祖父の死を思い出す
おととい、「温かなプレゼント」という記事を書きました。
その日から、わたしの祖父が亡くなる時の光景が思い出されています。
ずいぶん前の出来事で、記憶に間違いがなければわたしが大学二年生のときの夏でした。
わたしの状況としては、大学で教養課程が終わり、基礎医学を学び始めたばかりでした。
まだ、臨床医学のことは学んでいない段階でした。
記憶を正確に引っ張り出すのは難しいのですが、書いてみます。
わたしは夏休みに入って実家に戻りました。
それまでに、祖父が入院して、母と叔母たちが交替でお見舞いに行っているのは聞いていたのですが、状態についてはほとんど知りませんでした。
知らなかったというか、知識がなく電話で聞くだけでは理解できなかったのかもしれません。
親戚に医師がいるわけでもなく、おそらく、母も完璧には理解してなかったのだと思います。
要するに、担当医がきちんと説明していませんでした。
帰省してから数回お見舞いに行ったころ、状態が良くないので気管内挿管をすることになったと聞き、また祖父に会いに行きました。
最終的に気管内挿管をすることを決めたのは叔父のようでしたが、よくよく聞くと担当医の説明に問題があったようでした。
「今は呼吸を助けるための管を入れて、元気になったら抜きましょう。」と、聞いたと、母は言っていました。
「元気になる可能性があるなら、今はそうしてもらおう。」と考えるのは、至極当たり前です。
元気になる可能性があったのか?
いったい何を考えて気管内挿管をしたのか?
患者の心を考えたのか?
家族の心を考えたのか?
今はこの担当医に対し、単純にそう感じます。
怒りというよりも、今のわたしにとっては疑問が多いです。
誤解のないように書いておきますが、患者の状態によっては一刻も早く気管内挿管が必要であるときがあります。
また、「元気になったら抜きましょう。」で分かるように、医師の説明の仕方によって患者の意思決定は動きます。
これは『情報の非対称性』と言われる一つによるもので、医療においては、医療従事者の持っている情報と、患者の得られる情報に大きな乖離があることを指します。
医療における情報の非対称性の問題は、患者が情報を得ようとインターネットを検索したところで、得るべき正確な情報は見つからない可能性が高いということです。
話を元に戻します。
気管内挿管されたことを聞いたわたしたちは祖父に会いに行き、祖父を見てショックを受けました。
そのときのわたしには、祖父は、口に“棒”のようなものを差し込まれているように見えました。
祖父に認知症は全くなく、意識もある状態で、苦しそうにしていました。
気管内挿管されていると声は出せませんが、おそらくわたしたちの話し声をすべて聞いて認識していたはずです。
今となっては、わたしは手術室麻酔のときに気管内挿管をするので、挿管チューブが柔らかい素材であることを知っています。
でもそのときは、挿管チューブが残酷な“棒”に見えました。
わたしは、大きなショックを受けて立ちすくんでいたのですが、帰り際に祖父に話しかけました。
「おじいちゃん、また来るから。」
ガリガリになった身体で、口から“棒”を差し込まれている祖父は、わたしの声を聞いて、静かに涙を流しました。
涙を見て、わたしはさらにショックを受けました。
わたしはそのときの祖父の涙を、死ぬまで忘れません。
これは拷問かと思いました。
祖父は戦争に行って生きて戻ってきた人で、いつも潔く、あんな最期は望んでいなかったはずです。
気管内挿管をするならば、せめて、意識がない状態に、苦しまない状態にしてあげて欲しかったです。
その後、ほどなく、祖父は抜管されることなく亡くなりました。
今回の話の問題点は、祖父が納得する死を迎えられなかったであろうことだけではなく、家族に悔いが残り続けていることです。
わたしが医師だから、このようなことを考えているわけではないと思います。
ぜひ、「死」について、考えてください。
DNAR(do not attempt resuscitation)という単語についても、もし初めて聞いた方がいらっしゃれば、一度お調べいただければと思います。
自分にとって、生きている間の幸せは何か、そして、死ぬときの幸せはどのようなものなのか。
わたしは未熟ですが、すべての人がどのように死を迎えたいのか、深く考えるようになりつつあります。
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