201611.03

身体とスコトーマ

Post by 中西千華 2016年11月3日

気が付いたら手がひどく乾燥して荒れていました。

一昨日用事があってデパートに行った際に、ネイルまでお手入れの行き届いた店員さんの手を見て、自分の手の惨状にようやく気付きました。

店員さんに商品を見せてもらったのですが、思わず自分の手を隠しそうになりました。

心の余裕ができた瞬間に、自分の手が視界に入ったのだと思います。

自分の体の一部がスコトーマに入っていた、もしくは、なんとなく手が痛かったのだけれども見て見ぬふりをしていました。

手荒れしやすい仕事はたくさんあるのですが、麻酔科医の仕事も手が荒れやすい職種のひとつです。

手を洗ったり消毒する回数がとても多いことや、常に手袋をしているとはいえ、いろいろな薬剤を使うことが影響しているのだと思います。

アルコール綿はとても手が荒れますし、手袋そのものが手荒れの原因となることもあります。

麻酔科医が両手をどのように使うか、少し説明してみます。

マスク換気の動きが分かりやすいので、マスク換気のときの手の動きを説明します。

マスク換気は、全身麻酔の際に患者さんの呼吸を補助する目的で行うものです。

まず左手は、マスクを患者さんの顔にフィットさせた状態で、ホールドするのに使います。

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マスクを片手だけで患者さんの顔にフィットさせるのにはコツがあって、麻酔科医それぞれの慣れた方法があります。

患者さんの顔の形にもよりますし、麻酔科医の手の大きさによって、マスクの持ち方が異なることがあります。

写真はわたしの基本の持ち方で、薬指と小指で患者さんの顎を支えるような形をとっています。

右手は、患者さんに酸素を送るためのバッグを握っていて、APL VALVEという弁を微調整しながら右手を使って換気をします。

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マスク換気の時、左手の動きと右手の動きは無意識のうちに連動しています。

マスク換気の例が分かりやすいので書きましたが、麻酔中は基本的に両手を連動させて動いています。

両手のみならず、視覚や聴覚などの感覚を含め全身を、無意識にフル稼働させて動いていると言うほうが良いかもしれません。

モニター音からは、脈拍の速さを感じますし、音の高低で酸素飽和度を知ることができます。

モニター音だけでなく、術野から聞こえる音で出血の状況を感じることもできます。

それと同時に、視覚を用いて多くの情報を収集しています。

麻酔の仕事が特殊というわけではなく、どんな仕事でも、全身を用いるという側面があるかと思います。

わたしはふだんから手を大切にするように意識に上げているので、手がボロボロになるということは、わたしにとってスコトーマができやすいマインドになっていたのかもしれないと思いました。

わたしたちは毎日いろいろと考えることが多くて、身体がスコトーマに入ることがあります。

みなさんはいかがでしょうか?

身体の状態を意識に上げることで、マインド(=心=脳)の状態がわかることがあります。

みなさんも、一日一回は、身体を意識に上げて細部まで観察してみると良いかなと思います。

201610.16

張永祥先生

Post by 中西千華 2016年10月16日

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昨日は、以前からお会いしたかった張永祥(ハ山元)先生に、お会いすることができました。

奥様の張頴先生にもお会いできました。

(わたしは先生という単語をあまり使いませんが、今回は使います。)

