201705.16

虹は輪っか

Post by 中西千華 2017年5月16日

美しい虹を見たので記事にします。

NewZealandからの帰りの便は、Aucklandを朝出発し、夕方成田に着く便でした。

写真は、成田に向けて高度を下げているときに飛行機の窓から撮った写真です。

写真では弧の一部に見えますが、見えたのは円形の輪っかの虹でした。

飛行機が旋回していたので、円形の虹の周りを回っているようでした。

わたしはこれまで、弧を描いている虹しか見たことがなかったので、本当にびっくりしました。

しかも、主虹の外に副虹も見えていたように記憶しています。

この写真では副虹が見えるような見えないような、というところですね。

「虹って、弧じゃなくて輪っかなんだ!」と初めてはっきりと知りました。

幼い頃に母親から聞いたような気もしますが、すっかり忘れていました。

多くの場合、虹が地球の地平線にぶつかるから弧に見えるだけで、虹の形状は実は「輪」です。

弧に見えるから、弧だと信じていました。

わたしたちが肉眼で認識できるものは、本当に限られているのだなぁと改めて感じました。

わたしは数年前までは、自分の眼で認識できるものだけを信じる傾向がありました。

目で確認できないもの、科学的に証明できないものは、拒絶していたように思います。

この宇宙において、人間の目に映るものはほんの一部です。

最近は、わたしの感性が変化しつつあり、“目で認識できないものを肌で観ている”ときがあります。

自分でも不思議なのですが、大切なものがスコトーマ(心理的盲点)から顔を出し始めたのかなと思います。

初めて見た輪っかの虹、二重の虹、とても美しかったです。

201705.14

The point is…

Post by 中西千華 2017年5月14日

前にも書いたことがありますが、『Grey’s Anatomy』というアメリカのテレビドラマをたまに観ます。

『Gray’s Anatomy』という医学書が実際にあり、テレビドラマではMeredith Greyが主人公なので『Grey’s Anatomy』という名前が付けられています。

とても魅力的な方々がたくさん出演されていて、ドラマの内容も面白いです。

最近はシーズン11を観ており、その中で印象に残ったシーンがあったので、記事にしようと思います。

主人公はMeredith Greyですが、その時々でスポットライトの当たる人物が変わります。

最近見ていた場面は、胎児外科の権威である女性医師が、脳腫瘍を患っている場面でした。

その脳腫瘍は手術で取るのが難しい場所に存在しており、何人もの脳外科医に治療できないと諦められていました。

女性医師はすでに治療を諦めており、自分の命の続く限り、Arizona Robbinsという医師を自らの後継者として育成しようと力を入れます。

治療を完全に諦めていたところに、同じ病院内の脳外科医が「わたしなら手術で取れる」と手術を勧めます。

最初は「“希望”を持ってしまうことが癌の患者にとって最も大きな問題だ。“希望”を持たされては全て打ち砕かれた。私は治療を受けない。」と治療を拒みます。

でも、少しずつ希望を持ち始め、手術の日が来ます。

10時間を超える長時間の手術が終わり、何日も何日も、女性医師の目が覚めない状態が続きます。

そしてついに、目覚める瞬間が来ます。

気管内挿管のチューブを抜管した瞬間、「Mummy,mummy,…」と子供のように言い始めたので、わたしもドキッとしました。

脳の機能に問題が生じたのかと思ったからです。

でも、「Mummy」は彼女の冗談で、「わたしは大丈夫よ。でも、失明したわね。」と明るく言葉を発します。

視神経の近くの腫瘍だったため、腫瘍は完全に取れたものの、失明したのです。

外科医にとって、目が見えなくなることは外科医としての生活が完全に終わることを意味します。

Arizona Robbinsがショックを受けている横で、彼女は明るくこう言います。

「The point is… I am alive.」

このフレーズがとても印象に残って、しばらく頭から離れませんでした。

重要なことは、今生きているということ、です。

たとえ人生がどんなに辛い状況であったとしても、“生きている”という事実があります。

生きているという事実があれば、それで良いということです。

死が怖いとか不幸だとか、そういうことを言っているのではありません。

人間にとって、死は遅かれ早かれ100%おとずれるので、死と比較することはナンセンスです。

何かとの比較なしの、ただ、“生きていること”の大切さ。

The point is… I am alive.

