張永祥先生
昨日は、以前からお会いしたかった張永祥(ハ山元)先生に、お会いすることができました。
奥様の張頴先生にもお会いできました。
(わたしは先生という単語をあまり使いませんが、今回は使います。)
機会を与えてくださった方々に、とても、とても、感謝しております。
写真撮影をお願いしそびれたのですが、またお会いするのでいつかの機会にと思います。
張先生は、キラキラしながら貴重なお話を聞かせてくださり、また、貴重な資料を見せてくださいました。
張先生の著書を拝読しておりましたが、わたしが受け取っていた印象通り、笑顔がとても素敵で、チャーミングな方でした。
何と言いますか、言葉というモノは抽象度が低いので、こういうときに感じたことを表現するのがとても難しいです。
しかも、張永祥先生という抽象度の高い方から感じ取ったものを、言葉で表現するのは難しいだけでなく失礼かもしれないと感じます。
張先生、ありがとうございます、と書くことにします。
わたしは日本の西洋医学の医師ですが、西洋医学の限界が比較的クリアに見えています。
おそらく日本の医師免許を持っている方で、わたしと同意見の方はたくさんいらっしゃると思います。
すこし自分の話をしますが、わたしが研修医のとき、どの科を専門科としようか迷った時期がありました。
外科系の科も興味深く、精神科も興味深く、わたしには興味のあるものがたくさんありました。
麻酔科を選択した理由はいくつかあるのですが、最も重要な一つについて書こうと思います。
それは、「治療しない」科であるということです。
麻酔科(手術室麻酔)は、治療を目的としない、数少ない科です。
麻酔科医は、手術侵襲から患者さんを守ると同時に、外科医に手術に集中できる環境を整え、手術室全体のまとまりを作るお手伝いをするものだと、わたしは考えます。
手術室麻酔の麻酔科医は病気に対して治療をする職種ではありません。
研修医のときに、何人かの医師から垣間見えた「自分が患者を治してあげる」というスタンスに違和感を抱きました。
決して傲慢な医師というわけではなく、医師として素晴らしい方々です。
違和感を抱いた理由は、人間はいつか必ず死ぬ上に、人間には強力な自然治癒力というものが備わっているからです。
わたしはこのギャップにぶち当たり、他のいくつかの理由もあって、麻酔を専門とすることを決めました。
「治してあげる」ことの是非を言いたいのではなく、わたしの中にギャップや葛藤といったものが生まれてしまったということです。
当然ですが、医療従事者の、患者を「治したい」という強い思いはとても大切です。
でも同時に、人間の自然治癒力を最大限に引き出す、という視点を忘れないでいることも、とても大切だと思います。
最近、「予防医学」という言葉をよく聞きますが、予防というのは環境因子をコントロールしたり、健診に行って病気を早期発見することだけではありません。
外側からのアプローチだけでなく、内側から、つまりマインドからのアプローチも重要だと考えます。
予防とは何なのか、健康とは何なのか、病気とは何なのか、みなさんにも一度考えていただければ嬉しいなと思います。
ピンインデックスシステム
今回は麻酔の話をします。
今のわたしができる麻酔の話は、”西洋医学の麻酔”という分野におけるものになります。
狭い範囲のものにはなりますが、何かお伝えできれば良いなと思います。
麻酔器にはガス供給の配管が3本あって、それらは酸素、空気、笑気の3種類です。
意外かもしれませんが、麻酔器によっては「空気」の配管がなくて酸素と笑気だけのものがあります。
麻酔器の配管を接続する先、つまりガスの供給源は、中央配管の場合とボンベの場合があります。
中央配管への接続においては、安全性を確保するため「ピンインデックスシステム」という方法がとられています。
ピンインデックスシステムでは、写真のように、配管の接続部の形状が決まっており、構造上誤接続ができないようになっています。
詳しく書くと、ピンの角度と本数が、酸素180°で2本、笑気135°で2本、空気120°で3本と決まっています。
さらに配管の色が決まっており、酸素は緑、笑気は青、空気は黄です。
写真の中央配管では、酸素の供給部分が2つ作られていますね。
また、通常、麻酔器の後ろ側には緊急用の酸素ボンベが載っています。
そして、停電などで麻酔器の電源が落ちた場合には、酸素だけは必ず使うことができるように作られています。
何をお伝えしたいかといいますと、麻酔器は患者さんに「酸素」を供給するための「安全装置」が、何重にも何重にも、組み込まれています。
わたしたちが人生を自由に生きるときに、いったい何が、自由な人生のための「安全装置」になるだろうかと考えていました。
みなさんそれぞれ答えは違うと思いますが、いったい何が「安全装置」になると感じますか?
わたしが感じるのは、自分の脳に対する投資が、人生の「安全装置」になるのではないかと感じています。
単なる知識ではありません。
いくつも言い方ができますが、抽象度を上げて全体を俯瞰できる力、知識をつなげて新しいものを生み出す力、目の前に出された情報を吟味できる力。
そしてそこからは、強さと優しさが生まれるのではないかと思います。
決して特殊な能力ではなく、人間だれしも身に付けられるものです。
わたしはまだまだ未熟で、おそらく人生が終わる時までトレーニーでいるのかなと思います。
みなさんが自由で楽しい人生をcreateするために、力になることができれば嬉しく思います。
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