アンカー
昨日、歯医者さんでアンカリングしてもらったので、アンカリング記念にアンカーの記事を書きます。
これはわたし自身のレントゲン写真です。
真ん中にみえる釘のようなものは、矯正歯科で用いるスクリューです。
このスクリューは歯槽(骨)に刺されていて、アンカー=錨として機能します。
スクリューに向かって歯がダイナミックに動きます。
アンカーとトリガーはコーチングではあまり使わない用語ですが、説明します。
アンカーは「錨」であり、心の状態としては「記憶しておく」状態を指します。つまり、いつでも引き出せるように人間の脳内に埋め込んだ「ある心理状態もしくは体感状態」のことをアンカーといいます。
そして、その心理状態を引き出す「引き金」の役割を果たすのがトリガーです。
良い例があまり浮かばないのですが、コーチングと繋がるような例をあげると、「ゴールのイメージ」と「アファメーションを書いた紙」がアンカーとトリガーに近いのかなと思います。
わたしはアファメーションをプリントアウトして冷蔵庫に貼っています。
アファメーションは最初のうちは読みますが、暗記してしまうと文字を読まなくても紙を見た瞬間にイメージがわくようになってきます。
たとえば、このトリガーとして機能している「アファメーションを書いた紙」を、もっと接する頻度の高いものに変えることが可能だと思います。
髪を触る、歯を磨く、顔を洗う、などにより「ゴールのイメージ」がぱっとわくようにすると、アンカーを呼び起こす頻度が高くなりゴールを視覚化する頻度が高くなることになります。
少しわかりにくい説明になってしまいましたが、わかりにくい理由はわたしの理解がまだ未熟だからです。
次にスクリューが入ることがあったときに、「続 アンカー」の記事を書けるよう、理解を深めたいと思います。
もの食ふ人々
東京に上京してから受けたカルチャーショックのひとつについて、考えていました。
東京では、一人で歩きながら、もしくは一人で電車の中で、パンやお菓子を食べている人をよく見かけます。
最初見たときは、かなり驚きました。
わたしにとっては、地方ではあまり見ない光景だと感じました。
先日、朝の比較的混んでいる電車の中で、カバンの中にあるお菓子の袋からゴソゴソとチョコレート菓子を食べている人を見かけました。
朝の7:30に、混んだ電車の中で立ったまま、なぜチョコレート菓子をむさぼる必要があるのか。
これは日本社会の仕掛けた罠が、特に東京において顕著に現れているものと考えています。
食欲は人間の煩悩のひとつであり、なくては生きることができません。
しかし、食欲というのはお腹がすいたら食事をする、それだけです。
東京における食欲の異常な表現のされ方は、わたしにとっては違和感を感じざるを得ません。
では、この罠は何か。
苫米地英人博士も多数の著書で指摘されているように、(他の国に関しては知識がないのでなんとも言えませんが)日本社会は「飢餓への恐怖」を人々にうえつけることで、恐怖をもちいて人々をコントロールしているように見えます。
その表現型として表れているものの一つとして、上記に書いたような異常な食行動があるのだと考えています。
おそらく、駅のホームでパンを食べながら歩いている人たちは、特別なにも考えていません。
食行動がどうのという以前に、「なにも考えていないこと」が大問題だと、わたしは感じます。
クッキー
スタッフの方が、わたしに会えないからと、他のスタッフに預けてくれていました。
マジックでわたしへのメッセージである笑顔が書いてありました。
よく、「プレゼントは自己満足」と聞くことがありますし、わたしも人にプレゼントするときは自分が喜びをもらうなぁと感じながらプレゼントします。
ですので、あげる側のときは「自己満足」のつもりで、というのは良いのかもしれません。
でも、もらう側としては、いろいろなことを感じるもので、是非いろいろなことを感じていただければいいなと思います。
わたしは形式だけのプレゼントをもらうことはほぼないので、何かいただくと、都度そのことについて考える習慣があります。
「ふとわたしのことがこの方の情報空間に浮かんだのだな」とか、「この方は本当はがんばりすぎて疲れてはいないかな」とか「なにかあったのかな」とか、いろいろなことを考えます。
同時に、普通に嬉しいなと感じます。
