17年ぶり
昨日は寒かったので、入れたお茶に湯気がたくさん立っていました。
一昨日17年ぶりに会った友人に、お茶をいただきました。
17年も時を隔てて友人と会うということはほとんどないので、どんな感じなんだろうかと少し緊張しました。
感想を簡単に言うと、「全細胞が入れ替わってパワーアップするって、こんな風なのかな」と、感じました。
昨日会った友人は、わたしからみると“天才”です。
医学に関してはわたしの方が若干詳しいですが、友人はそれ以外の分野の知識量が半端ではないのが、話していてすぐに分かります。
おそらく、いくつかの巨大な専門性の非常に高いゲシュタルトが存在しています。
ひとつではなくて、複数存在しています。
半端でない知識量にも関わらず、「自分の知識には偏りがあるから」と言いながら様々な分野の話を楽しそうにしてくれるところは、やはり“天才”を感じさせます。
特に、物理や経済の話をしてもらうと、メモをとりたくなるぐらい専門性の高い面白い話をたくさんしてくれます。
本の読み方を聞いてみると、毎月5万円分ぐらい、いろいろなジャンルの本を買い込んで読むと言っていました。
一般的に、巨大で専門性の高いゲシュタルトをひとつでも持っていると、高い抽象度からの見方が容易になると思います。
友人は、ひとつでなく複数のゲシュタルトを持っているので、抽象度をとてつもなく高いところまで上げることができるのだなと感じました。
その友人の目にわたしはどのように映っているかというと、いくつかの試験に合格したり資格を取得しているので、目標を次々と達成しているように映っているようです。
でもわたしから友人を見ると、世界をとてつもなく高い抽象度で見ることができる知識量があり、かつ知識量のみならず、新しい知識を的確に整理しており、そこには世界を変える力があると感じます。
17年前も現在も“天才”であることは変わっていなかったですが、一昨日は、なんだか“強くて優しい天才”だなぁと感じざるを得ませんでした。
わたしたちにはスコトーマ(盲点)が常にありますが、世界の見方を変えるには知識量が必要です。
そして、知識を入れるだけでなく、それらを統合して新しいものを生み出す力が人間にはあります。
わたしたちはいつでもクリエイティブであることを、ときどき思い出していただければと思います。
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