究極の優しさとは
私には、思考におけるテーマがその時々で存在します。
忙しければ忙しいほど、雑音をシャットアウトして、テーマについて考えることがあります。
ここ数週間のテーマは「究極の優しさ」とはどいういうものか、です。
まだ答えは出ていません。
言語で表現できるような答えは存在しないのかもしれません。
自分に「究極の優しさ」がある状況を考えたりします。
エフィカシーは宇宙の果てまで突っ切るのだろうと考えています。
ただ、人間なので、スコトーマ(盲点)は必ず出てきます。
「究極の優しさ」があるとしても、人間である以上、完璧にはならないということです。
そう考えると、スコトーマを外してくれるコーチや仲間というのは、とても大切です。
一人では完璧にはなり得ない、ということを心にとどめておくことも大事です。
52円切手
面白い運転手さんで、行き先を告げると、「じゃあ1,200円で手を打ちましょうか」と言われました。
確かに行き先までは、スムーズに行って1,200円ぐらいです。
道路が混んでいると1,500円ぐらいの時もあります。
運転手さんはスムーズに行けそうな道を一生懸命選んでくださり、メーターでは1,200円を超えたにも関わらず、「差額の50円で実家に葉書でも書いて」と言って安くしてくださりました。
自宅に戻ると、宅配ロッカーに実家から荷物が届いていました。
荷物の中に、妹が可愛らしい猫の切手を入れてくれていました。
しかも、82円切手ではなく、52円切手でした。
「縁起」と、言葉で表現しても伝えきれませんが、あらゆるものはどこかで繋がっています。
目の前にある様々なモノの、縁起を考えてみましょう。
モノは単なるモノに過ぎないように見えますが、実はその背後に広大な縁起の世界が広がっています。
2つのトリートメント
このトリートメントは4ステップで売られており、ステップ1からステップ4まで、作用が異なるようです。
ここにあるのはステップ2とステップ3です。
私はステップが上がるにつれ、油分が多いトリートメントだと思い、ステップ3を使っていました。
ステップ3のテクスチャーはやや硬めなので、もう少しだけテクスチャーの柔らかいものが欲しく、ステップ2を購入しました。
ステップ2のテクスチャーがサラサラすぎるように感じたため、ボトル半分ぐらいのステップ2にステップ3を混ぜました。
中間ぐらいの硬さのトリートメントになると考えていました。
その結果、ステップ3のトリートメントの硬さは消え、大量のサラサラのトリートメントになりました。
おそらく、ステップ2、ステップ3ともに変性したのです。
トリートメントの効果がよく分からない、大量のサラサラのものが出来上がってしまいました。
世の中には、「混ぜない方が良い」のではなく、「混ぜてはいけない」、禁忌となるものが存在します。
麻酔薬にも、混ぜてはいけないものがあります。
同様に、コーチングのテクニックに他のテクニックを混ぜると、想定外の反応が起きる可能性があります。
我々コーチは、混ぜ物をすることなく、コーチングを行います。
心の音を聞く
人間は、自分の心=「マインド」をじっくり見ることを忘れることがあります。
起きている時はずっととは言いませんが、1日1回は、自分の心の点検をしてみると良いと思います。
人間の持つ感覚で表現すると、今の心はどのようでしょうか?
目を閉じて、心を静かにして、「マインド」を観察してみてください。
音で表現しても良いですし、色でも、触覚でも、何でも良いです。
「マインド」の状態をじっくり観察することで、今自分の周囲で起きていることの理由が、分かることがあります。
いま、私の心は軽やかで涼しい音が鳴っていて、色はカラフルに変化していて、柔らかい感じがします。
競争から抜けた者が、幸せを感じることができます。
そしてそこには、必ず仲間がいます。
それでも並ぶ人たち
最近ある学術集会に参加しました。
日本には規模の小さなものから大きなものまで、医師の所属する数多くの学術集会が存在します。
参加した学術集会は比較的大きなものでした。
学術集会に参加すると単位が付与され、発表に単位が付与されることはもちろん、講習受講にも単位が付与されるものがあります。
多くの学会では、それらの単位が各科「専門医」の継続申請の際に必要になります。
いま、専門医制度が変わろうとしており、情報が錯綜している背景があります。
学術集会会場に着き、まず人の多さに驚きました。
空港から学術集会会場に向かう時点で、人が異常に多いことを感じており、道路はタクシーで渋滞していました。
すでに申し込んであった講習を受けるために、一つの会場に入るのに15分ほど並びました。
1~14の14会場が準備されており、会場は大規模なものでした。
これまでもこの学術集会で会場に入るために並ぶことはありましたが、これほど多くの人間が並んで数十分待つということは、私が経験している中ではおそらく初めてではないかと思います。
ふと思い出したのが、「バイオ・パワー」と「パノプティコン」の概念です。
バイオ・パワーとは、私たちの生活の営みの中で自然に生み出される権力のことです。
パノプティコンは監獄を見張る一望監視システムのことで、監獄の高い塔に看守がいて、看守が囚人を見張っており、囚人からは看守が見えない構造になっています。
パノプティコンでは、囚人は見られているかもしれないという恐怖で逃亡や暴動を企てなくなり、そこにはバイオ・パワーが働いている。そして社会のシステムはまさにパノプティコンだと、ミシェル・フーコーは指摘しています。
まさに今回の学術集会での人の行列はバイオ・パワーだなという印象を受けました。
専門医制度が今後どうなるかクリアに示されておらず、学術集会や講習参加をしなくとも誰も責めないのにも関わらず、医師達が恐怖のようなものに支配された結果だと考えました。
医療にかかわるあらゆる学術集会は、学問を発展させるとともに、患者により良い医療を提供するために開催されるものです。
本来は医師達がワクワクしながら学ぶべき場所です。
バイオ・パワーを働かせてしまうと、学術集会としての意味が変性してしまいます。
そもそも、専門医に更新が必要な理由は何か。
専門医の肩書きが無くなることは、恐怖を抱くに値するのか。
どうしてこのようなことが起きているのか。
バイオ・パワーやパノプティコンで説明できる出来事が皆さんの身の回りでも起きているはずです。
あらゆることに疑問を感じて、徹底的に考えてください。
恐怖は必要ありません。
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