普段の生活の中にある、たのしみ
『たのしみは ぶどうやくりを食べながら家族みんなで会話するとき 由季』
少し前になりますが、東京メトロを乗り換えようとしたところで、展示会をしていました。
こちらは、交通事故重度後遺障害者の作品のひとつです。
ふと目に入り、「わたしもそう思う。」と、立ち止まりました。
普段の生活の中にある、たのしみ。
みんなが羨ましがるようなもので幸せは手に入らなくて、普段の生活の中に、本当に幸せな瞬間があります。
幸せというものは、相対的なものではなくて絶対的なものだと思います。
本当に幸せな瞬間に、幸せであることに“気付くこと”が大切です。
木々と蝉の声
初めての病院での勤務は、かなり久しぶりです。
電車を降りた瞬間から緑がいっぱいで、蝉が鳴いていて、とっても清々しい雰囲気の街でした。
なんだか、地元に帰って来たかのようなホッとした気持ちになり、不思議な感覚でした。
わたしの地元の景色と似ているのかなぁ、どこが似ているかなぁ、などといろいろ考えていました。
森のような場所が多くあったので、もしかしたら森林浴ができたのかもしれません。
木々の癒しの力は凄いです。
残暑の中、幾重にも重なって聞こえる蝉の声にも、癒してもらったように思います。
東京にいると、“頑張らなきゃいけない”というたくさんの人の気持ちがあらゆるところに蔓延しているように感じます。
あらゆるところに、have toが蔓延しています。
他人のhave toで、なぜかわたしが徐々に息苦しくなっていたのかなぁ、とふと思いました。
なんとも素敵な街で、学びも多く楽しい一日でした。
友達とはなにか①
書き始めようとして、なかなか答えのないテーマだなと感じています。
答えはないのですが、書いてみようと思います。
もう、何ヶ月も前の話ですが、わたしは毎週のように週末にお茶をしたり食事したりしている友達が3人いました。
一緒にいるととても楽しくて勉強になりました。
もともと彼ら3人がいたところに、わたしは彼らによって温かく迎え入れてもらっていたのだと思います。
あるとき、別の知り合いを紹介しようと思い、わたしを含め4人で集まるときにその人を呼んだことがありました。
皆で食事をして楽しく過ごしました。
その後、その知り合いに会ったときに、こう言われました。
「どうして中西さんは、コンフォートゾーンの違う彼らと一緒にいるの? 」
コンフォートゾーンというのは、快適だと感じるものの幅であり、生活すべてにおいてコンフォートゾーンがあります。
その人いわく、「彼らはわたしが付き合う人たちなのか、疑問だ」ということでした。
その人は“healerとしての力”に言及していましたが、どう考えても明らかに収入だけをみて言っているように感じました。
わたしは、気功を始めてから目に見えないものを少しずつ感じるようになり、いろいろなことが透けて見えることがあります。
透視できるわけでも読心できるわけでもなく、肌で感じるというだけですが、おそらくわたしの直感は大きく外れていないはずです。
ちなみに友達3人の収入は、日本の平均収入から乖離していない、普通の収入だったと思います。
「どうして中西さんは、コンフォートゾーンの違う彼らと一緒にいるの? 」
と言われた、わたしの気持ちが想像できるでしょうか。
自分でもびっくりするぐらい、腹が立ちました。
「大きなお世話です。あなたの目はふし穴ですか。」と言いそうになりました。
その人はコーチングのコーチでもあるので、そのことが、残念に思うわたしの気持ちを後押ししました。
一人の人間にはコンフォートが無数にあります。
コンフォートゾーンが近い人たちが集まるとはいうものの、それは、その人がどのコンフォートゾーンを重視するかに依存します。
要は、わたしが一緒にいる人たちがどんな人かは、わたしが何を重視するかに依存します。
それは、わたしが決めることです。
そして、みなさんが決めることです。
抽象度の低い要素だけを見て、友達を蔑まれた感覚でした。
その人自身が寂しいのか、わたしを持ち上げたかったのか、そんなことはわたしに関係ありません。
大切な友達を蔑まれることが、こんなに腹が立つことなのだと、学びました。
ちなみに3人の友達は、稀に見る純粋さを持っている、キラキラしている人たちでした。
ありがとうと思ったときにありがとうと伝える
毎週決まった曜日、うちの近所に、魚屋さんが小さなトラックで魚を売りに来ます。
最近は月曜日です。
小さなトラックに冷蔵のショーケースがあって、魚や刺身の他に、煮魚やマリネ、玉子焼きなどを売っています。
魚屋のおじさんの年齢は、わたしの父親と同じぐらいに見えるので、60代かなと思います。
以前は料理人をしていたようなことを言っていた記憶があります。