機会を与えてくださった方々に、とても、とても、感謝しております。

写真撮影をお願いしそびれたのですが、またお会いするのでいつかの機会にと思います。

張先生は、キラキラしながら貴重なお話を聞かせてくださり、また、貴重な資料を見せてくださいました。

張先生の著書を拝読しておりましたが、わたしが受け取っていた印象通り、笑顔がとても素敵で、チャーミングな方でした。

何と言いますか、言葉というモノは抽象度が低いので、こういうときに感じたことを表現するのがとても難しいです。

しかも、張永祥先生という抽象度の高い方から感じ取ったものを、言葉で表現するのは難しいだけでなく失礼かもしれないと感じます。

張先生、ありがとうございます、と書くことにします。

わたしは日本の西洋医学の医師ですが、西洋医学の限界が比較的クリアに見えています。

おそらく日本の医師免許を持っている方で、わたしと同意見の方はたくさんいらっしゃると思います。

すこし自分の話をしますが、わたしが研修医のとき、どの科を専門科としようか迷った時期がありました。

外科系の科も興味深く、精神科も興味深く、わたしには興味のあるものがたくさんありました。

麻酔科を選択した理由はいくつかあるのですが、最も重要な一つについて書こうと思います。

それは、「治療しない」科であるということです。

麻酔科(手術室麻酔)は、治療を目的としない、数少ない科です。

麻酔科医は、手術侵襲から患者さんを守ると同時に、外科医に手術に集中できる環境を整え、手術室全体のまとまりを作るお手伝いをするものだと、わたしは考えます。

手術室麻酔の麻酔科医は病気に対して治療をする職種ではありません。

研修医のときに、何人かの医師から垣間見えた「自分が患者を治してあげる」というスタンスに違和感を抱きました。

決して傲慢な医師というわけではなく、医師として素晴らしい方々です。

違和感を抱いた理由は、人間はいつか必ず死ぬ上に、人間には強力な自然治癒力というものが備わっているからです。

わたしはこのギャップにぶち当たり、他のいくつかの理由もあって、麻酔を専門とすることを決めました。

「治してあげる」ことの是非を言いたいのではなく、わたしの中にギャップや葛藤といったものが生まれてしまったということです。

当然ですが、医療従事者の、患者を「治したい」という強い思いはとても大切です。

でも同時に、人間の自然治癒力を最大限に引き出す、という視点を忘れないでいることも、とても大切だと思います。

最近、「予防医学」という言葉をよく聞きますが、予防というのは環境因子をコントロールしたり、健診に行って病気を早期発見することだけではありません。

外側からのアプローチだけでなく、内側から、つまりマインドからのアプローチも重要だと考えます。

予防とは何なのか、健康とは何なのか、病気とは何なのか、みなさんにも一度考えていただければ嬉しいなと思います。

201610.08

六畳一間

Post by 中西千華 2016年10月8日

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在宅医療に関する記事を数回に分けて下書きで書いていたのですが、壮大すぎるテーマで、今日は中断しました。

今回はわたしにとって書きやすいものを書こうと思います。

ここ1年ぐらいの間に、在宅医療のお話を聞く機会がとても増えた印象を受けています。

先日、在宅医療に携わっていらっしゃる医師の方とお話をする機会がありました。

正直なところ、びっくりすることばかりで、スコトーマ(盲点)をたくさん外してくださったことに感謝しています。

その方からお聞きしたお話で印象に残ったことはたくさんあるのですが、今回は一つだけ書こうと思います。

「人間最後は六畳一間」

という言葉で、最後か最期か、難しいと思いながら書いています。

人間長生きしていると、最終的には六畳一間で良くて、あとはトイレがいかに近い場所にあるかとか、お風呂がどこにどんな風にあるかなどが問題になってくるというお話でした。

この話はわたしにとって、とても印象に残りました。

わたしの父方のお祖母さんが、数年前に93歳で亡くなりました。

実家に「おばあちゃんの部屋」があって、そこで座った状態で意識がなくなっていました。

そのとき実家には父と母と妹一人がいて、夕飯の支度ができ、お祖母さんを呼びに行ったときに意識がなくなっていたと記憶しています。

実家の家族から電話があって、救急車を呼んで市内の大きな病院にいるということでした。

その後、確か、「なんとかバイタル(血圧、脈拍、酸素飽和度)を保っているが、バイタルが落ちてきたときに延命措置をするかどうか」、医師に聞かれていると電話がかかってきました。

CTを見た医師の話によると、おそらく既に頭蓋内に血種ができていて、それが再出血したのではないか、という話でした。

わたしに医師免許があるというだけで祖母の延命措置を決めることはできないので、息子である父親がどうしたいか決めてください、とお願いしたような気がします。

93歳の祖母の身体がどんな風かわたしも知っていて、亀背の小さい体で、血管も細くて脆くて、アグレッシブな医療はすべきではないと思う反面、0.00…%の確率で助かるのであればという思いもありました。

父親は延命措置を拒否しました。

今でも、わたしにとって、彼の決断は尊敬に値します。

正しいかどうかではなく、予測できない緊急事態で動転している中、よく決断したなと心から思います。

話を戻しますが、実家の「おばあちゃんの部屋」は、まさに六畳ぐらいで、そこに箪笥が二つと押入れがありました。

逆に言うと、それ以上のモノを、彼女は持っていませんでした。

トイレまですぐ近くなのに漏らすこともあったりして、大変そうだったなぁと思い出しました。

お風呂場も近くにあり、誰の助けも借りずに入っていましたが、お風呂場に上る段差がとても高かったように思います。

「人間最後は六畳一間」という短い言葉の中に、たくさんの意味が詰まっています。

93歳というほぼ一世紀を生きた方のことを、とてもたくさん思い出しました。

コーチング的には、わたしがいま記述したことは瞑想の一つに当たります。

瞑想には方法がたくさんありますが、瞑想することは、抽象度を上げるトレーニングになります。

ぜひ、ときどき瞑想して、抽象度のコントロールの仕方を身につけていただければと思います。

201609.27

スコトーマ祭ー③海外テレビドラマ

Post by 中西千華 2016年9月27日

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わたしがよく観るテレビドラマは、今は「グレイズアナトミー」です。

