202003.29

考えるということ

Post by 中西千華 2020年3月29日

先日帰宅したら鞄に桜の花びらが入っていたので、レインボーが見られる水晶に載せてみました。

美しいです。

わたしは職業柄、万が一東京がロックダウンになっても、基本的な生活は変わりません。

国民を守る補償の決断もままならない日本がロックダウンできるのか、わからないですが・・・。

わたしの感覚では、東京で新型コロナはとっくに蔓延しており、小池知事は感染拡大による「オーバーシュート」と言っていますが、ただのオーバーシュートではないと感じています。

10日ほど前に新型コロナの迅速検査キットが発売されました。

それが意味するところは、これまで、結果が出るまで約48時間かかるPCR検査は保健所の許可がないと検査ができなかったのが、保健所の許可なしに検査ができるようになったということです。

保健所はPCR検査をなかなか許可してくれなかったのは事実のようで、陽性患者の人数が把握できませんでした。

要するに、保健所が渋々PCR検査を許可し始めたのと、一部で自由に検査できるようになったから感染者が増えているという側面があるということです。

まだ迅速検査キットは普及していないので、普及するころにまた感染者数が増えることが考えられます。

もう一つ、富士フィルム傘下の製薬会社が作ったアビガンは特許が切れており、中国はとっくに正式採用を決めて量産を始めました。

28日、昨日の朝日新聞で

「安倍晋三首相は28日、首相官邸で記者会見し、新型コロナウイルスに感染した患者に対し、臨床研究(観察研究)として使い始めている新型インフルエンザ治療薬「アビガン」(一般名ファビピラビル)について、薬事承認を目指す考えを示した。「正式に承認するに当たって必要となる治験プロセスも開始する考えだ」と述べた。」

と書かれていました。

遅すぎます。

非常に遅い。

わたしの考えてとしては、量産しながら、今ある在庫をすぐに使い始めるべきだと思います。

アビガンは肺炎になってしまったら効かないといわれています。

陽性になってから肺炎になるまでの限られた時間に、投薬する必要があります。

日本で開発された薬なのに日本で未だ使えず、人命がかかっています。

わたしはこのようにもどかしい気持ちでいますが、みなさんはどのようにお考えでしょうか。

わたしの考えは全て正解ではないですし、まだ”ウラ“があります。

みなさん、この歪んだ世界の状況をじっくり考えてください。

決して恐怖にとらわれず、明るく前向きに、です。

そして、是非、助け合ってください。

コーチングでは、抽象度の上げ下げをする練習を、と申し上げるのですが、今は抽象度が下がりやすくなっています。

抽象度、視点が下がりやすい状況では、”今!“抽象度を上げて考えられているか、注意する必要があります。

セルフトークをいつも以上にチェックするようにして頂ければと思います。

201908.05

10年間ありがとう

Post by 中西千華 2019年8月5日

コーチングとはあまり関係のない記事になります。

一緒に10年という時を過ごしてくれた動物が、亡くなりました。

小さい動物、かつ捕食される動物なので、本当に死ぬ間際まで辛そうな素振りは見せませんでした。

ただ、あまりに急で、ここ2日餌の減りが少ないことを気にしていたところでした。

餌やおやつのストックも減ってきたので、買ったばかりでした。

10歳ですと、おそらく寿命で、天寿を全うしたとは思うものの、

やはり寂しく感じます。

帰宅したところ、普段と違う姿勢でいたので、嫌がるのを承知で抱き上げました。

生きていましたが身体に力は全く入っておらず、わたしが座って抱いている間にゆっくりゆっくり亡くなりました。

わたしの腕の中で亡くなっていく様子をただ見るのは、なんとも言えない気持ちになります。

もう寿命であり死ぬことを決めた動物を、動物病院に連れて行くことはわたしはしないので、

ただ、最期の時を静かに一緒に過ごしました。

死にゆく彼女を抱きながらいろいろ考えさせられました。

わたしは文面で、自分が不可逆的に死に向かっている時、西洋医学で言う無駄な延命治療を拒否しています。

みなさんは……、みなさんの最期にどのような選択をしますか?

