スコトーマ祭①
スコトーマとは心理的盲点のことですね。
日々生きている中で、「わたしの人生、スコトーマ祭りだな」と、感じることが度々あります。
ここまできたら、お祭りだなと思います。
みなさんも、そう感じることはないでしょうか。
わたしたちは人間なので、死ぬまでスコトーマだらけです。
そのことは当たり前ですし、人間にとって必要なものとしてスコトーマが存在しています。
もしもスコトーマがなくなったら、情報が脳内で溢れかえるので、日常生活を送るのが難しい状況になると同時にエネルギーが枯渇するだろうと思います。
苫米地英人氏がよくおっしゃっているように、「自我とは部分関数」ですね。
わたしが最近経験した、スコトーマの例を挙げてみます。
少し涼しくなってきて、電車の中では寒いくらいなので、「コットンのカーディガンがあれば便利だな」と思いました。
10日ぐらい前から、カーディガンが売っていないか、少しだけ気にかけながら歩いていました。
なかなか丁度良いものがなく、1週間ほど経ちました。
先日、日用品を買いにデパートに入ったものの欲しいものがなかったので、エスカレーターで移動中になんとなく女性服の階でおりました。
その階を一周したらデパートから出ようと考えていたところ、カーディガンが目に入りました。
生地も仕立ても良く、流行りすたりのあるデザインでもなく、気にいって買って帰りました。
ストーリーは以上ですが、このストーリーの中にスコトーマがたくさんありますね。
そもそも、カーディガンを考えた時点で、なぜカーディガンなのか疑問に感じます。
秋口の羽織りものにはいろいろな種類がありますし、羽織りものでなくてもストールなどでも防寒になりますね。
自分のこれまでの過去の記憶から、カーディガンを考えたということになると思います。
カーディガンを考えた時点でRASが働き、情報的にも物理的にも、それ以外のものが見えなくなっていました。
デパートでおりた階はそこでおりたことのなかった階で、なんとなくおりるにしても他の階でおりる選択肢がありました。
目に入ってくる光景の中で、女性服のお店を眺めるときにはワンピースなどはRAS(網様体賦活系)によって見えなくされていたはずです。
スコトーマをよく考える必要がある理由は、スコトーマの中に大切な情報が隠れていることがよくあるからです。
スコトーマにある情報を目に視野に出す方法としては、自分で目に入るようにする方法と、他者(つまりコーチ)にスコトーマを外してもらう方法があるかと思います。
自分でできる方法としては、視点を上げる、つまり抽象度を高くすることを習慣づけると良いかと思います。
抽象度を上げる方法としては、トレーニング法がいくつかありますので、ご自身に合うやりやすい方法から試していただけると良いかなと思います。
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