わたしたちは、生きています。

201705.10

NewZealand-日焼け

Post by 中西千華 2017年5月10日

紫外線は目に見えないので写真には写りませんが、NewZealandの紫外線量にはびっくりしました。

日本ではあまり感じない感覚なのですが、日差しが突き刺さります。

晴れていても曇っていても大差はありません。

比較の仕方がわからないのですが、NewZealandの紫外線量は最高で日本の8倍ぐらいになるようです。

わたしのふだんの紫外線対策について少し書きますが、顔や体に塗る日焼け止めはSPF15ぐらいのものを使います。

SPF15というのは日本だと普段の生活で塗るのにちょうど良い数値かなと思います。

そして、日焼け止めを塗った後のメイクは、マスカラなどのポイントメイクはしますがファンデーションはたいてい塗っていません。

日本だと海などに行くのでなければ、SPF15で十分対応できます。

そしてわたしは、サングラスや日傘は一切使いません。

今回NewZealandについた初日に、突き刺さる日差しに気付いてこれはまずいと感じました。

普段は使わないファンデーションを持って行っていたので、滞在中は日焼け止めの上にファンデーションを塗るようにしました。

ファンデーションにも、日焼け止めの機能があるからです。

いま思えば現地で強力な日焼け止めを買えば良かったのですが、1週間ほどSPF15で通してしまいました。

日本に帰るころには日焼けしてしまい、顔にはシミ予備軍が浮き上がってきている状態になっていました。

シミ予備軍が見えているということは、皮膚が紫外線に反応した防御反応の結果、メラニンを作ってくれているということです。

メラニンを作ってくれるということは皮膚がんにはなりにくいので、感心して「わたしの肌、すごいな!」とは思いましたが、わたしの今の価値観からするとできればシミは作りたくないです。