正解はなく、自由です。

ただ、考えておくことは、自分のためにも遺される方々のためにも、非常に大切だと思います。

201709.23

祖父の死を思い出す

Post by 中西千華 2017年9月23日

おととい、「温かなプレゼント」という記事を書きました。

その日から、わたしの祖父が亡くなる時の光景が思い出されています。

ずいぶん前の出来事で、記憶に間違いがなければわたしが大学二年生のときの夏でした。

わたしの状況としては、大学で教養課程が終わり、基礎医学を学び始めたばかりでした。

まだ、臨床医学のことは学んでいない段階でした。

記憶を正確に引っ張り出すのは難しいのですが、書いてみます。

わたしは夏休みに入って実家に戻りました。

それまでに、祖父が入院して、母と叔母たちが交替でお見舞いに行っているのは聞いていたのですが、状態についてはほとんど知りませんでした。

知らなかったというか、知識がなく電話で聞くだけでは理解できなかったのかもしれません。

親戚に医師がいるわけでもなく、おそらく、母も完璧には理解してなかったのだと思います。

要するに、担当医がきちんと説明していませんでした。

帰省してから数回お見舞いに行ったころ、状態が良くないので気管内挿管をすることになったと聞き、また祖父に会いに行きました。

最終的に気管内挿管をすることを決めたのは叔父のようでしたが、よくよく聞くと担当医の説明に問題があったようでした。

「今は呼吸を助けるための管を入れて、元気になったら抜きましょう。」と、聞いたと、母は言っていました。

「元気になる可能性があるなら、今はそうしてもらおう。」と考えるのは、至極当たり前です。

元気になる可能性があったのか?

いったい何を考えて気管内挿管をしたのか?

患者の心を考えたのか?

家族の心を考えたのか?

今はこの担当医に対し、単純にそう感じます。

怒りというよりも、今のわたしにとっては疑問が多いです。

誤解のないように書いておきますが、患者の状態によっては一刻も早く気管内挿管が必要であるときがあります。

また、「元気になったら抜きましょう。」で分かるように、医師の説明の仕方によって患者の意思決定は動きます。

これは『情報の非対称性』と言われる一つによるもので、医療においては、医療従事者の持っている情報と、患者の得られる情報に大きな乖離があることを指します。

医療における情報の非対称性の問題は、患者が情報を得ようとインターネットを検索したところで、得るべき正確な情報は見つからない可能性が高いということです。

話を元に戻します。

気管内挿管されたことを聞いたわたしたちは祖父に会いに行き、祖父を見てショックを受けました。

そのときのわたしには、祖父は、口に“棒”のようなものを差し込まれているように見えました。

祖父に認知症は全くなく、意識もある状態で、苦しそうにしていました。

気管内挿管されていると声は出せませんが、おそらくわたしたちの話し声をすべて聞いて認識していたはずです。

今となっては、わたしは手術室麻酔のときに気管内挿管をするので、挿管チューブが柔らかい素材であることを知っています。

でもそのときは、挿管チューブが残酷な“棒”に見えました。

わたしは、大きなショックを受けて立ちすくんでいたのですが、帰り際に祖父に話しかけました。

「おじいちゃん、また来るから。」

ガリガリになった身体で、口から“棒”を差し込まれている祖父は、わたしの声を聞いて、静かに涙を流しました。

涙を見て、わたしはさらにショックを受けました。

わたしはそのときの祖父の涙を、死ぬまで忘れません。

これは拷問かと思いました。

祖父は戦争に行って生きて戻ってきた人で、いつも潔く、あんな最期は望んでいなかったはずです。

気管内挿管をするならば、せめて、意識がない状態に、苦しまない状態にしてあげて欲しかったです。

その後、ほどなく、祖父は抜管されることなく亡くなりました。

今回の話の問題点は、祖父が納得する死を迎えられなかったであろうことだけではなく、家族に悔いが残り続けていることです。

わたしが医師だから、このようなことを考えているわけではないと思います。

ぜひ、「死」について、考えてください。

DNAR(do not attempt resuscitation)という単語についても、もし初めて聞いた方がいらっしゃれば、一度お調べいただければと思います。

自分にとって、生きている間の幸せは何か、そして、死ぬときの幸せはどのようなものなのか。

わたしは未熟ですが、すべての人がどのように死を迎えたいのか、深く考えるようになりつつあります。

reader読者登録

ブログ購読をご希望の方はこちらからご登録ください。

Subscribe2