201610.16

張永祥先生

Post by 中西千華 2016年10月16日

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昨日は、以前からお会いしたかった張永祥(ハ山元)先生に、お会いすることができました。

奥様の張頴先生にもお会いできました。

(わたしは先生という単語をあまり使いませんが、今回は使います。)

機会を与えてくださった方々に、とても、とても、感謝しております。

写真撮影をお願いしそびれたのですが、またお会いするのでいつかの機会にと思います。

張先生は、キラキラしながら貴重なお話を聞かせてくださり、また、貴重な資料を見せてくださいました。

張先生の著書を拝読しておりましたが、わたしが受け取っていた印象通り、笑顔がとても素敵で、チャーミングな方でした。

何と言いますか、言葉というモノは抽象度が低いので、こういうときに感じたことを表現するのがとても難しいです。

しかも、張永祥先生という抽象度の高い方から感じ取ったものを、言葉で表現するのは難しいだけでなく失礼かもしれないと感じます。

張先生、ありがとうございます、と書くことにします。

わたしは日本の西洋医学の医師ですが、西洋医学の限界が比較的クリアに見えています。

おそらく日本の医師免許を持っている方で、わたしと同意見の方はたくさんいらっしゃると思います。

すこし自分の話をしますが、わたしが研修医のとき、どの科を専門科としようか迷った時期がありました。

外科系の科も興味深く、精神科も興味深く、わたしには興味のあるものがたくさんありました。

麻酔科を選択した理由はいくつかあるのですが、最も重要な一つについて書こうと思います。

それは、「治療しない」科であるということです。

麻酔科(手術室麻酔)は、治療を目的としない、数少ない科です。

麻酔科医は、手術侵襲から患者さんを守ると同時に、外科医に手術に集中できる環境を整え、手術室全体のまとまりを作るお手伝いをするものだと、わたしは考えます。

手術室麻酔の麻酔科医は病気に対して治療をする職種ではありません。

研修医のときに、何人かの医師から垣間見えた「自分が患者を治してあげる」というスタンスに違和感を抱きました。

決して傲慢な医師というわけではなく、医師として素晴らしい方々です。

違和感を抱いた理由は、人間はいつか必ず死ぬ上に、人間には強力な自然治癒力というものが備わっているからです。

わたしはこのギャップにぶち当たり、他のいくつかの理由もあって、麻酔を専門とすることを決めました。

「治してあげる」ことの是非を言いたいのではなく、わたしの中にギャップや葛藤といったものが生まれてしまったということです。

当然ですが、医療従事者の、患者を「治したい」という強い思いはとても大切です。

でも同時に、人間の自然治癒力を最大限に引き出す、という視点を忘れないでいることも、とても大切だと思います。

最近、「予防医学」という言葉をよく聞きますが、予防というのは環境因子をコントロールしたり、健診に行って病気を早期発見することだけではありません。

外側からのアプローチだけでなく、内側から、つまりマインドからのアプローチも重要だと考えます。

予防とは何なのか、健康とは何なのか、病気とは何なのか、みなさんにも一度考えていただければ嬉しいなと思います。

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