服を捨てる
わたしの平日の普段着はシンプルです。
パンツとTシャツ、必要であれば上着やストール、だいたいパターンが決まっています。
変わるかもしれないという意味で、決まっていました、としておきます。
勤務先でオペ着という制服に着替えるというのもあり、シンプルで自宅で洗えるものに統一していました。
今日部屋を出て、マンションのエレベーターの鏡に映った自分を見て、違和感を感じました。
そして勤務先に着いて、勤務先のエレベーターで「この服捨てなきゃ」と思いました。
自分ではその服を着ていることが変な感じだったのですが、おそらく周りからは普通に見えているのだと思います。
もしも、勤務先の最寄り駅に駅ビルがあったら、そこで服を全て買い替えていたと思います。
あいにく、駅ビルはなく洋服を売っているところがなかったので、そのまま帰宅しました。
先日、田島コーチの『靴は覚えている』という記事がありましたが、まさにその、服バージョンを経験したところです。
服も、身体に馴染むものです。
今日来ていたのは、高価ではありませんがフランスのデザイナーが出していたブランドのもので、約2年前に、デザインそのものをやめてしまいブランドがなくなりました。
他には出せないデザインのものを出していたので大好きで、コレクターのように持っていましたし、今でも持っています。
今日穿いていたパンツも、2着買っておけば良かった・・・と、後悔するぐらいお気に入りでした。
でも、おそらく、もう着れないのだな、と思いました。
わたしは、いらない服を古着屋に出すことがありますが、本当に気に入っていた服は、自分の手で捨てます。
いつのころからか、本当に気に入っていたものが必要でなくなった、もしくは使えなくなったとき「感謝の気持ちを持って捨てる」ということが習慣になっています。
もしかしたら、私の過去に対して、誰かに値段を付けられたくないし、誰にもあげられないという気持ちがあるのかもしれません。
何はともあれ、また新しい服と出会うに違いなく、似合わなくなったものは手放す以外にありません。
こういったことは、ゴールを設定して、ゴールに近づくときの一つの現象だと認識しており、物理的なもののみならず、情報空間でも似合わなくなるものがどんどん出てくるはずです。
手放すものがあるのは少し寂しいですが、100%新しい出会いがあるので、楽しみだなと思います。
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