「グレイズアナトミー」はシアトルの病院のERが舞台になっていて、出演されている方々がとても魅力的です。

わたしにとっては見やすいドラマなので、英語の勉強にもなりますし、自分のスコトーマを外すのが楽しいという側面もあります。

スコトーマを意識しなくても楽しいのですが、スコトーマを探すようにすると、より楽しくなります。

例えば、そもそもシアトルの病院なので、米国型の医療をしています。

米国型の医療は、米国型の医療が身近にある日本人にとっては違和感がないのだと思います。

すでにその時点でスコトーマがあるので、米国以外の医療はどんなものなのだろう、と、わたしにはとても興味がわきます。

わたしは世界中の医療に興味があります。

また、細かいところで言うと、わたしの専門は麻酔であってERではないのですが、業務をするときに「マスク」を外していることはまずないです。

業務中にマスクをしていない時間はほぼないのではないか、というぐらいずっとマスクをしています。

グレイズアナトミーでは、テレビドラマの演出上、俳優さんたちの顔を隠すわけにいかないので、手術室以外ではあまりマスクをしていません。

このことに長らく気付かなかったので、気付いたときはちょっと嬉しかったです。

マスクは、米国のCDCから提唱されて日本に入ってきたもので、「スタンダードプリコーション」と呼ばれる標準予防策の中の一つです。

米国で提唱されたものなので、グレイズアナトミーでマスクをしていないのは演出上以外には考えにくいのかなと感じました。

こんな風に、テレビドラマひとつとっても、楽しみ方やトレーニングの仕方がいくつかあります。

みなさんにも、テレビドラマや映画を観るときに、いろいろな見方や楽しみ方を見つけていただければいいなと思います。

201609.06

スコトーマ祭②

Post by 中西千華 2016年9月6日

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スコトーマ祭の第二弾として、日本の医学について書きたいと思います。

なんとなくこれまで、あまり医療の記事を書かないようにしていたのですが、少しずつ書いていこうと思います。

日本の医学部では「医学」を学ぶのですが、どうも一般的にあまり知られていないことのようなので、はっきり書きます。

日本の医学部で学ぶのは「西洋医学」であり、「東洋医学」は学びません。

医師国家試験も西洋医学に基づいたものであり、東洋医学についての試験問題はありません。

少なくとも私が学んだ段階ではそのような状況でした。

大学によっては数時間、東洋医学の授業がある大学もあるようですが、“東洋医学の紹介”のような授業内容のようです。

結果として、日本の医師免許を持っている人間にとっては、「東洋医学」はスコトーマになっています。

漢方薬に関しては、処方薬としてもありますし、詳しい医師はたくさんいらっしゃいます。

ただ、学問というのは“体系”ですので、漢方薬のみを深く学んでも“体系”にはなり得ません。

医師が「西洋医学」という体系しか学んでいないことは、日本の医療がこれから考えていかなければならない問題だと、わたしは考えています。

正直なところ、わたしとしては、大問題だと考えています。

日本の医師の中で、このことに問題意識のある人間がどれほどいるのかわからないのですが、おそらく少なからずいると考えています。

なぜならば、西洋医学は素晴らしいけれども、限界が明らかに見えているからです。

少し自分のことを書きますが、研修医のときに何科の医師になるか迷った期間がありました。

いまの日本では、医師国家試験合格後、2年間初期臨床研修の期間があります。

2年間の初期臨床研修期間で複数の科をローテートし、その間に専門を決め、3年目に専門科の医師として働き始めます。

2年間複数の科を経験しても、浅く学ぶことしかできないので、研修期間をどうすればより良いものになるのだろうかということを時々考えます。

10数年前までは初期臨床研修期間が存在しておらず、そのころは医学部を卒業すると同時に大学の医局に入局するというのがスタンダードでした。

ただ、わたしにとっては研修期間が設けられたことで学生の頃に考えていた専門とは異なる科に進んだのは事実で、多くの素晴らしい医師の方々と出会うことができたのもかけがえのない経験です。

研修期間中に、“治す”ということに限界が見えたのを覚えています。

そして、わたしは“治す”ということを目的としない麻酔科を選びました。

実際は、研修期間中に恩師から学んだ手術室麻酔はとても楽しくて、そのときの恩師に常々心から感謝しています。

人生において楽しさを教わることはそれほど度々あることではなくて、それはなぜかというと、日本では仕事を心から楽しんでいる人が少ないからだと思います。

少し脱線しましたが、西洋医学で“治す”限界があると考えている医師は少なからずいます。

日本医療はそろそろ本気で、東洋医学を含め他の医学の学問体系をスコトーマから出すことが必要なのではないかと思います。

日本の医師達が気付き始めている以上、日本医療は、世界中に存在する医学に関する学問体系を正視する時期がそろそろ来るのではないかと考えます。

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