わたしの予想としては、朝早くに魚を仕入れに行って、早朝の段階で総菜類を調理し、売りに来ているのだと思います。
最初に買ったマリネが美味しくて、ときどき仕事帰りに寄るようになりました。
量が多く、1パックで2食分ぐらいの量が入っています。
ここ3週間ぐらい、仕事の帰りが少しだけ遅くなりマリネが売り切れていました。
先週は、おじさんがわたしの顔を見た瞬間、「あ!マリネ売り切れちゃったんだ!ごめんごめん~。来るって分かってたら置いておくんだけど。」と言いました。
わたしが毎週のように「マリネ、売り切れたんですね」と言うもので、顔を覚えてくれたようです。
わたしは仕事柄帰りが遅くなることがあり、買いに行くことを約束できないので、先週は笑ってごまかしてしまいました。
今日仕事帰りに寄ってみると、その時間にはたいてい、売り切れているか1つ残っているかのマリネが、5つか6つありました。
いつも鯵のマリネを買っていたのですが、今日は「鯵」「舌平目」「平目」と3種類あり、パックにマジックで書かれていました。
3種類売られているのは初めてでした。
おススメを聞いたところ、「舌平目かなぁ」と言ってくれたので舌平目のマリネと、今回は玉子焼きを初めて買いました。
おじさんは、「玉子焼きを買うの初めてだね!これも美味しいからねぇ。これも4、5日もつからね。」と言いました。
部屋まで歩きながら、この時間であんなにマリネがあるのはなぜだろうとずっと考えていました。
しかも、3種類あったのは初めてで、なぜだろうなぜだろう、とずっと考えながら帰りました。
どんなに考えても、わたしが来るのを見越して多めに作ってくれていた気がして、いったん部屋に帰ってから、気になってまた出ていきました。
数日もつなら、せっかくなのでお礼を言って買っておこうと思いました。
部屋からおじさんのトラックの場所までは歩いて数分なのですが、おじさんはすでに帰った後でした。
そして、なんともほっこりした気持ちで、いま記事を書いています。
玉子焼きを初めていただいたのですが、玉子焼きからすると、おじさんはおそらく寿司職人だったのだと思います。
次に行ったとき、聞いてみようと思います。
お皿の大きさが分かりにくいですが、写真は1パックの半分以下の量です。
いつもありがとうございます。
苦手な人への接し方
少し抽象度の低い話のようですが、苦手な人の存在は実生活ではよくある問題です。
みなさんの周りに、なんだかどうしても苦手な人が、一人か二人いないでしょうか。
いったん気になり始めると、その人の言動が細かく気になることがあるかもしれません。
そして、「他人は自分の鏡」というフレーズを思い出して、「本当かな?鏡なのかな?」と悩むことがあるかもしれません。
いまわたしには特別苦手な人がいませんが、人間なので、ときどきこの人苦手だなと思うことがあります。
そんなとき今のわたしならどうするか、参考までに書いてみます。
①なぜ、その人と出会ったのか、理由を考える。
わたしはその人と出会った理由を、とことん考えることが多いです。
ある人と出会う理由は、わたしがその人から何か学ばせていただくことがあるから出会ったのだと考えています。
「なぜ出会ったのだろう。なぜ気になるのだろう。鏡と言うならば、わたしの何を見せてくれているのだろうか。」と。
たいていはそうやって考えているうちに、感謝の気持ちがわいてきて、いつの間にか苦手ではなくなっています。
不思議ですね。
でも、実際にわたしがやっていることは、自分のマインドを変えていることに他ならないように思います。
マインドとは、脳であり、心ですね。
相手に何か要求したり働きかけたりすることはありません。
自分のマインドを凝視しているうちに、謎が解けてきてマインドが変化し、苦手ではなくなっています。
②距離を置く。
上とは真反対のようにも思えますが、「苦手だ」とイライラしているうちは抽象度が下がっているので大切なことが見えなくなります。
俯瞰するためには、いったん、その人から遠くに自分を置きます。
物理的に離れるのは難しくても、気持ちを遠くに置くことは可能です。
無視したりするわけではなく、なんとなく離れる。
意外とできるものなので、一度やってみてください。
②と同時に①の作業をすることになります。
①と②をしていると、他人を変えようとすることなく、苦手だった人がいつの間にか苦手ではなくなります。
自分で自分のマインドをコントロールすることは難しいように思えますが、必ずできます。
写真のように、わたしたちそれぞれの水面に、一石を投じてくれる人というのは、とてもとても有難い存在です。
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