日本に戻ってすぐに、いつもお世話になっているフェイシャルトリートメントのエステティシャンの方に連絡をしました。

今の肌の状態は、あと一息で元にもどる程度にまで復活しましたが、次にNewZealandに行くときの対策を考えています。

日本にいるときは日焼け止めを塗りなおさなくても大きな問題は起きませんが、NewZealand(やAustralia)では適切に対応しないと危険です。

そして今回、日焼けに関して、日本とNewZealandの文化がかなり異なっているのが興味深く感じられました。

日本だと、日常生活で大した日焼けはしないのに、日傘を差している女性が多くいます。

そして、皮膚がんの予防としてではなく、ただ肌の色を保つためのSPF50という強力な日焼け止めの広告をたくさん見ますし、買う人も多いようです。

わたし個人の見解としては、日本でSPF50を普段使いにするのは、日焼け止め効果による恩恵よりも肌への負担が大きすぎるような気がします。

一方NewZealandだと、日傘を差したりアームカバーをしているのはかっこいいものではないそうです。

実際、サングラスをかけている人はたくさんいましたが、日傘を差している人は見ませんでした。

また、日焼け止めを塗っている人は多いとは思いますが、人前で日焼け止めを塗り直すのは恥ずかしいことのようです。

NewZealandの白色人種の方にとって、程よい綺麗な日焼けをするのがかっこいいのだと耳にしました。

皮膚がんになりにくいけれどメラニンができやすいために過剰な反応をしている黄色人種と、皮膚がんになりやすいバックグラウンドの中で日焼けをしたい白色人種。

文化の話にとどまらず、ひとところにいるとそこから見える光景があって、それがスタンダードだと思いがちになります。

自分から見える光景の外側は、スコトーマ(心理的盲点)になるということですね。

でも、一歩でもそこから出るチャンスがあれば、自分自身のスコトーマを観察することができます。

そのチャンスは、人生にとってのチャンスとなる可能性があると、わたしは思います。

海外に行く必要はなく、ただ、一歩、出てみれば良いだけです。

201705.07

感覚を大切に

Post by 中西千華 2017年5月7日

気温が高くなってきて、涼しいスリッパが欲しいなと思いスリッパを買いました。

頭の中でぼんやりと、つま先が開いていて畳を使ったものがいいなと考えていたら、ふと入ったお店にありました。

畳のスリッパはもう10年以上買ったこともなかったのに、不思議なものです。

畳のスリッパを素足で履くととても気持ちが良いです。

今住んでいる部屋に畳はないので、「畳を踏んだ感覚」によっていろいろなものを思い出しました。

今は亡き祖母の部屋のことや、昔住んでいた部屋のことや、神社に見学で入ったときのことや、過去に畳で歩いたことのある情景をどんどん思い出しました。

そのうち慣れるのだと思いますが、今は足の裏で感じている感覚がなんとも心地よくて体に対して感謝の気持ちがわきます。

頭のてっぺんから足の裏まで、自分が今感じている感覚を意識に上げることはとても大切なことです。

体の感覚を意識に上げる、ということは心にゆとりがあってこそできるものでもあるので、普段から意識することが重要だと思います。

「知らない間にケガしていた」ということが起きたら、黄色というよりも赤信号です。

毎日の生活とそれに伴う思考が、嵐のようになっているかもしれません。

「忙しくて余裕がないよ」と言われるかもしれませんが、余裕は、作ることができるものです。

1日10分でもよいので「心を静寂におく」ことを意識してみてください。

201705.06

NewZealand-動物園

Post by 中西千華 2017年5月6日

NewZealandで、動物園に連れて行ってもらいました。

Aucklnd Zooです。

動物園の造り方というか、コンセプトというか、考え方が日本とは根本的に異なっていて嬉しかったので記事にします。

日本にはたくさん動物園があって、動物が好きな私は動物園に行く機会が多かったです。

日本の動物園の印象は、「動物園を設計して、そこに動物を入れている」印象を受けます。

この印象も、Aucklnd Zooに行ったから気付いたのであり、これまでは日本の動物園の光景は当たり前のように思っていました。

これまでのわたしの当たり前は、当たり前ではなかったのだな、と今は思います。

Aucklnd Zooは、もともとあった森を、動物たちが住みやすいように開拓・設計しています。

動物たちの住む場所を作って、そこに人間が通らせてもらうための道を通しているような印象を受けました。

動物たちはどの動物を見ても生き生きとしていて、まるで動物園にいるのではないかのように伸び伸びとしています。

それぞれの動物が過ごしやすいように、頭数や雌雄も考えられ、かついろいろな動物が同じ場所でのんびり過ごしているところも多かったです。

また、動物園の中で動物たちが繁殖できるようなシステムを作ろうとしているようにも思えて、とても素敵だなと思いました。

わたしは日本の動物園で、汚れてぐったりしている動物を何度も見たことがあるので、日本の動物園には申し訳ないのですがはっきり言って衝撃的でした。

人間がメインでなく動物たちがメインになっているので、目を凝らしてやっと動物を見つけられるか見つけられないかという素晴らしい場所です。

わたしは何枚か写真を撮りましたが、あまりに大自然の中にいるので、何の動物を撮ったのか分からないものもたくさんあります。

こちらは写真には広大な敷地に、キリンと、ダチョウと、シマウマがいました。

広大過ぎてシマウマたちは入りませんでした。

写真真ん中の奥の木陰に、とっても可愛らしいキリンの子供がいます。

たまたま、サイが普段いる場所からこちらに移されて、くつろいでいました。

そばに何種類か他の動物がいましたが、何の動物だったか覚えていません。

サイを見る機会はあまりないのですが、生き生きしていてとてもかっこよかったです。

この光景にも少し感銘を受けたのですが、飼育員のお兄さんが、ずーっと象に話しかけながらホースで水浴びをさせていました。

飼育員のお兄さんと象は、ずーっと会話をしていて、ホースの水浴びのあとはそばにある池で水浴びをしていました。

水浴びの後は、手前にある砂場で豪快に砂浴びをして真っ白になっていて、可愛らしかったです。

写真に写っているのは一頭ですが、写っていない所に、別の飼育員さんと象がいます。

ニュージーランド固有種で国鳥であるKiwiも、運良く見ることができました。

Kiwiは夜行性で、暗くしてあるKiwiのいる場所に、静かに入る必要があるので写真はありません。

NewZealandに行く機会がありましたら、ぜひAucklnd Zooに行っていただきたいなと思います。

人間も動物で、「みな地球上で一緒に生きているのだ」ということを改めて感じることができました。

みな一緒に生きているのだと感じさせてくれる動物園を造り、かつ維持しているNewZealandは本当に凄いなと思います。

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