温かなプレゼント
温かなプレゼントをいただきました。
午前中に手術室で準備をしていたときに、「先生、はいこれ」とくださいました。
見た瞬間に、何があったのか、全て分かってしまって、少しだけ動揺しました。
二週間ほど前から、遠隔気功をされているような感覚があり、気になっていました。
ちょうどそのころに気功師の知り合いから連絡をもらったので、遠隔気功をしてくれているのかな?と考えていましたが、気功師によるものではないような感覚でした。
何か起きているのかもしれない、と考えていました。
よく分からない文章を書いて申し訳ないです。
言葉で表現できないものを、言葉に落とし込もうとすると、限界があります。
プレゼントをいただいてから、『たった今、自分が動揺してしまったら困るな』と思いながら準備をしていました。
多くの医師はそうだと思いますが、わたしは基本的に、抽象度をかなり高いところに置いています。
視点を高く置いておくと、視野が広がり、よほどのことがない限り動揺しません。
その一方で、わたしは自分がなかなかの泣き虫であることを誰よりも知っています。感情を娯楽として楽しみなさいという話もありますが、そんな悠長なことを言っていられないときがあります。
人間だからです。
『困ったなぁ』と考えているうちに、温かなプレゼントの向こう側に、幸福感というか安心感というか、優しいものが感じられてきました。
そしてふと、気持ちが温かくなりました。
『ああ、良かった。すごく幸せなんだ。』と思いました。
二週間にわたる、不思議な感覚の謎が解けました。
野菜にありがとう
つい先ほど、近所の八百屋さんで野菜を買ってきました。
レタスが、今畑から運ばれてきたかのようにキラキラしてます。
ゴーヤも、とっても生き生きしています。
黄色いトマト、大きなししとう、パプリカ2種類。
夏の野菜はカラフルですね。
わたしのモットーは「野菜が新鮮なうちに美味しくいただく」です。
また、部屋に持って入った食べ物は消費期限や賞味期限が切れないように、細心の注意を払っています。
わたしとしては、それが命に対する礼儀です。
野菜は、静かに、わたしたちにその命を食させてくれています。
わたしたち人間は、たくさんの命をいただきながら毎日を生きています。
黄色いトマト、さきほど初めて食べたのですが、とっても甘くて美味しいです!
東京で生活していると、スーパーマーケットに並んでいる野菜がなんだかとげとげしている印象を受けることがあります。
せっかくだから、新鮮なうちに早く食べて!と言っているのかもしれません。
今日買った野菜たちは、とっても優しい感じがします。
調理方法や綺麗な盛り付けも大切ですが、いただくときの気持ちも大切だなと、思います。
病に感謝する
大切な友人からプレゼントをいただきました。
わたしの大好きなハーブティーです。
嬉しいですし、感謝しています。
では、病気に対して、ふだんみなさんはどのように感じていますか?
病気といっても、擦り傷だったり、風邪だったり、精神的なものであったり、癌であったり、身体にとって本当にたくさんの“異常事態”というものがあります。
病気に、感謝していますか?
自分が病気になったときに、自分の病気に対して感謝するのはなかなか難しいのではないかなと思います。
なんといってもしんどくて辛いことが多いですから。
でも病気は、わたしたちに対して、警告を出してくれる大切なものです。
考え方や、体に対する意識の持ち方や、仕事の仕方や、生活におけるバランスのとり方、とにかく何かに対して警告を出してくれています。
病気はわたしたちに「ちょっと立ち止まって!」と言ってくれる、大切なものです。
病気に対して、怒ったり攻撃的になるのではなく、“感謝”することで治るのが速くなることが多いような気がします。
力任せにねじ伏せようとしても、より大きな力で反発されてしまったら病気は悪化します。
原因をよく考えて、「いつもありがとう。」と感謝する。
わたしはコーチングにおいて、さまざまなことを“意識に上げる”ことを重要視していますが、それにつながるような気がします。
お腹が痛かったら、お腹に対して感謝する。
足に怪我をしてしまったら、足に対して感謝する。
意識して感謝することで、わたしたちの自然治癒力はパワーアップします。
張永祥先生
昨日は、以前からお会いしたかった張永祥(ハ山元)先生に、お会いすることができました。
奥様の張頴先生にもお会いできました。
(わたしは先生という単語をあまり使いませんが、今回は使います。)
機会を与えてくださった方々に、とても、とても、感謝しております。
写真撮影をお願いしそびれたのですが、またお会いするのでいつかの機会にと思います。
張先生は、キラキラしながら貴重なお話を聞かせてくださり、また、貴重な資料を見せてくださいました。
張先生の著書を拝読しておりましたが、わたしが受け取っていた印象通り、笑顔がとても素敵で、チャーミングな方でした。
何と言いますか、言葉というモノは抽象度が低いので、こういうときに感じたことを表現するのがとても難しいです。
しかも、張永祥先生という抽象度の高い方から感じ取ったものを、言葉で表現するのは難しいだけでなく失礼かもしれないと感じます。
張先生、ありがとうございます、と書くことにします。
わたしは日本の西洋医学の医師ですが、西洋医学の限界が比較的クリアに見えています。
おそらく日本の医師免許を持っている方で、わたしと同意見の方はたくさんいらっしゃると思います。
すこし自分の話をしますが、わたしが研修医のとき、どの科を専門科としようか迷った時期がありました。
外科系の科も興味深く、精神科も興味深く、わたしには興味のあるものがたくさんありました。
麻酔科を選択した理由はいくつかあるのですが、最も重要な一つについて書こうと思います。
それは、「治療しない」科であるということです。
麻酔科(手術室麻酔)は、治療を目的としない、数少ない科です。
麻酔科医は、手術侵襲から患者さんを守ると同時に、外科医に手術に集中できる環境を整え、手術室全体のまとまりを作るお手伝いをするものだと、わたしは考えます。
手術室麻酔の麻酔科医は病気に対して治療をする職種ではありません。
研修医のときに、何人かの医師から垣間見えた「自分が患者を治してあげる」というスタンスに違和感を抱きました。
決して傲慢な医師というわけではなく、医師として素晴らしい方々です。
違和感を抱いた理由は、人間はいつか必ず死ぬ上に、人間には強力な自然治癒力というものが備わっているからです。
わたしはこのギャップにぶち当たり、他のいくつかの理由もあって、麻酔を専門とすることを決めました。
「治してあげる」ことの是非を言いたいのではなく、わたしの中にギャップや葛藤といったものが生まれてしまったということです。
当然ですが、医療従事者の、患者を「治したい」という強い思いはとても大切です。
でも同時に、人間の自然治癒力を最大限に引き出す、という視点を忘れないでいることも、とても大切だと思います。
最近、「予防医学」という言葉をよく聞きますが、予防というのは環境因子をコントロールしたり、健診に行って病気を早期発見することだけではありません。
外側からのアプローチだけでなく、内側から、つまりマインドからのアプローチも重要だと考えます。
予防とは何なのか、健康とは何なのか、病気とは何なのか、みなさんにも一度考えていただければ嬉しいなと思います。
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