンでは分からないような感覚を経験できました。
もしもおススメの食べ方を教えてもらっていなかったら、カットしてトーストしていた気がします。
わたしたちは子供のころに大人から「常識」を教えてもらった結果、大切なものがスコトーマ(盲点)になっていることがあります。
でも、「常識」的でないことの中には、大切で楽しいことがたくさんあるような気がします。
ですので、「常識」を疑ってください。
「常識」は存在しません。
みなさんにもぜひ、心置きなく常識破りをしていただければと思います。
人生は楽しむためにあります。
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