201607.01

服を捨てる

Post by 中西千華

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わたしの平日の普段着はシンプルです。

パンツとTシャツ、必要であれば上着やストール、だいたいパターンが決まっています。

変わるかもしれないという意味で、決まっていました、としておきます。

勤務先でオペ着という制服に着替えるというのもあり、シンプルで自宅で洗えるものに統一していました。

今日部屋を出て、マンションのエレベーターの鏡に映った自分を見て、違和感を感じました。

そして勤務先に着いて、勤務先のエレベーターで「この服捨てなきゃ」と思いました。

自分ではその服を着ていることが変な感じだったのですが、おそらく周りからは普通に見えているのだと思います。

もしも、勤務先の最寄り駅に駅ビルがあったら、そこで服を全て買い替えていたと思います。

あいにく、駅ビルはなく洋服を売っているところがなかったので、そのまま帰宅しました。

先日、田島コーチの『靴は覚えている』という記事がありましたが、まさにその、服バージョンを経験したところです。

服も、身体に馴染むものです。

今日来ていたのは、高価ではありませんがフランスのデザイナーが出していたブランドのもので、約2年前に、デザインそのものをやめてしまいブランドがなくなりました。

他には出せないデザインのものを出していたので大好きで、コレクターのように持っていましたし、今でも持っています。

今日穿いていたパンツも、2着買っておけば良かった・・・と、後悔するぐらいお気に入りでした。

でも、おそらく、もう着れないのだな、と思いました。

わたしは、いらない服を古着屋に出すことがありますが、本当に気に入っていた服は、自分の手で捨てます。

いつのころからか、本当に気に入っていたものが必要でなくなった、もしくは使えなくなったとき「感謝の気持ちを持って捨てる」ということが習慣になっています。

もしかしたら、私の過去に対して、誰かに値段を付けられたくないし、誰にもあげられないという気持ちがあるのかもしれません。

何はともあれ、また新しい服と出会うに違いなく、似合わなくなったものは手放す以外にありません。

こういったことは、ゴールを設定して、ゴールに近づくときの一つの現象だと認識しており、物理的なもののみならず、情報空間でも似合わなくなるものがどんどん出てくるはずです。

手放すものがあるのは少し寂しいですが、100%新しい出会いがあるので、楽しみだなと思います。

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