先生、とは
「先生」という言葉の危険性について、確認したいと思います。
日本では、さまざまな教師、政治家、医師、弁護士、作家などに対して 「先生」と呼ぶのが常識的かつ礼儀正しいこととして教えられています。
なんの疑問を持つことなく、「先生」という言葉を使っていると思います。
苫米地英人博士の著書の中にも書かれていますが、「先生」は儒教からきている、差別を生み出す言葉です。
わたし自身、中学生のときに、「先生、は先に生まれると書き、先に生まれた人を敬うように」と「先生」から学んだ気がします。
ここで、疑問を抱いていただきたいです。
…それは、本当なのか?
…先に生まれたから、敬うのか?
…「先生」はなぜ偉いのか?
…本当に偉いのか?
わたしは、違うと思います。
わたしは人間は平等に尊いと思います。
「先生」という、汎用性の高い差別を生む単語は、欧米には存在しないような気がします。
みなさんによく考えていただければと思います。
ゴールの向こう
今回は、ゴール設定における大切な考え方を書きたいと思います。
ゴールを考える際に重要なのは、設定したゴールの向こう側を「意識」することだと、わたしは考えています。
ゴールを達成したときに、どんな光景が見えて、次なるゴールがどのように見えるだろうかと「意識」することです。
ゴールの向こう側はもちろん見えなくても良くて、意識しておくことが大切です。
わたしは、どんなに抽象度の高いゴールであっても、その向こう側が必ずあると考えています。
情報空間には限界がなく、わたしたちには死ぬまで無限大の可能性があることを、是非おぼえておいてください。
臨場感
今日は携帯の目覚まし音で起きることができず、起きるのが少し遅くなりました。
昨日の夜に、海外TVドラマを観たことや、夜食を食べたことを思い出しました。
観ていた海外TVドラマを紹介すると、「グレイズ・アナトミー」です。
ここ数年観るのをやめており、久しぶりに続きを観ました。
ストーリーの途中で、医師達がのったチャーター機の飛行機事故が起きます。
その事故の臨場感が非常に強く、ドラマだとわかっているのに、なんだか観れなくなってしまい、観るのをやめていました。
好きな医師達が数人、ストーリー上で亡くなったのです。
その役者さん達が出ている他の映画を観ればいいのではないかとも考えつきますが、なんだか、それではダメで、不思議なものだなと思います。
それだけ、「グレイズ・アナトミー」が創り出した臨場感空間が、わたしにとって強かったのだと感じます。
ヒューマンドラマだけでなく、手術の描出の仕方や、医師達の判断の仕方に違和感がほぼなく、面白いドラマです。
久しぶりに観て、ここから観ていないと思ったvolは、確実に3回ぐらい観ているシーンで、記憶はあてにならないなと感じながら観ていました。
今日も、観ようと思います。
メディア
わたしはテレビを持っていません。
勤務先にテレビがあることが多いので、休憩時間にニュースやバラエティ番組が目に入ってくることがあります。
みなさんもご覧になったかもしれませんが、今日はある医師に関するニュースがありました。
わたしは、びっくりしましたし、メディアの取り上げ方にもショックを受け、いろいろなことを考えていました。
いろいろなことを考えている中で、やはり、このニュースにとどまらず、メディアの報道の仕方の問題について考えていました。
映像という視覚から入ってくる情報、しかも感情に訴えかけるような操作性の高い言葉には、人間は強い影響をうけるのだということを改めて感じました。
わたしはふだん、動揺することはあまりないです。
でも、今日はたった1分弱ぐらいのニュースを見ただけで、ほんのわずかに動揺が起きました。
同職者に関するニュースだからというわけではなく、それ以外の部分で、自分は完全に操作されているということが感覚的にわかりました。
わたしのブログを読んでくださる方で、テレビを見る方は少ないとは思いますが、もしテレビを見る方がいらっしゃいましたら、その情報の裏を、常に読むようにしていただきたいです。
テレビのみならず新聞など、あらゆる情報には裏、つまり情報発信者の意図があります。自分に何かしら強い感情がわいてきたら、99%操作されていると言っても過言ではないと思います。
わたしたちが考えている以上に、わたしたちを操作するために、情報は操作されています。
一次情報を除けば、本当の真実を伝えてくれるような、親切な情報は世の中にあまり存在しません。
逆に言うと、真実を知るには、一次情報に接する必要があると言えます。
変性意識
コーチングではあまり説明をしないのですが、変性意識について説明します。
英語では「Altered States of Consciousness」です。
Statesがついているので、正確には変性意識状態、です。
どういう状態かというと、リアリティを感じている世界が、物理的な現実世界ではなく、情報的な仮想世界にある状態を指します。
浅い変性意識から深い変性意識まで、深さはさまざまかと思います。
ほんの少しでも、物理的現実世界ではない世界に臨場感を感じたら、定義上は変性意識状態です。
つまり…、何か少しでも考えた時点で変性意識状態ということになります。
思考は情報空間のものだからです。
ですので、変性意識を何か特別なものと考えている方はたくさんいらっしゃるかもしれませんが、実は、わたしたちの通常の状態は定義上、変性意識状態です。
リアリティの感じる世界が、物理的な現実世界から情報的な仮想世界、この2つのバランスの中で、わたしたちは存在しています。
ちなみに、リアリティ=臨場感、ですね。
また、深い変性意識のことをトランス状態と呼びますが、これは仮想世界のリアリティがとても高い状態で、例えば映画を観て泣いたり笑ったり、怖くなったりしている状態がまさにトランス状態です。
トランス状態と聞くと少し怖い感じもするかもしれませんが、わたしたち人間は、物理的な存在であると同時に情報的な存在でもあるので、トランス状態はよく起きています。
言いたいことは、変性意識は特別なものではない、ということです。
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