201608.20

サラリーマン小学生

Post by 中西千華 2016年8月20日

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知り合いに8歳のお子さんがいて、学校の席替えの話をしていました。

同じクラスの子で、人のものを何でも取ってしまう子がいて、その子の近くの席になるとなんでもかんでもモノを取られてしまうので困る、というような趣旨の話でした。

その子は(実際はわかりませんが)裕福な家庭で、お母さんも上品で優しそうなお母さんなのだと言っていました。

そのお母さんは、まさか自分の子供が他人のものを取ることで周りを困らせているなどということは知らないのかもしれないと思います。

わたしはてっきり、その子に何か病的なものがあるのかと思いましたが、どうやらそういう雰囲気でもなく、8歳でも塾や習い事で忙しいから、学校をストレス発散の場にしている子がけっこうな割合でいるようだということでした。

わたしの周りにはあまり子どもがいなくて実際体感することはあまりできないので、ただ「何が起きているのだろうか」と考えていました。

その話を聞いていて、単純な印象としては、「いつ遊ぶの??」と思いました。

朝から夕方まで学校に行って、夕方から塾とか習い事に行って、帰ったら宿題がある生活を想定すると、遊ぶ時間は学校の休憩時間になってしまいます。

小学生が、まるでサラリーマンのような型にはまった生活を毎日しているのかと、考えていました。

日本の社会が、子どもが子どもでいることが許されない社会になっているのかもしれないなという印象を受けました。

子どもというのは放っておいたら勝手に、興味のあるものを見つけだして集中して学ぶものなのではないかと思っています。

最低限の教育は必要ですが、塾など外から与えらる勉強や、しかも競争のなかに放り込まれた中での勉強は、子どもの可能性をかなり狭めるのではないかと思います。

人間は本来、さまざまな可能性をそれぞれ持っています。好きなことは100人いれば100人違います。

画一的で試験で良い成績を取る人間を大量に作るように社会が仕向けているような印象さえ受けます。

以前も書いたことがありますが、日本社会はパノプティコン効果を生み出しています。

わたしたちは、社会に仕向けられているいろいろなことに細かく気付いて、そこから抜け出す必要があると思います。

抜け出すというのは、ある意味、社会的な洗脳から自ら脱出するということになります。

方法として一番簡単なのは、常識を常に疑う、メディアを常に疑う、これだけでずいぶん効果がある気がします。

わたしは、常に、疑っています。

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