「ODYSSEY」
映画「ODYSSEY」を観ました。
Ridley Scott監督、Matt Damon主演の映画です。
簡単に説明するのは難しいのですが、火星に一人取り残されたMark Watneyが孤独の中どのように生き、地球の人間とMark Watneyの仲間がさまざまな判断をしながらどのように彼を救出するか、描かれた映画です。
宇宙を舞台にする映画はたくさんありますが、宇宙から地球を見たり、地球から宇宙を見たり、さまざまな視点の置き方があります。
ODYSSEYでは宇宙からの視点が多い印象を受け、地球が国境を超えて一つになっているように見えました。
Mark Watneyが帰還したのち、Candidate Programの生徒に講義をします。
その時のセリフが印象に残ったので、書きます。
英語で表記しないとどうしても伝わらない部分があるのですが、英語を確実に聞き取ることができなかったために日本語訳を書きます。
「まず始めるんだ。問題を1つ解決したら次の問題に取り組む。そうして解決していけば帰れる。」
「You just begin.」という力強い言葉から始まるこのセリフは、宇宙空間でのproblemに対してのみならず人生における問題のsolutionにおいても同じことだと感じました。
電動列車

今日は友人と、友人のお子さんと遊びました。
友人のお子さんはもうすぐ4歳です。
その子が赤ちゃんの時に会ったことはあるのですが、3年ぶりぐらいで、「初めまして!」から始まりました。
ショッピングモールでいっしょにランチを食べて、子供の遊び場で遊んで、アイスクリームを食べて、「列車に乗ろう」という話になりました。
列車といっても電動列車で、ショッピングモールを5~10分で一周してくるものです。
上に載せた写真とは少し違い、もう少し大きく、乗るところは箱型のものがいくつか繋がっており、レールのないものです。
子供用の列車に乗るという経験があまりないので、わたしはためらってしまいました。
5分ぐらいなら木陰で待ってようかなと思いました。
そういう、つまらない大人の考えがよぎりました。
本当につまらない考えだったなと思います。
友人が「チケットがあるから一緒に乗りましょう!」と言ってくれて、一緒に乗りました。
帰ってきて、あのとき一緒に乗って本当に良かった、と心から思います。
もうすぐ4歳というこのタイミングで、一緒に列車に乗らないと、同じタイミングは二度と来ません。
狭い狭い箱の中で膝をくっつけて、電動列車でショッピングモールをまわることができて、楽しかったです。
子供は成長が早いので、時間の一瞬一瞬が宝物で、同じ時は二度と経験できないものが多いです。
大人の論理で子供に向き合うのは完全にやめなければならないな、と思いました。
この子に次会うときはこの子がもう少し成長しているので、その時にも新しいことを一緒にできればいいなと思います。
アンカー

昨日、歯医者さんでアンカリングしてもらったので、アンカリング記念にアンカーの記事を書きます。
これはわたし自身のレントゲン写真です。
真ん中にみえる釘のようなものは、矯正歯科で用いるスクリューです。
このスクリューは歯槽(骨)に刺されていて、アンカー=錨として機能します。
スクリューに向かって歯がダイナミックに動きます。
アンカーとトリガーはコーチングではあまり使わない用語ですが、説明します。
アンカーは「錨」であり、心の状態としては「記憶しておく」状態を指します。つまり、いつでも引き出せるように人間の脳内に埋め込んだ「ある心理状態もしくは体感状態」のことをアンカーといいます。
そして、その心理状態を引き出す「引き金」の役割を果たすのがトリガーです。
良い例があまり浮かばないのですが、コーチングと繋がるような例をあげると、「ゴールのイメージ」と「アファメーションを書いた紙」がアンカーとトリガーに近いのかなと思います。
わたしはアファメーションをプリントアウトして冷蔵庫に貼っています。
アファメーションは最初のうちは読みますが、暗記してしまうと文字を読まなくても紙を見た瞬間にイメージがわくようになってきます。
たとえば、このトリガーとして機能している「アファメーションを書いた紙」を、もっと接する頻度の高いものに変えることが可能だと思います。
髪を触る、歯を磨く、顔を洗う、などにより「ゴールのイメージ」がぱっとわくようにすると、アンカーを呼び起こす頻度が高くなりゴールを視覚化する頻度が高くなることになります。
少しわかりにくい説明になってしまいましたが、わかりにくい理由はわたしの理解がまだ未熟だからです。
次にスクリューが入ることがあったときに、「続 アンカー」の記事を書けるよう、理解を深めたいと思います。
もの食ふ人々

東京に上京してから受けたカルチャーショックのひとつについて、考えていました。
東京では、一人で歩きながら、もしくは一人で電車の中で、パンやお菓子を食べている人をよく見かけます。
最初見たときは、かなり驚きました。
わたしにとっては、地方ではあまり見ない光景だと感じました。
先日、朝の比較的混んでいる電車の中で、カバンの中にあるお菓子の袋からゴソゴソとチョコレート菓子を食べている人を見かけました。
朝の7:30に、混んだ電車の中で立ったまま、なぜチョコレート菓子をむさぼる必要があるのか。
これは日本社会の仕掛けた罠が、特に東京において顕著に現れているものと考えています。
食欲は人間の煩悩のひとつであり、なくては生きることができません。
しかし、食欲というのはお腹がすいたら食事をする、それだけです。
東京における食欲の異常な表現のされ方は、わたしにとっては違和感を感じざるを得ません。
では、この罠は何か。
苫米地英人博士も多数の著書で指摘されているように、(他の国に関しては知識がないのでなんとも言えませんが)日本社会は「飢餓への恐怖」を人々にうえつけることで、恐怖をもちいて人々をコントロールしているように見えます。
その表現型として表れているものの一つとして、上記に書いたような異常な食行動があるのだと考えています。
おそらく、駅のホームでパンを食べながら歩いている人たちは、特別なにも考えていません。
食行動がどうのという以前に、「なにも考えていないこと」が大問題だと、わたしは感じます。
クッキー
スタッフの方が、わたしに会えないからと、他のスタッフに預けてくれていました。
マジックでわたしへのメッセージである笑顔が書いてありました。
よく、「プレゼントは自己満足」と聞くことがありますし、わたしも人にプレゼントするときは自分が喜びをもらうなぁと感じながらプレゼントします。
ですので、あげる側のときは「自己満足」のつもりで、というのは良いのかもしれません。
でも、もらう側としては、いろいろなことを感じるもので、是非いろいろなことを感じていただければいいなと思います。
わたしは形式だけのプレゼントをもらうことはほぼないので、何かいただくと、都度そのことについて考える習慣があります。
「ふとわたしのことがこの方の情報空間に浮かんだのだな」とか、「この方は本当はがんばりすぎて疲れてはいないかな」とか「なにかあったのかな」とか、いろいろなことを考えます。
同時に、普通に嬉しいなと感じます。
伝えたいこととしては、たびたび書いていますが、「意味をよく考える」習慣は大切だということです。
同じような事象でも、必ず特有の意味が含有されていて、以前経験したものと全く違うものであることがほとんどです。
小さなことでもよく考える習慣は大切です。
でも、考えることはエネルギーを使うことなので、ときどき休んでも問題ありません。
reader読者登録
ブログ購読をご希望の方はこちらからご登録ください。