伝えたいこととしては、たびたび書いていますが、「意味をよく考える」習慣は大切だということです。
同じような事象でも、必ず特有の意味が含有されていて、以前経験したものと全く違うものであることがほとんどです。
小さなことでもよく考える習慣は大切です。
でも、考えることはエネルギーを使うことなので、ときどき休んでも問題ありません。
続 want to
その中で、わたしはこの一文を書いています。
自分の麻酔科医という仕事について記述している一文です。
「また、表現が難しいですが、私は職人なので、そもそもhave toになり得ないという感じもします。」
この一文の意味について、ずっと考えていました。
コーチングでコーチはクライアントに対し、「have toのことはせずにwant toのことをするように」、とたいてい何度も言います。
にも関わらず、そもそもhave toになり得ないというわたしのこの感覚はなんだろう、とずっと考えていました。
自分にとって、麻酔の仕事は完全にhave toになり得ないです。
しかも、want toかというと、want toという次元でもないです。
この感覚は、わかる方にはわかるのかもしれません。
簡単にいうと、好きでやっている仕事だし、ずっとやっているから好きだし、目の前にやるべきことがあってそれをやっている、という感覚です。
もしかしたら仕事とはそういうものなのかもしれません。
苫米地英人博士の著書の中に、「『仕事が嫌いなのか』『会社が嫌いなのか』をはっきりさせてください。」というフレーズがあります。
これは実はかなり重要なことで、みなさんの中にも、仕事と会社に対する感情をごちゃまぜにしている方がいらっしゃるかもしれません。
でも本当によく考えていただきたいのが、仕事そのものは嫌いではなくて、まわりの人間関係が嫌な場合がとても多いのではないかということです。
「この仕事はwant toではない」と思っているあなたの仕事は、実は、とっても楽しいのかもしれません。
チームのセルフトーク
昨日、「アファメーション」ルー・タイス著のチームのセクションから引用しました。
今日もセクションVから引用すると同時に、「コーポレートコーチング(下)」苫米地英人著から引用します。
「チームやグループはコンフォートゾーンを持っています。グループには有効性の水準があります。グループは怖じ気づきます。グループにはセルフトークがあります。グループは重圧を感じます。グループはポジティブにもネガティブにも反応します。グループは恐れを感じます。」
「アファメーション」ルー・タイス著
「無意識のうちに考え方や人格形成にまで影響を及ぼしてしまうセルフトークですが、組織の場合は『コーポレートトーク』が重要になってきます。」
「コーポレートコーチング(下)」苫米地英人著
わたしが今日注目しているのは、グループやコーポレートなど、組織においてセルフトークが存在するということです。
ここからはわたしの考えていることです。
わたしはいろいろな病院で働かせていただいているので、組織のセルフトークは毎日肌で感じます。
わたした勤務するのは手術室ですが、病院の大小にかかわらず、それぞれのセルフトークがあります。
個人レベルではセルフトークをコントロールすることでセルフイメージを変えることができるのと同様に、組織レベルでもコーポレートトークをコントロールすることで組織のセルフイメージを変えることが可能だと思います。
トップとスタッフ、各部署すべてにおいて、全員がセルフトークを変えることで、組織のセルフイメージは変わると思います。
感じることとして、日本ではなんとなく、変わってはいけないような、目立ってはいけないような風潮があります。
変わらないと成長はあり得ないにもかかわらず、コンフォートゾーンから出ようとしないトップが多い気がします。
トップがコンフォートゾーンから出ようとしないと、成長したいスタッフはその組織を辞める以外に成長できません。
逆に考えると、組織全体で同じゴールに向かってコンフォートゾーンを上げていくことができれば、すべてのスタッフにとって快適な居場所になる可能性があります。
「コーポレートコーチング(下)」をじっくり読みたくて仕方がないので、いまはこのあたりにします。。
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