恩師
写真はわたしが研修医のころに買った聴診器です。
医師免許を取ったばかりのころは、早く成長したくてたまらなくて、今思えばわたしは必死で、焦っていました。
写真の高額な聴診器や名前の入った白衣などは、医師としての臨場感をより早く強く得るためのツールだったのかもしれないなと思います。
この聴診器はもう長らく使っておらず、わたしの名前の入った白衣は今の働き方では必要ないので捨てました。
どの手術室にもオペ着があり、わたしは白衣を着ていなくても医師だからです。
話は変わりますが、先日恩師と電話でお話ししました。
恩師は医師です。
お話したのはもしかしたら8~9年ぶりぐらいかもしれません。
アポを取らせていただきたくてお電話したのですが、お会いして話すことはもうほとんどないのではないかというぐらい、お話しました。
久しぶりにお電話でお話しすると、わたしにも変わっていない部分と完全に変化している部分があり、恩師にもお変わりない部分と以前とお変わりになった部分があるように感じました。
恩師もそうお感じになられたのではないかなと思います。
わたしの以前から変わらないところは…、良く言うと自分のポリシーがあります。
そんなわたしでも可愛がってくださったのは、恩師の情報身体が非常に大きいのだと思います。
恩師から見ると、様々なことが完全に想定内だったのだろうなと感じました。
近いうちにお会いできることになったので、わたしは今からとっても楽しみにしています。
鰻
今日は旧友と鰻を食べました。
興味深いことがあったので記事にします。
友人とは昨日の夜から色々な話を語り、今日は朝から友人と一緒にデパートに出かけました。
短時間でしたが一緒におり、同じ空間を共有していたことになります。
デパートの中で食事をしようということになり、レストランの案内を一緒に見ていました。
わたしは好き嫌いがなく特別執着もないのですが、2週間ほど前から、鰻を食べたいなと思っていました。
2週間前に、たまたま担当させていただいた患者さんに、元気の秘訣を聞いていました。
わたしは90歳以上の元気な患者さんに、元気の秘訣をお聞きすることが多いです。
その患者さんは、大好きな鰻を年に1回ぐらい食べると仰っていたので、なんとなく、鰻が頭の片隅にありました。
そして今日、レストランの案内を見ていた時、不意に友人が「鰻食べたいなぁ」と言ったので、少しびっくりしましたが、喜んで鰻屋さんに行きました。
写真はわたしが撮影したものではありませんが、とても美味しかったです。
短い時間の間に、情報空間において何か伝わったのだなと感じました。
情報空間は物理空間と異なり無限に広がっており、とても興味深く、ときに驚かされます。
レモンゼリー
今日、いつもお世話になっているお店のスタッフの方にレモンゼリーをいただきました。
とてもcuteな方です。
いつもお世話になっているのはわたしの方なのですが、嬉しくて有り難く頂いてきました。
今週も、楽しい一週間でした。
一週間金曜に近づくにつれて、若干ですが肉体的に疲れてくるときがあります。
そして、若干でも疲れてくると、エフィカシーは変わらなくても、抽象度が下がりやすい状態になります。
そしてゼリーを頂いた帰り道に、目の前のことでなく、瀬戸内で育っているレモンのこと、瀬戸内の天気やレモンの木になっている実の色や香りなどを考えると、視野がスッキリ元に戻った気がしました。
静かな湖に、石を投げ込んだときの波紋のようです。
忙しいときは集中する必要があるので、視野が狭くなりやすい、もしくは狭くする必要があるときがあります。
それが終わると同時に、意識的に抽象度を高いところに戻すのは、とても大切です。
さらに言うと、例え忙しくても、常に自分の思考を意識に上げて客観的に観ることは、毎日毎秒行う方が良いです。
ネガティブな思考であればすぐにポジティブな思考に置き換える。
その積み重ねが大切です。
脳の不思議
今年イタリアに旅行で行きました。
初めてのイタリアでとても新鮮でした。
写真はローマの有名なお店で買ったプレートです。
もともと有名なのか、日本の旅行案内本に載ってるから有名なのか分かりません。
箱を開けていなくてそのままだったので開けたところ、自分が選んだつもりだったものと、1枚は買ったつもりのものと違ったので驚きました。
店員さんが間違えたのではなくて、確かにわたしはこの2枚を買っていて、単純に記憶が曖昧でした。
お店に行ったときに、上にある方のプレートが在庫が2枚しかなく、どちらがいいか議論していて下の方のプレートの記憶が曖昧になっていました。
片方のプレートに集中していたので、もう片方が少しだけスコトーマ(心理的な盲点)に入っていました。
人間の脳は本当に興味深いです。
プレートを例に出しましたが、スコトーマに関して言うと私たちの人生も同じです。
スコトーマから大切なものを引っ張り出してくることができるかどうか、それによって人生は大きく変わります。
そして、目に映るものを選ぶのは私たち自身であり、どんな選び方をするかは極めて自由です。
「時間が足りない」が意味すること
写真はわたしが病院での仕事をする時に使っている、メモ用ノートです。
写真はカバーを付けていますが、カバーを外したものが本棚に数十冊あります。
大学病院にいる頃ノートをつけていると、先輩に「いつ止めるかな~」とからかわれましたが、あれから10年経った今もつけています。
わたしにとって、学び、が楽しいから続いているのだと思います。
(ちなみにノートを落としたことはこれまでありませんが、プライバシーは保護しています。)
先日、知り合いが「仕事が大変すぎて時間が足りない」と何度も言うので、つい「仕事を辞めたらどうですか」と言ってしまいました。
その時はつい言ってしまいましたが、そういうことだと思います。
楽しすぎて時間がもっと欲しいのならまだしも、「仕事が大変すぎて時間が足りない」はhave toで仕事をしているから出てくるフレーズだと感じます。
「わたしは時間が足りないという表現を使わないです」と言ったところ、「じゃあどう表現するんですか」と言われて、しばらく考えました。
しばらく考えても、今のわたしにそれにとって代わる表現・概念がなく、そのまま伝えました。
6~7年前にはわたしもhave toでしなければならないことがあり、そのころは本当に時間が足りなかった気がします。
いろんな人に助けてもらいましたし、効率をいかに良くするかを考えていたように思います。
もうすっかり過去の話で忘れていました。
「仕事が大変で時間が足りない」というフレーズには要注意です。
辞め時、かもしれませんし、もしからしたら視点を変えると同じ仕事がwant toになる可能性もあります。
まずは後者の『視点を変えてみる』ことを試していただけると、面白い発見があるかもしれません。
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