201605.28

それでも並ぶ人たち

Post by 中西千華 2016年5月28日


(newsjunkiepostより引用)

最近ある学術集会に参加しました。

日本には規模の小さなものから大きなものまで、医師の所属する数多くの学術集会が存在します。

参加した学術集会は比較的大きなものでした。

学術集会に参加すると単位が付与され、発表に単位が付与されることはもちろん、講習受講にも単位が付与されるものがあります。

多くの学会では、それらの単位が各科「専門医」の継続申請の際に必要になります。

いま、専門医制度が変わろうとしており、情報が錯綜している背景があります。

 

学術集会会場に着き、まず人の多さに驚きました。

空港から学術集会会場に向かう時点で、人が異常に多いことを感じており、道路はタクシーで渋滞していました。

すでに申し込んであった講習を受けるために、一つの会場に入るのに15分ほど並びました。

1~14の14会場が準備されており、会場は大規模なものでした。

これまでもこの学術集会で会場に入るために並ぶことはありましたが、これほど多くの人間が並んで数十分待つということは、私が経験している中ではおそらく初めてではないかと思います。

 

ふと思い出したのが、「バイオ・パワー」と「パノプティコン」の概念です。

バイオ・パワーとは、私たちの生活の営みの中で自然に生み出される権力のことです。

パノプティコンは監獄を見張る一望監視システムのことで、監獄の高い塔に看守がいて、看守が囚人を見張っており、囚人からは看守が見えない構造になっています。

パノプティコンでは、囚人は見られているかもしれないという恐怖で逃亡や暴動を企てなくなり、そこにはバイオ・パワーが働いている。そして社会のシステムはまさにパノプティコンだと、ミシェル・フーコーは指摘しています。

 

まさに今回の学術集会での人の行列はバイオ・パワーだなという印象を受けました。

専門医制度が今後どうなるかクリアに示されておらず、学術集会や講習参加をしなくとも誰も責めないのにも関わらず、医師達が恐怖のようなものに支配された結果だと考えました。

医療にかかわるあらゆる学術集会は、学問を発展させるとともに、患者により良い医療を提供するために開催されるものです。

本来は医師達がワクワクしながら学ぶべき場所です。

バイオ・パワーを働かせてしまうと、学術集会としての意味が変性してしまいます。

 

そもそも、専門医に更新が必要な理由は何か。

専門医の肩書きが無くなることは、恐怖を抱くに値するのか。

どうしてこのようなことが起きているのか。

 

バイオ・パワーやパノプティコンで説明できる出来事が皆さんの身の回りでも起きているはずです。

あらゆることに疑問を感じて、徹底的に考えてください。

恐怖は必要ありません。

 

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